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2012年11月16日 (金)

秋元城 【上総】

場所:千葉県君津市清和市場(地図)
訪問:2012年10月
形態:山城
遺構:曲輪・空堀・畝・垂直切岸・土塁・土橋・井戸など
指定:なし?
駐車:有
満足:★★★★★★★★★(9.0点)
見所:岩盤を削って作成した垂直切岸や、横堀に残る岩盤を切り残した畝など他ではあまり見られない遺構がたくさん。
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【2013年9月 内容を修正・加筆しました】
別名:小糸城や青鬼城とも。
秋元城は鎌倉時代の頃から、この周辺一体を領有していた秋元氏によって築かれたと伝えられています。真里谷武田氏の衰退によって安房里見氏が上総に勢力を広げてくると、秋元氏は里見氏の勢力に組み込まれていきました。
ただ、後北条氏が里見義堯の篭る久留里城下まで里見氏を追い詰めていた時代には、造海城の内房正木氏同様、秋元氏も後北条氏方に一時組していたようです。
その後、里見氏が攻勢に出る時代には秋元氏も里見氏方に復帰していたようですが、1562年の第2次国府台合戦で里見氏が敗れると、再び上総中西部に攻め寄せてきた後北条勢によって秋元城は攻撃され、落城するという歴史をもっています。
1590年の小田原征伐の頃には城主として里見弾正小弼(秋元義則)の名が関東八州諸城覚書に記されているみたいなので、戦国末期まで秋元氏は里見氏から養子を迎えるなどして存続していたことが伺えます。
それ以降の秋元氏の消息はよくわかっていません。
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山上に今でも池跡が残るくらいなので、もともと水が豊富に確保できる場所だったんでしょうか。通路が結構湿っていて、ちょっと登りづらかったですね。
城跡自体はよく整備されているので、主要部は藪を気にすることなく見学することが出来ました。特徴は千葉県南部のお城に多い形状ですが、やはり岩盤を加工して造られた堀切や切岸ですかね。感心するとともに、端に立って下を覗くと恐怖の対象でもあったりします。
基本一人で行動しているので、万が一があると非常に不味い。
今回は岩盤を削って造られた横堀や畝など、重要な見所を見逃してしまいました。という訳で再訪決定ですね。


【2012年11月追記】
再訪してきました。前回見逃していた主郭の横堀や、岩盤を削って作成した畝などを確認。
いやー、本当に行って良かったですよ。遺構のもつ迫力に圧倒されてしまいました。すべては動画にまとめてありますので、ぜひ見てやってください。
あと、このブログにも、畝の写真を追加扱いで載せておきます。ブログ的には新着記事なんですけど、事前に作成してあった内容を変更するのが面倒なのが、追加として対処した理由です。よくある、大人の都合ってやつですね。
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※ニコニコ動画もマイリスト更新済みです。
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↑【現地案内図に掲載されていた鳥瞰図】
見学コースに沿って確認していくとそう大きなお城ではないように感じますが、コース外にも結構な曲輪が残されているのが鳥瞰図を見ると判りますよね。
まあ、コース外は薮化していると思われるので、どこまで確認できるのかは不明ですが・・・。

