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2013年2月

2013年2月28日 (木)

today news

秀吉、天下統一夢見た石垣 滋賀・水口岡山城の山頂に

豊臣秀吉が重臣に築かせた水口岡山城跡(滋賀県甲賀市)で、城のあった山頂付近を広範囲に囲む石垣が見つかり、市教育委員会が27日、発表した。

 築城された1585年は秀吉の天下統一の途中にあたり、調査した滋賀県立大の中井均准教授(日本考古学)は「当時としては最先端技術だった石垣を巡らせており、秀吉が東国制覇の足掛かりとしてこの城を重視したことが分かる」としている。

 城は高さ283メートルの山の頂上にある。石垣は、本丸などの主要部から20~30メートル低い位置で見つかった。城がある山頂周辺が広い範囲で高さ1.5~2メートルの石垣で囲まれていた可能性が高いといい、労力や技術をかけて築城されたことが分かるという。

 城主の長束正家が1600年の関ケ原の戦いで敗れた西軍だったため、廃城となった。市教委によると、壊された石垣の石がそのまま残っており、破壊された様子も分かり珍しいという。〔共同〕

日経新聞より抜粋です。現地報告会などもあるんでしょうかね?無ければ今が見時なのかも。

2013年2月27日 (水)

宍倉城 【常陸】

場所:茨城県かすみがうら市宍倉(場所)
訪問:2013年2月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀など
指定:市指定文化財
駐車:入口付近に路駐
満足:★★★★★★(6.0点)

宍倉城は1429~1440年の頃は野田遠江守の所轄でしたが、後の1501~1503年には小田氏家臣の菅谷隠岐守貞次が城主となり、周辺を統治していました。しかし佐竹氏の南進政策によって徐々に小田氏の勢力は衰退していき、1573年、佐竹氏に攻め込まれると菅谷氏は佐竹氏に降伏。以降は佐竹氏に従いますが、佐竹氏の秋田移封に伴って宍倉城も廃城となりました。

主郭は半分以上が耕作地になっていますが、周囲には広大な堀が良く残されていて、個人的には雰囲気をすごく楽しめました。平山城といっても台地続きの場所から城内に入るので、気軽に訪問できるというのもポイント高し。

※今のところYoutubeしかアップしていません
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↑確認した宍倉城の遺構をまとめてみました。 
※13/06/09 追加
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↑宍倉城の入り口。車は近辺に路駐させていただきました。
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↑本郭。入り口には案内板が設置されています。
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↑宍倉城の見所はなんといっても堀跡なんではないでしょうか。これは主郭西にある堀。
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↑こちらは東側の堀。規模は動画で確認してみてください。

2013年2月24日 (日)

石岡城(石岡外城) 【常陸】

場所:茨城県石岡市貝地(場所) ※印は主郭と思われる郭の場所です。訪問は岡田稲荷を目指すほうが判り易いのでご注意下さい。
訪問:2013年2月
形態:平山城
遺構:曲輪・土塁・空堀など
指定:なし
駐車:有
満足:★★★★(4.5点)

鎌倉時代、幕府から府中の地頭職を与えられた大掾氏が始めて居館を構えたことが石岡城の起こりだと伝えられているみたいです。
大掾氏が府中城を築いて拠点を移して以降はこのお城は外城と呼ばれ、支城として使用され続けたみたいなのですが、大掾氏の
滅亡に伴って廃城となりました。

城址は大半が耕作地として転用されており、郭の形状はだいたい掴めるものの、遺構は二郭跡に建てられている札掛神社(この札掛という名も、かつて城主だった札掛氏をまつっているためついている)の脇に残る堀跡と、本郭に土塁の一部を残すのみとなっています。

大掾氏が当初拠った場所ですし、石岡城以外にも周辺には茨城廃寺礎石や古墳などの史跡も残されているので、石岡府中城のついでに立ち寄ってみるのも悪くないかも知れません。ただ、ちょっと場所が判りづらいのが難点かな。

