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2012年11月28日 (水)

佐貫城 【上総】

場所:千葉県富津市佐貫(場所)
訪問:2012年11月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・土塁・土橋・井戸・石垣など
指定:なし
駐車:有
満足:★★★★★★(6.5点)
見所:後北条氏と数々の合戦が繰り広げられた西上総の要衝であり、里見義弘の居城。

↓※2013年9月に内容を修正しました。
佐貫城は真里谷武田氏の拠点として築城されたと考えられています。
真里谷武田氏が内訌によって衰退し始めると、佐貫城は安房から当地に進出してきた里見氏によって攻め落とされ、里見氏に管理されるようになりました。

一方、里見家同様に真里谷武田氏の衰退を上総国進出の機会と捉える後北条氏は徐々に上総国内への影響力を増大させ、ついには佐貫城を占拠してしまいます。
この頃の上総国における里見領は非常に危うい状態で、造海城の内房正木氏や秋元(小糸)城の秋元氏も後北条氏方についてしまい、里見義堯の篭る久留里城も付城をされて落城寸前だったと伝えられています。

ただ、この状況を一変させたのが、1560年の上杉謙信による関東出兵でした。
後北条氏は自分たちが擁立していた古河公方・足利義氏を佐貫城に配置したりしていましたが、1563年には里見義弘が佐貫城を奪取。以降の佐貫城は里見氏が上総国における領地を豊臣秀吉に没収されるまで、里見家が管理していくことになります。

里見氏は義堯亡き後、佐貫城主だった里見義弘が跡目を継承しました。義弘は義堯の居城だった久留里城には入らず佐貫城にい続けたため、義弘が当主の時代は佐貫城が里見氏の本拠として繁栄していました。
非常に広大といわれる城域も、この時代に整備されたものと思われます。

徳川家康が関東に入封すると、佐貫城には内藤家長が2万石で入城しました。その後は藩主の転封や改易などで幾度も佐貫藩は廃藩となり佐貫城も廃城とされますが、1710年、三河刈谷藩から阿部家が佐貫に転封になり佐貫藩が立藩されると、幕末まで佐貫城は存続していきました。

●安房里見氏(特に後期里見氏)は代を重ねるごとに居城が変更されていますね。どこもある程度以上の遺構は残されているので、城跡から里見氏の隆盛を見ていくのも楽しいかも知れません。
・前期里見氏(義実、成義、義道、義豊) → 稲村城
・義堯 → 久留里城
・義弘 → 佐貫城
・義頼 → 岡本城
・義康、忠義 → 館山城
  
↓以前の記事です。
里見義堯の跡を継いだ、里見義弘が本拠にしていた佐貫城です。今回散策したのは主要部分のみですけど、尾根続き部分だけでなく、周辺には関連の曲輪跡が多々残るそうで、なかなかの巨大城郭だったことが伺い知れます。
 
ただ、江戸時代になると転封をきっかけに二度ほど廃城になっているので、明治維新まで維持されたといっても、主要部分は殆ど手付かず状態だったんじゃないでしょうかね。最後の藩主だった阿部家は一万六千石しかなかったみたいですし。
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※動画はまだ作成していません
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↑大まかな佐貫城の概略図。
一応、本丸や物見まではハイキングコースがついているので難なく見学をすることができますが、ちょっとコースを外れると結構な薮になっている場所も多いので、ちょっと注意が必要かもしれません。
チェックすると、主要部以外は全部未確認ですね。主要部も三の丸の横堀は薮で未確認状態なので、そのうちに再訪しないと駄目かな。

【2013年9月 追加】
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↑【大手跡】
佐貫城の入り口に残る門跡と石垣。佐貫城を紹介する上で、一番使われる場所なんじゃないでしょうか。
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↑【三の丸】
三の丸は段々に曲輪が続いているみたいなのですが、最下段以外はすさまじい藪でした。写真右の場所を抜けて歩いていくと横堀を見られたみたいなんですけど、見逃しちゃいましたね。
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↑【切通しの虎口】
二の丸への行く手を阻んだであろう虎口。千葉南部お馴染みの岩盤を断ち切った切通しです。
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↑【二の丸まで続く帯曲輪(通路)①】
切通しから二の丸に入るまでは、帯曲輪のような細道を歩いていくことになります。細道は崖上の二の丸から攻撃を受け続けることになり、突破するのはなかなか大変そう。
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↑【二の丸まで続く帯曲輪(通路)②】
細道には木戸跡っぽい場所が何箇所か残されています。まあ、当然設置しますよね。
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↑【二の丸】
本丸傍を除き、奥は結構な薮ですね。ここから先ほど歩いてきた帯曲輪を眺めると、どんな感じなんだろうか・・・。
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↑【本丸の横堀】
本丸の空堀にかかる土橋。空堀はなかなか巨大で、近世城郭であることを強く感じさせます。写真右は堀の中にできていた水溜り。風情があって良いですね。
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↑【井戸跡?】
本丸の虎口を抜けると、そこには井戸のような貯水設備がありました。
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↑【本丸】
本丸。藪で隠されているからなんでしょうかね、地図で見ていたイメージと違って、そんなに広くは感じません。なお、本丸からは2箇所の物見台に向かうことができます。

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↑【本丸虎口】
土橋側から見ると単なる坂虎口のように見えますが、本丸側から見るとちょっとだけ枡形っぽい。
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↑【物見台(西)】
まずは土橋の先にある西側の物見台。
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↑【物見台(北)】
こちらは細尾根の先にある北側の物見台。
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↑【物見台(北)から東京湾方面を臨む】
見える景色はどちらからでも、そんなに変わりありません。東京湾観音や、その向こうには三浦半島まで遠視できます。
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↑【堀切&切通し】
北側の物見台の脇には、またもお約束の堀切&切通しが。
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↑【産所谷】
その先は搦め手などに抜けられたみたいなんですけど、私有地っぽいですし、除草中なのか作業音も聞こえていたので、ここで引き返しました。

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