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2012年8月

2012年8月31日 (金)

武州松山城 【武蔵】

吉見百穴を紹介したので、続いて武州松山城を紹介したいと思います。

場所:埼玉県比企郡吉見町(地図)
訪問:2011年4月ほか ※動画は2011年7月
形態:平山城
遺構:曲輪・馬出・空堀・土橋・井戸など
指定:比企城館跡群として国の史跡に指定
駐車:有 ※吉見百穴正面
満足:★★★★★★★☆☆☆(7.0点)

関東の要衝だった武州松山城は数々の激戦が繰り広げられた舞台でもあります。特に戦国時代には後北条氏の支配が確立するまで支配勢力が目まぐるしく変わり、そのなかで色々な逸話も誕生しました。

遺構の残存具合は良好です。見所は各曲輪を隔てる大きな空堀。国道沿いにそびえる丘をちょっと登るだけなので、労少なく中世城郭の遺構を堪能できる良城跡ですね。
動画は夏草茂る時期なので、画像と比較してもらえると面白いかも。


動画

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1
↑【周辺の状況】
武州松山城は古くから武蔵北部における要衝であり、著名な大名(後北条氏・甲斐武田・越後上杉などなど)が争奪戦を繰り広げた場所として知られています。
1590年の小田原征伐の際には豊臣方の前田利家・上杉景勝などが率いる北国勢によって攻略され、1601年に廃城とされました。

2
↑【立地】
台地脇の市野川は天然の堀として機能していますし、周囲には広大な湿地が広がる天然の要害に武州松山城は構えられていました。東に残る大沼(百穴湖)は人造湖ですが、往時は湿地が広がっていて泥田堀のような役目を果たしていたのだと思います。
史跡として認定されている主要部の南東側には"大堀""外郭"が構えられていましたが、東北自動車道の建設をする際に採土されて消滅してしまいました。

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↑【在りし日の外郭】
根古屋など主要部以外にも、城址だった面影がいくつか残っていそうな感じがするんですけどね。
気が向いたらチャレンジしてみたいとは思うのですが・・・

4
↑【残される技巧的な縄張り】
主要部はそんなに広大ではありませんが、入り組んだ深い堀がとてもよく保存されていて、かなりの見応えを感じていただける場所だと思います。
戦国末期の合戦に適した構造だとは思いませんが、空堀へ巧みに敵を誘いこんで効果的に撃退できるよう考えられた技巧的な縄張りには見事の一言ですね。
こういった構造の城址はそう多く残されている訳ではないと思うので、いつまでもこの状態が続くことを切に願います。

※上記は20146月に追加したものです。
↓以下、以前作成した記事(20128)です。

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↑案内。

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↑吉見百穴から見る松山城。

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↑岩室観音の裏にある竪堀からも訪問できますが、水気の多い場所なのでお勧めはしないです。

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↑国道側にある登城口。

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↑本曲輪。

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↑本曲輪から見る二の曲輪。櫓台状の土壇もあり横矢掛りを意識した構造になっています。

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↑三の曲輪(旧春日曲輪)。東に馬出を設けてありますが、この曲輪も馬出だったような感じです。

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↑その三の曲輪に接続する馬出。

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↑四曲輪。

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↑城址の東には大きな外郭が残っていたみたいなんですが、東北自動車道の建設による採土によって破壊されてしまいました。

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↑井戸跡?

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↑兵糧倉。昭和初期くらいまでは実際に焼米を見つけることができたそうです。

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↑惣曲輪虎口。ここ、冠木門なんかあると格好いいんだけどな。

2012年8月29日 (水)

吉見百穴

今回は城ではなく史跡紹介です。

埼玉県比企郡吉見町に残る吉見百穴は横穴式のお墓が残されていることで有名(?)な場所ですね。たしか歴史の教科書にも載っていたような気が・・・。ちなみに吉見百穴は国の史跡に指定されています。

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↑吉見百穴。昔はコロボックルの住居だと思われていたとか。

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武州松山城は吉見百穴のすぐ隣です。

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↑別の横穴墓。内部の削った跡に見えるのは落書きですかね?

