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2012年9月 7日 (金)

杉山城 【武蔵】

場所:埼玉県比企郡嵐山町杉山(地図)
訪問:2011年4月
形態:平山城
遺構:曲輪・馬出・枡形・空堀・土塁・土橋・井戸など
指定:比企城館跡群として国の史跡に指定
駐車:有
満足:★★★★★★★★☆☆(8.0点)

比企城館跡群、最後は杉山城です。
杉山城は中世城郭の教科書といわれるだけあって、その残された遺構は見事。城域はさほど大きくありませんが、馬出・枡形・食違いなど多様な虎口形状を確認できますし、横矢を強烈に意識した構造などいちいち感心させられます。

あと杉山城で有名なのが「杉山城問題」ってやつですね。以前はその技巧的な縄張りから後北条氏が作成したものと考えられていたのですが、発掘調査を行ってみるとあらびっくり。調査では15~16世紀初頭の遺物しか出土せず、城を作り変えた形跡も無い。さらに発見された文献が追い討ちになって後北条氏が関係した可能性は限りなく低くなってしまったというのが大体のあらましです。
まあ考古学者vs縄張り研究者って図式なんですけど、自分的には考古学がファンダメンタルで縄張り研究がテクニカルって考えるとわかり易いですね。え?かえってわかりづらいですか?
結論を言いますと自分は山内上杉氏が陣城として作成したと考えるほうがしっくりきます。確かに縄張りは技巧的ですが地形的に要害性は少なく篭城するには心許ないですし、各曲輪も面積が狭いので居館としても不向きなんじゃないかと思うのがその理由ですね。

捉え方は千差万別、空想を働かせる楽しみって中世城郭は豊富ですよね。皆さんは杉山城を見てどのように感じるでしょうか。

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↑案内。

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↑遠視。

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↑出曲輪。

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↑大手虎口。

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↑「屏風折り」。折が連続していて「W」のような形になった場所の名称です。ちなみに「~」のように歪曲しているのは「歪み」です。

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↑井戸郭から本郭へ通じる虎口は木橋が設置されていました。

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↑井戸跡。

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↑北ニノ郭の比企型虎口。

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↑本郭の東にある馬出のような小スペースと、そこに接続する帯郭 滝山城に似た虎口形成とはこの辺りの構造を指しているのでしょうか?

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↑本郭。

Hikisiseki_00
↑比企史跡群(※青字)の周囲にはこんなにも多くの城跡が残されています。

ビデオで再収録したものがあるので、動画をいつか作り直したいと思います。いまアップロードしてあるのは初期制作ということもあって見づらいですしね。

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コメント

考古学がファンダメンタルで縄張り研究がテクニカルですか(笑)。

老古学的な視点の方が正しいのでしょうけど、縄張り研究の方が夢はあります。
武田式城郭や北条式城郭の方がその氏族に特有の築城技法がある様に感じられて
ロマンがあるじゃないですか。実際には特定の氏族がある築城技法を開発というか
考案しても、他の氏族の情報収集や家臣の寝返り、築城に駆り出される農民などを
通じて、直ぐにパクられていたんでしょうけどね。

>浜松・豊橋の人です

たしかに(笑)。
考古学なんていうのはロマンがないとやってられないでしょうしね。

最近では文献上戦国末期の使用が確実なのに、遺物は16世紀前半止まりの「逆杉山城」みたいな事例ばかり増えているみたいですね。そうなると縄張り論の結論が正しかった、という決着になるのかもしれません、考古学の立場からは。

>kyさん

出土物からの年代推定が絶対ではないということは理解しているつもりなんですけど、そうなるといろいろ考えさせられそうで興味深い話ですね。 
折を見て事例をいくつか探してみようと思います。情報、有難うございました。

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