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2012年11月26日 (月)

峰上城 【上総】

場所:千葉県富津市上後(場所)
訪問:2012年11月
形態:山城
遺構:曲輪・空堀・土塁・井戸など
指定:なし
駐車:集落に入る手前の大堀切に停めさせて頂きました
満足:★★★★★(5.0点)
見所:台地を周囲から隔離させるために設けられた堀切はもの凄い迫力です。

↓※2013.年9月に内容を追加・修正しました。
峰上城は上総武田氏の一族である真里谷武田氏によって西上総を治める拠点として築かれ、後継問題から発生した真里谷武田家における内訌の際には、真里谷(武田)信隆の居城として使用されていました。
信隆は光景を争った信応に敗れて後北条氏のもとに敗走しますが、この内訌によって勢力の衰えた真里谷武田氏は後北条氏と里見氏に徐々に飲み込まれ、権威は失速してしまいます。

上総は久留里城に本拠を据えた里見氏が当初は優位に勢力を拡大していきますが、後北条氏は真里谷武田氏を追い出された真里谷信隆を支援しつつ、さらに里見家領内にも工作活動を仕掛けます。
その一環として、この峰上城には吉原玄蕃助を中心とする二十二人衆という土豪集団が拠り、ここを里見家に対するゲリラ活動の拠点として使用していたみたいですね。

後北条氏の大攻勢の前に佐貫城は落城し、造海城の内房正木氏や秋元(小糸)城の秋元氏も後北条方についたりと里見家は大苦戦を強いられますが、1560年に上杉謙信が関東出兵を開始すると情勢は一変。そして1564年の第二次国府台合戦へと話は続いていくのですが、峰上城と話が逸れていってしまうので、房総の歴史に関してはこのあたりで。

その後の峰上城の状況は不明です。恐らく里見氏方の城として使用されたか、廃城となったのでしょう。


↓以下、以前の記事です。
 この峰上城、七堀切など危険な場所として認識はしていたんですけど、以前に千葉県でのお勧めの城郭で峰上城を上げる人もいたので、思い切って訪問してみました。危なそうなら引き返せばいいことですしね。 
で、結論から申し上げますと、七堀切には降りられませんでした。ただでさえ峰上城は絶壁の大地に構えられているのに、さらに垂直に加工した堀切ですよ。単独行動をしていることもありますし、無理はいけません。
 
正直、城址を訪問して足がすくむほどに恐怖を感じたのは、今のところ峰上城だけです。戸倉城(東京・あきる野市)の物見台っぽい場所も凄い場所だなと思いましたけど、ここに比べれば全然ましに思えてくる、そんな城跡でした。

※2012年11月に訪問し、撮影・編集した動画です。

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↑峰上城の簡単な概略図。麓は普通の集落なんですが、この台地に一歩上がるとその厳しい地形に驚かされること必須です。
【2013年9月追加】

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↑【現在でも唯一の連絡口である細尾根①】
城内へと続く道路。舌状大地に築かれた城跡にはいくつも訪問してきましたが、この峰上城は周囲が絶壁になっているので、この道路以外には、今でも交通手段が無さそうな感じです。
Minegami_006_
↑【連絡口の細尾根②】
とても大型車が通行できる道ではありません。宅配便とかは営業所止めなどで対応できるでしょうけど、急病などの対処なんかは大変そう・・・。って余計なお世話ですね。
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↑【細尾根に残る堀切】
この尾根には、いくつか堀切が残されていました。こう見ると、ここが細尾根であることがわかりますね。
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↑【細尾根終点の大堀切】
集落手前の大堀切。車はここに駐車させていただきました。写真右は、その堀切内にある切通しの通路。これも遺構なんでしょうかね。切通しにはしめ縄が飾ってあって、その奥は墓地になっているようでした。
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↑【城内として使用されたであろう台地への入口】
集落の入り口です。ここから先は住宅や畑もあって、今までの細尾根が信じられないくらいに広いです。
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↑集落を抜けて、さらに奥を目指します。正面のスロープを上がっていくと、二つほど曲輪を経由して七堀切に向かえますし、スロープ右脇の道を進んでいくと、尾崎曲輪に向かうことができます。で、今回はとりあえず七堀切を目指してみることに。
Minegami_011_ Minegami_012_
↑曲輪はすごい藪で、状態はわかりません。写真右は、さらに二つ目の曲輪に入る虎口です。
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↑この曲輪も藪で覆われていて、曲輪端の土塁道を歩いていくことになります。行きはビデオ撮影に集中していて、そんなに気にしていなかったのですが、脇は結構な高さがある上に急斜面です。注意して歩かないと危ないですね。
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↑奥は土壇になっていて、その最上段にはお社が建てられていました。この奥に問題の七堀切が残されています。
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↑【上から眺める七堀切】
その七堀切、降りれそうな場所を探してみたんですけど、すごい急斜面なので諦めました。回りこめるルートはないかとか、いろいろと試してみたんですけどね。成功した人はどのあたりからどのように降りたのか、真剣に聞いてみたいものです。
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↑来た道を引き返して、次は尾崎曲輪を目指すことに。写真はその途中で見られる井戸。井戸はポンプがつながっていて、今でも現役な様子です。で、ここで驚いたのが、その奥に見える水で濡れた岸壁ですね。水が豊富な感じに見えますけど、独立した大地っぽく感じる場所なのに、一体どこからこの水は供給されているんでしょうか・・・。
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↑【尾崎曲輪】
尾崎曲輪は湿地というか、一部は田んぼとして使用されています。
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↑やっぱり水が豊富なんですね~、なんて考えながら奥に進んでいくと・・・
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↑【大迫力の堀切】
そこには深く抉られた堀切が!この堀切も凄いんですが、それよりもその周囲の絶壁具合が半端じゃないです。正直、足がすくんでしまって、この先に進むのは中止させていただきました。写真だと迫力が伝わりづらいのが残念。ただ、ビデオはもう少し状況が伝わると思います。
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↑よく考えると、田んぼの縁の向こう側は、どこも同じ状況なんですよね。この絶壁を意識してしまうと、戻るのも結構怖くなっちゃいます。かなり慎重に歩きながら、なんとか帰路につくことができました。

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コメント

今日、峰上城の七つ堀切、降りてきました。降り方は、祠のある主郭(?)より一段低い曲輪から、さらにもう一段低い曲輪を経由します。

…ですが、湧水で足場が滑るうえに、崩落した跡も見られ、かなり危険でした。

登りは直登に成功しましたが、転落を覚悟するくらい怖かったです。

多分、今夜は峰上城が夢に出てくると思います(苦笑)。

>りゅういちさん

情報いただきまして有難うございます。
祠のある郭の一段下というと、階段脇に石碑が設置してある郭のことですかね。祠のある郭を正面に見て、左側を回り込むような感じで七つ堀切に入られたような感じで良いのかな。
右手下段には腰郭っぽい平地があるのは見えていたのですが、その手前には大きな堀切があったので、その腰郭への降り方も考えましたけど、結局諦めました。
峰上城は怖いですよね。本当にお疲れ様でした。

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