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2012年10月31日 (水)

佐野城 【下野】

場所:栃木県佐野市若松町(場所)
訪問:2011年10月
形態:平山城
遺構:移築建築物(現存)・曲輪・枡形・空堀・井戸など
指定:市指定史跡
駐車:有
満足:★★★★★(5.0点)
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【概要】 ※Wikipediaから転載
佐野氏は元々佐野の北部にある唐沢山城を拠点としていた。佐野氏は北条氏から養子を迎えていたため、小田原征伐の際には滅亡の危機を迎えた。だが、一族の佐野房綱が豊臣秀吉に仕えていたため、役後に房綱が当主に就くことで断絶を免れた。その後、房綱は豊臣氏近臣である富田氏から信吉を養子に迎えて家の安泰を図った。豊臣政権側も同城を江戸城の徳川家康を牽制するために活用しようと図った。ところが、関ヶ原の戦いによって徳川政権が成立したことによって佐野氏を継いでいた佐野信吉の立場は微妙となった。
1602年(慶長7年)佐野氏は徳川家康の意向を受けて、上杉謙信の攻撃をもしのいだ山城の唐沢山城を廃して麓に新規に佐野城を築城した。唐沢山城の廃止理由としては、江戸大火展望説、山城禁令説、豊家縁故説などが出されている。理由は明らかではないものの、徳川政権の本拠地である江戸の近くに豊臣氏に近い大名が山城を持つことが徳川氏にとって不都合であったことが推定される。
佐野城は春日岡にあった惣宗寺の跡地に新しい佐野氏の本拠地に相応しい近世城郭として築城され、築城途中の1607年(慶長12年)には城主である佐野信吉も唐沢山城から佐野城に移転して城下町も整備されたが、整備半ばの1614年(慶長19年)に突如佐野氏が改易されたために、わずか14年で廃城となった。

別名「春日岡城」とも呼ばれる佐野城です。佐野氏が改易された後、佐野は天領や佐倉藩の支藩だったりが長くて、佐野城が再び使用されることはありませんでした。
現在は公園として整備されているので、気軽に散策することができます。発掘調査も結構行われたみたいで、建物や井戸、虎口なども検出されています。
訪問した当日は、イベントでお茶会の真っ最中でした。駐車場が満車だったのですが、捻じ込んでくれてなんとかセーフ。すごく助かりましたね。本当に有難うございました。
※動画はまだ作成していません
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↑佐野駅北側にある城山公園が佐野城址です。
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↑二の丸の現況。この辺りからは石組溝が検出されたみたいです。
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↑本丸の堀切。規模が大きいので、遺構としては一番の見所だと思います。
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↑本丸からは石畳や石垣が発掘され、虎口も見つかりました。遺構は保存のため埋め戻されていますが、雰囲気は、このように再現されています。
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↑石畳の通路から斜面を降りると、窪地がありました。この辺りが枡形が発見された場所なのかな?
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↑北出丸の堀切。
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↑佐野厄除け大師に残る移築門。

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