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2013年1月15日 (火)

東金城 【上総】

場所:千葉県東金市東金(地図)
訪問:2012年2月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀など ※一部戦争史跡もあり
指定:たぶんなし
駐車:有
満足:★★★★★(5.5点)

見所:東金酒井氏の居城。戦争史跡であるトーチカも残されています。

※↓2013年9月に内容を修正しました。
東金城の築城者は定かではありません。

古河公方と関東管領上杉家の対立で発生した享徳の乱の際に、上杉方である千葉本家を古河公方側の勢力(馬加千葉氏や原氏など)から護るため、将軍・足利義政の命にて美濃国より下向してきた東常緑が、家臣である浜春利を東金城に入れたという伝承が残されています。
この浜春利という人物がその後も上総国に居着き、酒井を名乗ったことが上総酒井氏の発祥ともされていますが、上総酒井氏の出自は諸説あって実際のところどうだったのかは不明ですね。

出自はどうであれ、今のところ上総酒井氏の祖とされる人物は酒井定隆みたいです。
1521年、それまで田間城を居城にしていた定隆が城の手狭を理由にこの東金城に拠点を移し、以降は東金酒井氏の居城として5代に渡って使用されていました。

後北条氏と里見氏の勢力争いの中で、東金酒井氏はちょうど勢力の境目あたりに所領が位置していたため、同じ上総酒井氏の一族である土気酒井氏などと同様にしばらくは両勢力の間で翻弄されることとなります。特に第二次国府台合戦の際は土気酒井氏が里見氏側に味方したため、同族においての合戦も行われました。土気酒井氏は後北条氏に何年にも渡って頑強に抵抗しますが、後北条氏の度重なる攻撃の前に両酒井氏はついに降伏。
以降は後北条氏の勢力下で活動しますが、1590年の秀吉による小田原征伐によって後北条氏方の両酒井氏は所領を没収され、没落してしまいました。

城跡には東金御成街道の終点として、鷹狩りのための休息場である東金御殿が造られました。付近に残る八鶴湖は、このときに拡張されて現在の規模になったと伝えられています。

↓以前の記事です。
東金城は田間城より南西1kmほどの場所に築かれています。田間城を後にしたのが15:00。事前のリサーチで東金城は16:00まで
しか見学できないということを知っていたので、ちょっと今回は無理かなと思って諦めかけていたんですけど、国道を走っていると見るからに険しそうな山を発見。ナビを見ると、そこには東金城の文字が。あまり時間は無かったんですけど、見つけてしまったからには仕方ないと思って訪問してみました。実質、滞在は20~30分だったので、全体を見て回れなかったのが残念。
構造は千葉南部に多い、細尾根を利用した平山城です。戦時中にはトーチカなども設置されたみたいで、戦争史跡としても楽し
むことが可能です。

※動画はまだ作成していません
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↑大まかな東金城の概略図。
田間城から東金城に居城を変更したのは、東金城のもつ防御性によるところが大きかったのでしょうか。

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↑ストリートビューで見る東金城遠視。国道を走っていると、街中にポツンと現れる険峻な山が東金城址です。まさに要害といった感じの雰囲気だったので、遠めでもすぐに位置がわかりました。
【2013年9月 追加】

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↑【八鶴湖越しに見た東金城】
中央に見えるコンクリ建造物は東金高校の校舎で、この場所には江戸時代、将軍が鷹狩をする際に使用した東金御殿が建てられていました。八鶴湖もこの御殿建設の際に、もともとあったとき池を拡張して広げたものだとか。

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↑その東金御殿に冠する案内。

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↑【東金城の入り口】
見学時間は9:00~16:00までなので、時間には注意しましょう。

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↑【防空壕(戦争史跡①)】
防空壕です。こういう穴が開いていると、なぜか覗きたくなるんですよね。探究心をくすぐられるのかも知れません。

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↑主郭方面への登り道。余談ですが、こういう石階段って何気に歩きづらくないですか?

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↑【郭跡?】
道中、郭跡のような場所とか散見されるのですが、時間が無いためとりあえず無視。戻りの時間も考慮しないといけないので、とりあえず主郭を目指します。

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↑登りきると小郭にでます。正面の碑には「御殿 山神社奥院」と刻まれているので、江戸時代には何かしらの建物があったのかも知れませんね。

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↑【堀切】
その小郭の裏手にある堀切。ここからさらに奥に進みます。

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↑【三郭】
で、ここが三郭。通路は一応確保されているんですけど、それ以外は藪が凄くて形状は把握できず。

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↑ここはたぶん主郭と二郭の境目辺りかと。

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↑【二郭】
二郭。ここも藪が酷いですね。主郭(境が曖昧なので、正しくはたぶん主郭だと思われる場所)は下の郭を見下ろせたので、一番マシだった気がしますが、映像しか残ってないので画像は無しです。

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↑【トーチカ(戦争史跡②)】
そんな中、藪に埋もれるトーチカを発見。

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↑中はこんな感じ。フラッシュに反射する埃の数、凄まじいですね・・・。

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↑南西に伸びる支尾根を歩いてくると、ちょっとした広場が。この支尾根は、江戸時代には東金御殿を守る土塁のような役割を果たしたことでしょう。戦国時代には、正面の土壇に物見台でも造られていたのかもしれません。

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↑【蛸壺跡(戦争史跡③)】
その尾根道に置かれた、「蛸壺」と記された碑。今は埋められているのかもしれませんが、戦時中はそこかしこに蛸壺壕が設置してあったんでしょうかね。

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