※今のところYoutubeしかアップしていません
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↑往時の郭の配置はこんな感じだったみたいです。おっと、三郭北東の土塁を入れ忘れた・・・ 
※13/06/09 追加
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↑岡田神社。他サイトでも結構触れられていますが、石岡城は目印が少ないうえに周辺の風景が似ているので、場所が判りづらいです。この岡田神社は入口に案内板も設置してあるので、とにかくここを目指すのが懸命だと思います。
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↑岡田神社の脇に残る空堀。
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↑鐘撞堂と名称されている土塁跡。
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↑郭内は全体的に耕作地化されています。
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↑周囲を散策していると、ちょっとした土壇が。遺構だったりすると嬉しいんだけど(笑)
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↑石岡城の近辺には古墳もあったりするので、あわせて訪問してみるのも良いかもしれません。

2013年2月21日 (木)

石岡府中城 【常陸】

場所:茨城県石岡市総社(場所)
訪問:2013年2月
形態:平山城
遺構:移築門・土塁・空堀など
指定:国指定史跡(常陸国府跡として)
駐車:有
満足:★★★★(4.5点)

常陸の名族、大掾氏が戦国時代に本拠にしていたのが石岡府中城です。大掾氏は分家が非常に多く、有名どころでも鹿島氏、真壁氏、行方氏などが揃いますが、関東大乱の幕開けともいえる上杉禅秀の乱のあたりから雲行きが怪しくなっていき、最後は秀吉に常陸統一のお墨付きをもらった佐竹氏によって滅ぼされてしまいました。

江戸時代、石岡府中城には初代水戸藩の藩主である徳川頼房の子息・松平頼隆が常陸府中藩主として二万石で入り、石岡陣屋を築いて使用されます。常陸府中藩は1871年の廃藩置県まで無事に存続し続けました。

石岡市の中心地に近い場所であるため、市街地化によって遺構は殆ど残されていません。明確に確認できるのは石岡小学校に残る陣屋の移築門と土塁、後は市街地の中ですけれど、本郭と二郭を仕切る堀の一部が確認できるのみですね。ただ、石岡府中城は恋瀬川沿いに丘陵の先端部分に設けられていたみたいで、その地形から往時を偲ぶことは十分に可能だと思います。

あと、驚いたのは鎌倉以前は石岡が常陸の国府だったみたいで、石岡小学校が常陸国府跡として国指定史跡になっているということ。調査の後に遺構は全て埋め戻され、現在は普通にグランドとして使用されているので、パッと見ただけでは判別がつきません。小学校の敷地内(というかグランドの横)に民族資料館が建てられているので、見学するといろいろ判って楽しいですよ。

※今のところYoutubeしかアップしていません
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↑現地案内より府中城跡見取図。
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↑往時の郭の配置を簡単にまとめてみました。遺構も少数ながら確認できますし、宅地化されながらも往時の雰囲気はしっかり残されていることが判ります。 
※13/06/09 追加
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↑石岡陣屋の移築門。
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↑城跡というだけでなく、この付近は古より重要視されてきた場所だったんでしょうね。詳しくは民族資料館にて確認してみて下さい。
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↑数少ない遺構のひとつ、土塁です。
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↑こちらは堀跡。

2013年2月18日 (月)

小坂城 【常陸】

場所:茨城県牛久市小坂町(場所)
訪問:2013年1月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・土塁・櫓台など
指定:なし
駐車:有
満足:★★★★★★★(7.0点)

小阪城は岡見城と同じく小野川の北岸に築かれています。岡見城との距離は直線でおよそ2kmほど。江戸崎城を本拠とする土岐氏との最前線を守備していたのか、対岸には土岐氏の泉城が築かれています。

現在、城址は公園として整備されており、非常に散策しやすい環境が整えられています。一部明確な破壊あとが残るものの、残された遺構はなかなか素晴らしく、お勧めできる史跡でした。

