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2012年10月27日 (土)

額田城 【常陸】

場所:茨城県那珂市額田(場所)
訪問:2011年10月
形態:平山城
遺構:曲輪・堀・土塁・土橋など
指定:市指定史跡
駐車:有 ※小学校の脇(たぶん小学校訪問者と共用なので、学校のイベントごとには注意)
満足:★★★★★★★(7.5点)

額田氏が代々居城にしてきた城跡が額田城です。佐竹氏の一族が当地に入って城を築き、額田を名乗ったのが額田氏(佐竹系額田氏)の始まりですが、この佐竹系額田氏は山入りの乱の頃から主家と対立するようになり、その後に滅ぼされてしまいます。
佐竹系額田氏が滅亡した後は、石神城の小野崎氏の一族が新たに額田城を治める事になり、額田小野崎氏が興ります。ただこの額田小野崎氏も独立志向が強かったみたいで、小田原の役の後に起こった佐竹氏による「南方三十三館の仕置き」の締めくくりのような形で額田城は攻撃され、額田城は落城。
その後は多くの佐竹系城郭と同様に、佐竹氏の秋田転封に伴って廃城になったものと思われます。

見所は何といっても雄大な堀にあると思います。外郭の土塁もところどころに残されているみたいなので、周辺を散策してみるのも面白いかも。ただ主要部の郭も一つ一つが結構大きいので、細かく見て回られる方は時間切れにならないよう注意が必要ですね。

【2013.03.27 追記】被災土蔵から伊達政宗の密書 茨城、武士に蜂起促す
東日本大震災で被災した茨城県ひたちなか市の土蔵から、戦国武将・伊達政宗が常陸(茨城県)の武士に宛てた密書とみられる起請文(誓約書)が見つかったことが27日までに分かった。
起請文は政宗が1589年(天正17年)、常陸の大名、佐竹義宣の配下にあった額田城(現在の茨城県那珂市)の城主、小野崎昭通に宛てたもの。
同じ佐竹氏配下の江戸氏に勝てば、領地の一部を分与することを約束する「中川北ニ江戸領之内(中略)可宛行(那珂川北岸の江戸氏の所領をあてがう)」との記述や、小野崎氏が佐竹氏から離反する場合を想定した「其元事切候以後(おまえが手切れした後)」との記述もあった。
那珂市歴史民俗資料館で4月27日から5月12日まで特別公開される。〔共同〕

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↑上空から見た額田城。このうち史跡として整備されているのは本郭と二郭のみです。今でも各郭の境がわかりますよね。往時はさらに外郭が周囲を覆っていました。

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↑三郭の現況。うっすらと堀跡と思われる窪みも見られました。

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↑二郭と繋がる土橋・・・と思いきや、三郭からの虎口は位置が判明していないんだそうです。

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↑上記の土橋から見た二郭の堀。

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↑二郭。

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↑額田城一番の見所だと思われる本郭の堀。深さ・幅ともに迫力十分です。

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↑上記の折を堀底から確認。

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↑散見される水溜り。往時の雰囲気を感じられてとても良いです。

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↑本郭。結構広いです。ところどころに土塁も残されています。

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↑H23年9月に到来した大型台風の影響ですね。主郭への虎口だったと思われる場所には倒木で塞がれていました。

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↑本郭と西郭を隔てる堀。

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↑西郭。中央に見えるのは土塁の跡と思われる阿弥陀寺脇の土壇。

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↑西郭と外郭の境目にも面影が残されていました。

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