このあたりは地質が軟らかく、比較的楽に穴を掘ることが可能みたいなんです。そんな事情も手伝ってか、戦時中には地下軍需工場も設営されました。

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↑ぽっかり開いた軍需工場入口。

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↑内部。公開されているのはほんの一部で全体は結構大きいみたいです。松山城下にも広がっているのだとか・・・。

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↑ヒカリゴケの生息地や危険な場所へのルートは封鎖されています。

案内には朝鮮人労働者に関しての記述がありました。朝鮮人労働者と聞くと、それこそ奴隷のような扱いを受けながら、日本軍によって強制的に労働を強いられた人々だと勝手に解釈してしまう方もいるみたいですが、果たして本当にそうなんでしょうか?

~おまけ~

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↑松山城壁面に存在する岩窟ホテル高壮館。

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↑在りし日の内部。茶屋で確認できます。

武州松山城といえば有名なのが武田軍の坑道作戦。なんでも吉見百穴からこの作戦は連想されたんだとか。
聞いてみたらあの話は嘘ですときっぱり否定されてしまいました。残念、まあ小説の脚色だとしてもそういったことを想像させる場所ではありますけどね。

2012年8月25日 (土)

霞城 【信濃】

長野県長野市松代町の霞城です。

場所:長野県長野市松代町大室(地図)
訪問:2011年6月
形態:山城
遺構:曲輪・石垣など ※古墳もあります
指定:なし
駐車:公民館に一言ことわって駐車させていただきました
満足:★★★★★★★★(8.0点)

【概要】 ※Wikipediaより引用
現在の長野市松代町大室付近の豪族、大室氏の居城であった。
敵が攻めてくると、霞がかかったように見えなくなることからこの名がある。
大室氏は武田氏滅亡後、織田信長の家臣、森長可に仕えた。しかし森長可は本能寺の変で後ろ盾を失って撤退したため大室氏は上杉景勝に従う。その後、上杉氏の会津移封後、大室氏も会津に移った。

松代城周辺の尾根には城跡が複数残されているのですが、この霞城も海津城が機能している際には、城砦群の一角を担っていたのではないでしょうか。

霞城の最大の見所は良好に残された石垣、これに尽きると思います。現在は登城路も整備されていて傾斜のきつい場所にはロープなど設置されているので、そんなに大変ではありません。

以前作成した動画です。

■ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14887235
デジカメですし初期作品なのでちょっと見づらいかもしれません。

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↑入口。

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尾根を歩いていくと緑に埋もれた石垣が突如姿を表す、その瞬間は非常に衝撃をうけました。東南アジアや南米のジャングルを探検していて石造りの遺跡を偶然発見したような錯覚を受けたというか、まあ要するに滅茶苦茶感動したってことですね(笑)。
お勧めしたい城跡です。

2012年8月23日 (木)

小諸城 【信濃】

今回は長野県小諸市の小諸城です。

場所:長野県小諸市(地図)
訪問:2011年6月
形態:平城
遺構:建築物(現存)・曲輪・空堀・井戸・石垣・天主台など
指定:重要文化財(大手門、三之門)
駐車:有 ※有料
満足:★★★★★★(6.0点)

訪問時期は2011年6月、というか青柳城と同日ですね。この日は連休中だったので、人で滅茶苦茶ごった返していました。さすが観光地というか青柳城とは大違い。
人ごみは大嫌いなのでこういう有名な場所は朝一の訪問が望ましいんですけど、順番の都合で仕方ないです。まあ、人ごみに関してはみんな我慢しているんだから、お互い様ってことで。

いま確認できる近世城郭としての小諸城は仙石久秀が構築しました。ちなみにいま確認できる上田城もこの人が構築したものですね。話すると真田氏だと勘違いしている人が意外に多いので、念のため。
修復された現存門から石垣に至るまで、なかなか見応え十分です。関東は近世城郭も少なく土の城ばかりなので、ふんだんに残る石垣を見せられるといやがうえにもテンションがあがってしまう。

城址は地獄谷と呼ばれる深い渓谷に三方を囲まれていて、構えるに絶好の場所というかまさに天嶮の要塞です。

※動画はまだ作成していません

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↑案内。

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↑三の門。重要文化財です。

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↑二の門の枡形。

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↑北丸と南丸に挟まれるように中仕切門がありました。正面奥の石階段を登ると二の丸です。

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↑周囲を囲む地獄谷。目もくらむような高さです。

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↑荒神井戸。城内唯一の井戸と明記されていますが、それではあまりにも少なすぎませんか?