※ニコニコ動画版は動画検索のマイリストからお願いします。
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↑現地案内にあった概略図。
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↑入口。このすぐ背後に駐車場も設置されています。
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↑小坂城は案内が細かく設置されていて、非常に親切です。これはこの周辺に伝わる笄松物語。
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↑江戸崎土岐氏側の小泉城は目と鼻の先です。真ん中ちょっと左くらいに鉄塔が見えると思うのですが、小泉城の場所はその鉄塔のちょっと奥くらいになるのかな。
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↑一の曲輪。発掘調査で柱穴などが見つかっています。
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↑L字型の形状をしている二の曲輪。
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↑二の曲輪の横堀。堀跡が良く残っているのも、小坂城の特徴です。
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↑二の曲輪の虎口。この虎口を突破して二の曲輪に入っても、一の曲輪にある櫓台からの横矢が待ち構えています。
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↑三の曲輪。四つの虎口があり、馬出のような使われ方をしたんだと思います。

2013年2月14日 (木)

岡見城 【常陸】

場所:茨城県牛久市岡見町(本殿→場所)(西殿→場所)
訪問:2013年1月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・土塁など
指定:なし
駐車:入口付近に路駐しました
満足:★★★★★(5.5点)

岡見氏はもともと下総相馬氏の一族だったみたいなのですが、後に小田氏から養子を迎え入れ牛久城を本拠に周辺を支配していました。その岡見氏が牛久城を築く前に居館としていたのが、この岡見城といわれているみたいです。地名も岡見ですしね。ここが岡見氏発祥の地と考えても、問題なさそう。

小野川の北岸にある台地に沿って、遺構と思われる場所は複数あるみたいですが、今回は主要部と思われる「本殿」と「西殿」を散策してきました。
天保の岡見村絵図には、小野川寄りに土塁や枡形の大手などが描かれているみたいですね。どんな位置関係になっているのか興
味があるので、一度見てみたいなぁ。

※いまのところYoutubeのみのアップです
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↑岡見城の入口に設置されている城址碑。
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↑郭内部。
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↑岡見城北側に残る空堀。
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↑岡見城と西電の間の谷戸にある溜池。隅には文字はかすれながらも、投手などの文字が一部判別できる謎の石柱がありました。
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↑西殿の土塁。
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↑西殿内部。内部には立ち入りませんでした。

2013年2月12日 (火)

2/11 訪城報告

今日(11日)は常陸の名族・大掾氏が本拠にしていた石岡府中城→石岡城(石岡外城)を訪問しつつ、続いてかすみがうら市の宍倉城→戸崎城→山崎出城とまわってきました。いずれも「図説・茨城の城郭」に掲載されています。


詳細はいつもの通り個別で紹介いたしますが、石岡府中城の三郭であり、江戸時代は石岡陣屋が築かれていた場所にある石岡小学校は、今は国指定史跡になっているんですよね。ちょっと驚きました。

宍倉城・戸崎城もなかなかのもので楽しめましたが、一番は戸崎城の出城であったと考えられている山崎出城ですかね。縦土塁みたいなものも見れて、ちょっとテンションがあがっちゃいました。

反省点はまた長話をしてしまったこと。住民の方ならではの話が聞けるので楽しいですし有意義ではあるんですけど、ほどほどにしておかないとね。前回予定だけで訪問できなかった高井城を今度こそと思っていたんですけど、今回もまわれずじまい。

大掾氏の本拠である石岡城も見学したので、次回は霞ヶ浦の対岸というか、行方をまわってみようと思っています。訪問日はまだ未定ですけどね。2月中に訪問できるといいんだけど・・・。

2013年2月11日 (月)

久野城 【常陸】

場所:茨城県牛久市久野町(場所)
訪問:2013年1月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・土塁など
指定:なし
駐車:墓地入り口付近の路肩に駐車
満足:★★★★★(5.5点)

久野城も下小池城と同じく、乙戸川の北岸に築かれたお城跡です。下小池城と久野城は直線で1.5kmほどしか離れておらず、下小池城と同じように、岡見氏との境目を守備する役割を担っていたものと思われます。

主郭と思われる台地南東端にある郭にはお墓が設置されています。路肩に駐車できるスペースもあるので、この方面から訪問するのが無難だと思いますね。
見所は台地から久野城に入る際に使用されていたであろう虎口。堀切を二重に設けてあって、馬出のような空間も残されていま
す。

