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2012年10月 5日 (金)

真壁城 【常陸】

場所:茨城県桜川市真壁町古城(地図)
訪問:2011年7月
形態:平城
遺構:曲輪・枡形・堀・土塁・土橋など
指定:国の史跡
駐車:有
満足:★★★★★★(6.0点)

【概要】 ※Wikipediaから転載
築城は承安2年(1172年)と伝わる。大掾直幹の子・長幹が真壁郡に入って真壁氏を名乗り、郡家の場所に築城した。以来真壁氏の居城として続いた。
文献上で真壁城が初出するのは興国2年(1341年)12月で、北畠親房の「御方城々」として、真壁城がみえ、南朝方の城であった。のち北朝方に立場を変え、真壁氏は地頭職を有している。応永30年(1423年)、真壁慶幹のとき小栗満重の乱に小栗方で参加したため足利持氏軍によって落城したが、その後の混乱の中で慶幹の従兄弟・朝幹が真壁に復権した。
17代久幹のときに次男義幹が柿岡城に分家し、18代氏幹に至って甥の柿岡城主房幹(義幹の子)に家督を譲ったため、真壁城は真壁本家の城ではなくなった。その後、慶長7年(1602年)佐竹氏の秋田転封の際、佐竹氏の家臣団化していた真壁氏も出羽角館へ移住し、真壁城は空城となった。そののち慶長11年(1606年)浅野長政が隠居料として真壁藩5万石を与えられ、同16年(1611年)に長政の跡を継いで真壁城に浅野長重が入城した。 元和8年(1622年)、浅野長重は加増され、真壁は領有し続けるものの常陸笠間城へ移動となり、真壁城は廃城となった。

真壁城のある真壁郡は、常陸国の真ん中よりやや南で西は下野国に近いという位置にあって、その勢力を保つのは並大抵のことではなかったのではないかと思われます。ただでさえ騒乱の多かった関東の中で結城氏と小田氏の争いにも巻き込まれ、さらに後北条家の圧力が強まってくると後北条氏と佐竹氏の間を巧みに渡り歩くという、境目の勢力の定めではありますが、よくまあ生き残ったものだとしみじみ思わされます。
近世になると浅野長政が5万石で入り真壁藩が立藩されますが、これが後に笠間藩→赤穂藩と移り、有名な元禄赤穂事件へと繋がっていくんですね。何気に通好みの城跡といえるかもしれません。


動画

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↑本丸に設置されている城址碑と案内板。

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↑三の丸からみた二の丸と本丸。本丸に体育館を建設した際の残土が盛られたので、二の丸は旧状がわかりづらくなっています。

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↑復元された曲輪4の土塁と枡形虎口。

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↑平城の趣をよく残していて自分には楽しんですけど、普通の人には訳わからなくて退屈だろうな。

発掘調査によって屋敷跡や井戸跡など見つかっているみたいですから、解説などあったほうが良いんじゃないかと思いますね。これからの整備計画として予定に入ってるのかも知れませんが、せっかくの良史跡がもったいないような・・・。

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↑雨引観音の黒門。真壁城から寄進されたものとして伝えられています。

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