赤山陣屋 【武蔵】
場所:埼玉県川口市赤山(場所)
訪問:2015年7月
形態:陣屋
遺構:空堀・土塁など
指定:県指定文化財
駐車:有 ※山王公園の脇
満足:★★★★★★(6.0点)
見所:陣屋というよりは赤山城と表現したくなる広大な城域。
赤山陣屋は江戸時代に関東郡代(正式には関東代官)を務めた伊奈氏によって築かれ、1792年のお家騒動によって伊奈氏が改易・罷免されるまで代々の拠点として使用されていました。
伊奈氏改易後は廃城となり、施設は破却されたみたいです。
江戸幕府の元で関東郡代を代々勤めた伊奈氏の礎を築いたのは伊奈忠次で、忠次は徳川家康の関東入府の際に大久保長安や青山忠成、彦坂元正らと共に代官頭に任命され、家康の関東支配に貢献しました。
忠次は灌漑や新田開発、河川改修にて多大なる功績を残し、武蔵小室藩の藩主として現在の埼玉県北足立郡伊奈町に陣屋を築きましたが、2代目を継いだ長男・伊奈忠政が34歳の若さで亡くなってしまいます。
忠政の子息は僅か8歳であったため、関東郡代の役目は忠政の弟である伊奈忠治が引き継ぎました。なお、小室藩は3代目を継承した伊奈忠勝も跡を継いだ翌年に亡くなったため廃藩とされてしまいます。
関東の幕府直轄領(約30万石)を管轄していた関東郡代の拠点であっただけあって、その規模は想像を遥に超えたものでした。
全体的によく整備が行き届いておりますし、何より都心からそう遠くないこの場所にこれだけの自然が残されていることにびっくり。静岡の興国寺城でカブトムシに遭遇したことがありますが、まさか川口で確認することになろうとは・・・。
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↑【伊奈氏陣屋と赤山陣屋】
武蔵小室藩が使用していた伊奈氏陣屋と赤山陣屋の位置関係。どちらも昔は付近をよく素通りしていましたが、史跡という認識で現地を訪れたのは赤山陣地が始めてです。
↑【赤山陣屋の概略図】
低湿地帯を利用した構造云々は埼玉東部や茨木南部ではお約束といった感じですね。
赤山陣屋が構築される以前はどのような使われ方をしていた場所だったのでしょうか。発掘調査も行われたみたいですから、中世の痕跡など見つかったりしていないのかが気になります。
↑【堀跡】
今は深さも大した事ありませんが、往時は5~6mほどの深度があったのだとか。恐らく土塁も備えられていたことでしょう。
↑【豊富な案内】
要所ごとに案内が備えられているのが有難いですね。
↑【本丸】
南堀から見た本丸内部。奥に見える外環自動車道の付近までが本丸だった訳ですから、距離感を持って想像していただければ、赤山陣屋の広大さをご理解いただけるのではないかと。
往時は御殿だけでなく、高官や重臣の屋敷が立ち並んでいたことでしょう。
↑【土塁】
南堀から南西堀への接続部あたりで見かけた土塁跡と思しき土壇。
↑【赤山日枝神社】
山王公園脇の赤山日枝神社。ちなみにこの土壇も、空堀掘削時の廃土で築かれたものと考えられているらしいです。
↑【残される自然】
地域の方々の並々ならぬご尽力があってのことなんでしょう。
一部消滅している箇所もありますが堀を伝ってほぼ本丸を一周できますので、自然を感じながら散歩をするには丁度良い場所の様に感じました。