※三郭の虎口部分をブログ用にアップしました。
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↑久野城の遺構の状態をまとめてみました。 
※13/06/09 追加
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↑西から見た久野城。
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↑本郭に設置されている墓地へお参りに行くための道があります。ここから城内を目指しました。
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↑主郭に至る途中にも腰郭のような平地がちらほら。まあ、墓地設置のために改変されただけかもしれませんね。
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↑主郭。しっかりと土塁も残されています。
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↑主郭の東にある二郭。結構な広さがあります。主郭にはお墓もありますし、昔はお寺なんかが建てられていたのかもなんて想像してみたり。
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↑主郭の北にある堀切。写真右はその堀切にかかる土橋と思われる土壇。実際に現地で見ると凹凸はもっとハッキリしてるんですけど、画像だと判りづらいですね。中央なんですけど、よ~く目を凝らしていただけると判るかな!?

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↑堀切の先にあるのが三郭。
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↑三郭の北には大きな谷戸が。この谷戸は三郭に食い込むようになっていて、三郭の先に続く台地との接続部分は幅が狭くなっています。

この狭幅の部分、台地から城内に入るための虎口だったと思われる場所で、今でも二重堀と土塁が残されています。ここ、画像だと構造が伝えづらいですし、映像も撮影してあることなので、ブログ用にこの部分だけYoutubeにアップしておきました。




せっかく撮影したんだし、映像はこういう活用方法もありですかね。これだったら編集に時間もかからないし、今後もやってみようかな。


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↑城内(特に本郭周辺)には、このような棘がついた植物がいっぱい群生していました。チクチク痛くて、ちょっと歩きづらかったな。
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↑すぐ傍の霊園にある牛久大仏。二郭の画像にも頭部が少し写りこんでいましたが、滅茶苦茶でかい大仏です。

2013年2月 6日 (水)

下小池城 【常陸】

場所:茨城県稲敷郡阿見町小池(場所)
訪問:2013年1月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・土塁など
指定:不明
駐車:有
満足:★★★★★(5.0点)

「図説・茨城の城郭」によると、下小池城は土岐氏に所属するお城だったみたいですね。すぐ南を流れる乙戸川流域は、牛久城本拠とする岡見氏と土岐氏の境目にあたる地域だったみたいで、乙戸川の北岸には5ヶ所もの城跡が集中にて残されているみたいです。
その中でも下小池城は小池城址公園として整備されているので、比較的訪問し易い場所といえるのではないでしょうか。

ただ、遺構の確認となると話は別で、三郭は非常によく整備されているのですが、それ以外の場所は変にフェンスで仕切ってあって奥に進みづらいですし、本郭は凄まじい藪で内部の状況はよく判らず。
本郭の藪は仕方ないとしても、フェンスで仕切ってあるのはどういう意味があるんでしょうかね。一区画だけフェンスに切れ目
があるので本郭まで入ることは出来るんですけど、奥は立ち入り禁止なんだと勘違いしちゃう人も多そう。

旧状はよく判りませんが、三郭はかなりの面積を持つ郭ですし、坂田城や東林寺城に似た感じを受けますね。下小池城は兵の駐屯地として使用されていたのかも知れません。

※動画はまだ作成していません
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↑確認した下小池城の遺構の状態。 
※13/06/09
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↑三郭。見ての通り、よく公園として整備されています。部分的に見られる凹凸(写真右)は遺構なんでしょうかね。判断がつきません。
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↑下小池城の脇は広大な谷戸です。写真右は三郭から見た谷戸。谷戸には池があるので、昔は乙部川と繋がるような湿地だったのかもしれません。
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↑二郭の堀と土塁。ただ、この虎口付近以外はフェンスが設置してあるので、遺構が見づらかったです。写真右は虎口を内側からみたところ。小さな石塔が残されていました。
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↑二郭。扱いが三郭とは雲泥の差ですね。
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↑しかも郭内はフェンスで仕切られていて、移動が制限されています。なにか諸事情(例えばここから先は私有地とか?)があってのことなんでしょうけど、これだと一般の人はあまり奥まで行こうとは思わないような・・・。
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↑実際、奥まで進むのは無理なのかなと思ってしまいました。ただ、フェンス沿いに歩いていると、このような切れ目を発見。
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↑北西側から撮影した本郭の堀。なんだか本郭は藪が凄そうですね。果たして入れるんだろうか・・・。
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↑周囲をてくてく歩いていると、本郭西側に土橋のようなものを発見。といっても、この画像じゃ判別できないですよね(笑)。一応、真ん中あたりにある藪の切れ目が土橋のような場所です。
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↑確認できた範囲は大した事ないですけど、本郭内部は段差があったので二段に分かれているんでしょうかね。写真左は土橋を渡ってすぐの場所。写真右はそこから段差を登りつつ、郭奥に少し進んで撮影。何がなにやらさっぱり。
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↑本郭の北東隅には折が設けてありました。
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↑この折のあたりは若干藪が緩いので、本郭の様子を少し確認することが出来ました。画像は確認できた土塁です。
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↑二郭にあった窪地。詳細は全くわかりませんが、井戸跡だということにしておこうかな。