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↑天主台。

大手門を見逃してしまってるので、また改めて訪問したいですね。

2012年8月21日 (火)

青柳城 【信濃】

今回は長野県東筑摩郡の青柳城を紹介します。

訪問は2011年の6月、まだデジカメしか用意してなかったので動画はあんまり・・・。でもよく考えたら、そういう案件こそブログで残しておくべきですよね。シーズンオフですし、しばらくはこのパターンで更新していこうかと思います。

場所:長野県東筑摩郡筑北村坂北(地図)
訪問:2011年6月
形態:山城
遺構:曲輪・空堀・土塁・土橋・石垣など
指定:なし
駐車:有
満足:★★★★★★★★(8.0点)

【概要】 ※wikipediaより引用
青柳城はこの地の豪族で、麻績氏の一族である青柳氏の城であった。
信濃守護の小笠原長時が武田晴信に敗れた後、小笠原氏に臣従していた青柳清長は武田氏に従った。
天文22年(1553年)の第1次川中島の戦いでは、晴信が一時ここに居城した。また、この合戦では長尾景虎(上杉謙信)は更級郡から筑摩郡へ進出し、青柳城に放火した。
武田氏滅亡後は青柳氏は小笠原貞慶に従ったが、天正15年(1587年)に青柳頼長は深志城(松本城)で誅殺され、青柳氏は滅亡した。その後は小笠原氏の家臣の松林氏が在番したが、慶長年間には廃城になった。

境目の城としての苦労がよくわかる内容ですね。
興味深い歴史も持っているんですけど、残された遺構もなかなかのものですよ。
麓の青柳集落から訪問することも可能ですが、山上まで車であがって今回は散策してみました。

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↑案内。

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↑入口に構える櫓門。風情があってとても良いです。

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↑二重堀切。デジカメでは規模を伝えきれません。

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↑排水施設でしょうかね?それとも井戸跡?

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↑また巨大な堀切です。ダイナミックなんで迫力満点ですよ。

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↑案内も豊富です。

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↑本丸手前に設置された冠木門。設置位置に関してはあまり気にしないで下さい。

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↑こちらは麓の青柳集落からの登り口に設置された柵。

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↑本丸脇に今も残る布目積みの石垣。

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↑本丸に設置された皇太子殿下御降誕記念碑。古そうなので現天皇陛下のことなのかな。

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↑本丸の案内だけ何故か無残な姿に・・・

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↑本丸からの展望。

山上の集落もそうですが、麓の青柳集落もなかなか風情があって面白い場所です。それに居館跡もあるみたいなんですけどね。一瞬案内っぽいものが目に入ったんですけど、当時は確認するのを止めちゃいました。シャイだったんですかね、今ならたぶん逃さないと思うんですけど。
また、周囲に今でもメインで使用されていると思われる切通しの道が残っています。迫力があって相当なものなので、あわせての見学がお勧めですね。

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2012年8月19日 (日)

岡本城 【安房】

岡本城は千葉県南房総市に残る平山城です。

場所:千葉県南房総市富浦町豊岡(地図)
訪問:2012年8月ほか
形態:平山城(海城)
遺構:曲輪・空堀・井戸・石積みなど
指定:国の史跡
駐車:無 ※海水浴場の駐車場を拝借しました
満足:★★★★★★(6.0点)

岡本城は里見氏家臣の岡本氏によって築城されたと伝えられています。岡本氏は元は古河公方の家臣だったみたいなので、安西氏など里見氏の安房入国以前から勢力を持っていた訳ではありませんね。里見家中でも重臣といった立場だったのでしょうか。

6代目当主である里見義弘が没すると、里見内部で世継ぎ問題を発端とした内訌が発生します。岡本城を拠点としていた里見義頼は対立相手である梅王丸を倒し7代目当主を継承すると、義頼はそれまで里見家の本拠だった佐貫城から岡本城に本拠地を改めました。

岡本城は義頼の子・義康の代まで本拠地として使用されますが、義康は1590年以降に本拠を岡本城から館山城に移しました。
理由は諸説あるみたいですが、小田原征伐によって上総・下総の領地を召し上げられ安房一国の減封されたことにより、国境より遠方にあってより安房国の中心に近い館山城に本拠を移動したというのが一番しっくり来るように思われます。


