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2012年10月 8日 (月)

都留勝山城 【甲斐】

場所:山梨県都留市川棚(地図)
訪問:2012年10月
形態:山城
遺構:曲輪・空堀・土塁・土橋・石垣など
指定:県指定史跡
駐車:有
満足:★★★★★★★(7.0点)
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【概要】 ※Wikipediaから転載
戦国期に甲斐国では甲府盆地において守護武田氏と有力国衆・後北条氏ら対外勢力との抗争で乱国状態となり、郡内において台頭した小山田氏も武田氏と抗争している。小山田氏は明応年間には活動が見られ、大永7年(1527年)には中津森館を本拠としていることが確認される。
小山田信有(越中守信有)期には武田氏に臣従し家臣団となり、天文元年(1532年)には火災による焼失を機に居館を谷村館へ移転し、新城下町を形成している(『勝山記』)。谷村の城下町形成に伴い、勝山城は岩殿城に代わる詰城として整備されたと考えられているが、考古・文献両面からは確認されていない。
天文13年(1544年)には武田氏は後北条氏と甲相同盟を結び、小山田氏は後北条氏との取次を務める。さらに武田と駿河今川氏、後北条氏と今川氏も相互に同盟を結び郡内は政治的に安定するが、信玄後期の永禄11年から元亀3年の間、勝頼期の天正6年(1578年)以降には甲相同盟が解消され郡内も政治的緊張状態にあったと考えられている。
天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍による甲斐侵攻では武田氏は滅亡し、小山田氏は織田氏に臣従するが粛清され滅亡する。さらに同年6月の本能寺の変において甲斐・郡内を含む武田遺領が空域化すると徳川氏、相模後北条氏、越後国上杉氏の三者で遺領を巡る天正壬午の乱が発生する。
谷村は一時後北条氏により占拠されており、この際に勝山城も改修を受けている可能性が考えられている。甲斐一国を徳川氏が領すると郡内には徳川家臣の鳥居氏が入り勝山城は要害として利用されたと考えられているが、文禄3年には浅野氏家老の浅野氏重が入り、このときに勝山城跡に所在していた八幡神社が現在地に移転されたとされ、浅野氏時代に縄張りが行われたと考えられている。
谷村館や勝山城は相模の後北条氏や徳川氏が領し修築を施された。豊臣系大名時代には文禄2年に入部した浅野氏重(左衛門佐)による修築が施されており、『甲斐国志』では勝山城の築城者を氏重としている。
従来は谷村館の詰城はさらに北方にある桂川沿いの岩殿山に築かれた岩殿城(大月市賑岡町岩殿)であると考えられていたが、現在では戦国期の本城と詰城との位置関係から、距離のある岩殿城よりも勝山城が詰城であったと考えられている。

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小山田氏の居館であった都留市の谷村城。その歴史を確認するまでは、自分もてっきり岩殿城が小山田氏の居城だと思っていました。
その谷村城の要害として構えていたのが、都留勝山城。山梨県下で残されている近世城郭というと、甲府城と躑躅ヶ崎館、あとは都留勝山城くらいであり、その面影で一部石垣が残されているのがポイント高いです。
また、都留勝山城は平成17年~平成21年にかけて調査や発掘が行われており、散策後に立ち寄ったミュージアムではそのあたりの話も聞くことが出来ました。
そんなこんなで期待値以上に楽しめた都留勝山城と谷村城。比高差も80mほどですし、そんなに規模は大きくないので、気楽に散策して楽しめますよ。
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↑都留勝山城の周辺map。三方を桂川(相模川)で囲まれた要地です。
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↑その桂川。なかなかの急流です。
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↑登り口。トイレ脇に3台分の駐車スペースが確保してあります。農作業中の方と話をしたら、来訪者は結構多いらしいですよ。
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↑しばらく登ると内堀の表示が。
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↑この内堀、途中に段差があって上下2段に分かれています。横堀内にこのような段差を設けてあるのは珍しいですよね。
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↑川棚見張台。横堀に対して睨みをきかせると同時に木戸であったと思われる場所です。
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↑川棚見張台からさらに登ってくると視界が開け、道は突然九十九折に。見上げるとこんな感じです。
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↑上から見下ろすと判り易いのですが、くどいまでの横矢掛りというか、登城してくると徹底的に頭上から狙われます。
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↑さらに本丸から見下ろしたところ。見晴らしが良いというか、どこまでも筒抜けですね。このあたりの構造は見応えがありました。
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↑本丸。お社の周りには土塁と櫓台が残されています。
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↑本丸の北東側壁面に残る石垣の跡。ここが現在目視できる最大規模の石塁ですが、他にも何箇所か石塁を確認できますよ。
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↑現地の案内(縄張)には大沢見張台と呼称されていた、北尾根郭に続く土橋と竪堀。このあたりは古勝山城の面影を色濃く残す場所と考えられています。
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↑また、この北尾根には茶壷を保管する施設があったと伝えられていた場所で、郭のひとつからは建物跡も発見されました。なぜ茶壷を保管したのか、そのあたりは『御茶壷道中』で調べて見て下さい。
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↑二の丸から本丸虎口へむかう道跡だったと思われる二の丸に残された土壇。今はショートカットされたルートが本丸まで続いていますが、『甲斐国谷村城図』を見るとあきらかに違いがわかります。
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↑同様のことが登城道にもいえるみたいですね。3つの登城口の存在が判明していますが、道筋は完全に解明されていません。
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↑ミュージアム都留には模型や資料が展示してありました。また、ここで販売されている『勝山城跡』(\2,400)はなかなか良かったです。
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↑谷村城は市街地化という歴史の波に飲まれてしまいましたが、この水路は往時の面影を残す貴重な施設です。なんでも桂川は地形が厳しすぎて、生活用水として使用するには向かなかったため、桂川では無く別の水源から生活用水を確保していたんだとか。その水路が今も残っているということなんですね。

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動画ではもう少し詳細をまとめられると思います。次は躑躅ヶ崎を編集しようかと思っていたんですけど、都留勝山城の編集からやってみようかな。

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