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2012年10月 7日 (日)

笠間城 【常陸】

場所:茨城県笠間市笠間(地図)
訪問:2011年7月
形態:山城
遺構:曲輪・堀・土塁・土橋・井戸・石積み・天主台など
指定:なし
駐車:有
満足:★★★★★★(6.0点)

【概要】 ※Wikipediaから転載
鎌倉時代、この地域は真言宗の正福寺と徳蔵寺の勢力争いが盛んであり、両寺院の僧兵たちが争っていた。劣勢であった正福寺勢が下野守護宇都宮頼綱に援軍を求めたところ、頼綱は甥の笠間時朝(塩谷時朝)を派兵した。時朝は元久2年(1205年)、徳蔵寺の僧兵と戦うための拠点として佐白山山麓に麓城を築城し、徳蔵寺を討った。ところが麓城の規模があまりにも大きかったため、味方のはずの正福寺の僧兵までも時朝に敵対した。時朝は結局正福寺と徳蔵寺を滅ぼした後、承久元年(1219年、堅固な城を佐白頂上に築城した。これが笠間城の起こりである。その後笠間氏は18代にわたって笠間を治め、南北朝時代の5代笠間泰朝の時には、南朝に属して勤王の兵を挙げ、北朝の佐竹義春の攻撃を受けたが、籠城戦の末これを撃退している。[1][2]
天正18年(1590年)の小田原征伐の際、18代笠間綱家が宗家の宇都宮氏に逆らい後北条氏に組したため、同戦役後宇都宮氏に攻められ笠間氏は滅亡した。その後、一時宇都宮氏が支配した後蒲生郷成が入城し、この郷成の手により織豊系城郭に改修されたと考えられている。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い後には松井松平家が入り、その後小笠原氏が入ったが改易されて、ついで戸田松平家が入り、そして永井氏が入った。その後、外様大名の浅野氏が2代、井上氏が2代、本庄氏が2代、再び井上氏が3代入った後、牧野貞通入城以後廃藩まで牧野氏8代が居城した。

関東ではというか東日本では非常に珍しい天守台の残る近世山城です。近世山城というだけでも珍しいのに、同条件でぱっと頭に浮かぶのは福島の二本松城くらいですかね。
笠間城のある佐白山は古くから信仰の対象になっていた場所みたいで、現在でも天守台上の佐志能神社を目指して多くの方が参拝に訪れています。いろいろな意味で歴史深い場所なんですけど、特に史跡には認定されていません。何か事情があるのかもしれませんけど不思議です。

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↑案内。絵図が良い雰囲気をだしています。

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↑大手門跡。

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↑城内は参拝客のためか車道が設置(たぶん今は通行止めです)されていて旧状がわかりづらくなっています。これは心霊マニアには有名なトンネル。天主への土橋の真下あたりを貫通している感じです。

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↑でも、ちょっと脇に入るとこんな石積みを見ることもできます。この場所は絵図だと裏門右手の帯曲輪のあたりです。

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↑二の曲輪。見てのとおり藪だらけです。もう少し整備されると有難いんですけど・・・

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↑天主への入口。

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↑この時は地震の影響で石垣がところどころ崩れてしまっていました。

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↑天主台頂上の佐志能神社にも被害が・・・。今は無事に修復されているのでしょうか。

笠間城の山城部分はここまでです。
おまけ。

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↑佐白山麓公園。山麓部にある下屋敷(御殿)跡で江戸時代は実質の本丸だったものと思われます。

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↑廃ホテル山の荘。初めて訪問したとき、外観から観光施設かと思って地元民っぽい方に尋ねたら「全然違う」って言われて笑われました。

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↑大石邸跡。御殿のすぐ傍にあることから藩における家柄の重要さを窺い知れます。

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↑真浄寺に移築されて残る八幡台櫓。

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↑九ちゃんの家。笠間城と直接関係はありませんが、坂本九が戦時中に疎開して生活していた家が残されています。

■動画

その1


その2


その3

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