●安房里見氏(特に後期里見氏)は代を重ねるごとに居城が変更されていますね。どこもある程度以上の遺構は残されているので、城跡から里見氏の隆盛を見ていくのも楽しいかも知れません。
・前期里見氏(義実、成義、義道、義豊) → 稲村城
・義堯 → 久留里城
・義弘 → 佐貫城
・義頼 → 岡本城
・義康、忠義 → 館山城

【2013年8月 記事を追加・修正しました】

↓以下、以前の記事です。

1年ぶりの訪問になりますが、国の史跡に認定された影響なのでしょうか、昨年よりも気持ち手入れが行き届いていて散策しやすくなった様に感じました。

今回の目標は「枡ヶ池」。昨年の撮影動画を見直してみると本当にすぐ傍まで近づきながら、ちょっと迷って引き返したことがわかります。あと5歩も前進すれば池に気づけた筈なのに・・。


岡本城動画

■ニコニコ動画版はこちら
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18649209

興味あればぜひ。ご意見・ご要望あればコメント入れてください。今後の参考にさせていただきます。

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※記事は2013年8月に修正しました。

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↑岡本城の大まかな概略図。

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↑【外観】
海岸から見た岡本城。


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↑【本郭】
入口からは想像つきませんが、一応は公園としての機能を持たせていたみたいです。2011年までは廃な雰囲気ながらも便所がありましたが、2012年には消滅してしまっていました。
国の史跡にも指定されたことだし、設置し直すとかなのかな?


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↑【本郭の北に伸びる細尾根】
本郭に設置されている城址碑の裏側には尾根道が延びていて、もうちょっと奥まで散策することが可能です。
途中には物見台と思われる岩場がありますが、その周囲は景観を遮る樹木が少ないので、湾をパノラマで楽しむことができますよ。

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↑【物見台から湾を望む】
ということで物見台からのパノラマです。正面に見える半島は「大房岬」。幕末は台場、戦時中は要塞となっていたので数々の遺構が残されている場所です。
岡本城が里見氏の本拠だった頃には、ここからは湾を一望して壮大な安房水軍を確認できたのかもしれませんね。

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↑【本郭と聖山を分かつ堀切】
岩盤を削って作成したと思われる見事な堀切です。傾斜が急なので足元に注意。

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↑【聖山】
聖山にも曲輪が続いていたのですが、現在は枇杷畑&農道による改変で、いまいち旧状がハッキリしません。農道の現状を見る限り、かなり大胆に削られてしまったような・・・。
聖山には義弘の死後、世継ぎ問題の内訌で義頼に敗れた梅王丸(義重)が幽閉されていました。気になる事例ではあるのですが、ただ、聖山のどのあたりに幽閉されていたのか、今では皆目見当もつきません。

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↑【枡ヶ池】
溜池の役割を果たしていたと思われる枡ヶ池。ちょっと畑の中に入らなければいけないので、初回訪問時(写真左)は直前まで到達しながら、諦めて引き返してしまっていました。よく見ると奥に見えていたのにね。
造海(百首)城にも似たような水溜がありましたが、岩盤の露出が多い岩山にひっそり残るこの池は一種独特な雰囲気を醸し出しています。そのためかよく判りませんが、この枡ヶ池にはいろいろとよからぬ噂も残されているみたいです。そういった話が好きな方は、ちょっと調べてみてください。ほら、このサイトにもちょっと謂れが掲載されていますし・・・


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↑【やぐら?】
恐らくやぐらなんだと思いますが、房総は戦争史跡も多いので、もしかしたら防空壕かもしれません。

※やぐらとは鎌倉~室町期に作成された横穴式の墳墓のことです。伊豆半島・鎌倉・三浦半島・房総半島あたりに分布していて、有名な場所では北条高時が自刃した鎌倉の腹切りやぐらがあります。

海岸の船溜り跡なんかも見てみたいんですけど、海水浴場なんで夏場はちょっと難しいですね。沖ノ島では何とか頑張ってみたんですけど、撮影対象がモロに浜近くなんで、ここでは流石に無理というか度胸無いです。
宮本城や滝田城は未訪問なんで、冬場にきてまとめてチェックしてみようかな。

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