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↑【遠視】
北側から見る秋元城。
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↑【根小屋】
写真左は現在の登城口。このすぐ向かいに駐車場が用意してありました。写真右は登城口から入ってすぐにある根小屋。ここには青鬼城と呼ばれる由縁となった「青鬼大神碑」が残されています。
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↑【木戸?】
根小屋からちょっと進むと、木戸でも設置されていたのかなと思わせる場所がありました。
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↑【千駄クラ】
根小屋の上段に残る千駄クラ。名称の通り、往時は倉が建ち並んでいたのでしょうか。
三方を塁に囲まれ、雰囲気のある曲輪です。ふとその塁を見てみると、垂直に加工された切岸が!
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↑【登城路】
城奥へと向かう登城路。道は山上から水が流れてきていて、全般的にぬかるんでいました。
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↑【虎口の様な切通しとその上部に残る稲荷・金平祠】
岩盤を削って造った切り通し。地形を有効に活用した櫓門でもあったのかな?
その上部の稲荷のある郭からは、登城路が完全に丸見えです。ここを突破するのはかなり大変そう。
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↑【千畳敷】
さらに登っていくと主要部に到着。
城内では最大の広さを誇る千畳敷です。
奥に見えるのは西向三段と呼ばれる土壇。天守台と呼ばれてもおかしくないぐらい立派な造りです。
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↑【西向三段の最上段(御殿)】
西向三段は上下二段に別れています。写真は絵図に「御殿」と記されている最上段。西向三段を含めた千畳敷が秋元城の本郭だったと考えて良さそうですね。
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↑【御殿に残る削り残しの石塁】
残っている塁は土ではなく、岩盤を削り残したものです。周囲は断崖なので、際にた立つと結構怖いですよ。
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↑【御殿の裏手に残る遺構】
御殿に残る石塁には一部崩落したような箇所があり、そこから御殿の裏側にある遺構を確認しに下へ降りることができます。
ここで確認できる遺構も垂直切岸や虎口など見応えがあるものが残されているので、見逃しの無いように!
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↑【土橋】
西向三段の西側に残る土橋。この奥にもまだ遺構が残されています。
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↑【池跡】
千畳敷の脇に残る池跡。山上にこれだけの水量を誇る池があるなんて、ちょっと驚きですね。
そりゃ、道中も湿るわな。
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↑【井戸跡とその脇に残る妙な隙間】
脇の壁面には隙間が見えました。やぐらか何かでしょうかね?
入口を隠してある感じで、ちょっと気になったので掲載。
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↑【八幡祠の郭と堀切】
八幡祠のある郭と、その脇にある大きな堀切。
この堀切から秋元城最大の見所である岩盤の横堀に降りていけるんですけど、横堀の紹介はちょっと後で。
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↑【さらに奥へ・・・】
この堀切から、さらに奥に進んでいくと・・・
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↑【大堀切】
またもや巨大な堀切が。実質、ここが秋元城の東端みたいですね。画像では迫力が伝わらないかもしれませんが、結構な規模でした。足元が崩れないかヒヤヒヤしながら撮影した写真です。
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↑その堀切から戻る途中に見つけた、下に降りるためのロープ(中央下に僅かに写っています)。ここからも畝のある横堀に降りれるみたいです。皆さんは本当にチャレンジャーですよね。結構やばそうな場所でしたよ、ここ(笑)。

■横堀

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↑【上から眺める横堀と畝】
堀切から眺める横堀。畝が確認できると思います。

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↑【畝とその周囲の垂直切岸】
岩盤を削り残して作成した畝も驚きですが、その周囲の切岸にも見事すぎて唖然とさせられます。こんなのどうやっても登れないですよ。
ちなみにこの横堀、垂直切岸脇の三角形の出っ張りの斜面をロープを伝って降りてきます。ここも急斜なので、ロープが準備されていなかったら降りてこられなかったでしょうね。

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↑【さらに奥に残る水堀】
横堀を奥に進んでいくと確認できる水堀。雨水が溜りに溜まったものなんでしょうけど、なんか神秘的ですよね。ちょっと浴槽のようにも感じてしまったり・・・。
壁面は相変わらずの切岸です。

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↑【堀切?】
水堀の隣はこれも垂直にくり抜かれていて、移動が困難な状態に加工されていました。
たぶん堀切として使用されていたんでしょうけど、加工面が見事すぎて、まるで近代コンクリート建築物の廃墟のような錯覚に陥ってしまいます。


如何でしたでしょうか。
なんというか秋元城に残されている遺構は垂直切岸の極みといった感じで、未訪の方にはぜひ一度訪れて欲しいと思う城跡のひとつです。
房総は岩盤を加工した城跡が多いけど、古くから石切衆が盛んだったのかな?

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