2013年2月 1日 (金)

塙城 【常陸】

場所:茨城県稲敷郡阿見町塙(南→場所)(北→場所)
訪問:2013年1月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・土塁など
指定:不明
駐車:なし ※北・南ともに入口付近に駐車しました
満足:★★★★★★(6.0点)

「図説・茨城の城郭」によると、塙城は江戸崎城を本拠にしていた土岐氏の配下にあった館野氏の居館だったと伝承されているみたいですね。遺構は南側台地と北側台地に分かれているので、googlemapでの場所表記も二つに分けてみました。

南側はそれこそ居館跡といった感じの遺構で、2つの曲輪に土塁や空堀が程よく残されています。二郭の南東方面は台地が続いているんですけど、そちらは住宅の敷地に立ち入ってしまう形になってしまうので、あまり突っ込んで確認はしていません。
北側の遺構は空堀がメインです。郭として使用されていたであろう平地が土塁の向こうに残されているみたいなんですけど、そ
こまで確認はしませんでした。

南側の居館に対して北側はどのような役割を果たしたんでしょうかね。時期的なもので散策するのは全く問題なかったですけど、積極的に手入れしているような雰囲気は受けなかったので、夏場はちょっと厳しいかも知れません。

※動画はまだ作成していません
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↑塙城の状態を簡単にまとめてみました。 ※13/06/09 追加
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↑東側から見た塙城。左側が城館跡の南城で、右が堀切などが確認できる北側遺構です。
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↑まずは居館の残る塙城から歩いていきます。台地南のこの場所から奥を目指しました。
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↑台地上にあがる道はあきらかに後世に改変されたものです。途中で横堀も貫通しちゃってましたしね。
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↑台地上にあがってすぐ左の茂みに入るとお社が。そこが二郭です。周囲には土塁がよく残されています。
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↑西側の土塁には切れこみがあり、その先には土橋がありました。土橋の先は明らかに民家の庭先っぽいので、行動は控えめに。
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↑二郭西側の堀。写真左は二郭の外から堀を撮影したもので、右は二郭土塁の上から撮影。
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↑ちなにみ二郭の南側も横堀が走っています。こちらも良い雰囲気。
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↑二郭と本郭は土塁で仕切られています。
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↑本郭。
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↑低いですけど、本郭北側の土塁。
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↑本郭の真ん中あたりにはインパクトのある切通しが。これ、やっぱり後世の改変された跡なんでしょうかね?写真右は台地下から切通しを見上げたところ。
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↑でも、反対側の端にも竪堀みたいな場所があるんですよね。ここも後世に造られたっぽいんですけど・・・。
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↑本郭の東側には幅広の土壇が残されています。よく櫓台と紹介されている場所ですけど、もしかしたら本郭には後世に神社などが建てられていて、この土壇はその名残りとかではないのかなと。で、先ほどの切通しは参道として造られたんだとすれば合点がいくのかななんてちょっと考えたり。
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↑台地南側。田んぼになっている低地は、霞ヶ浦から続く湿地だったりしたのかも知れませんね。写真右は土壇脇にある帯郭状の平地。
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↑続いて北側台地にある遺構へ移動します。間にある谷戸から訪問を試みたのですが、こちら側からは無理そう。明らかに民家の裏ですしね。
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↑そんなわけで、西側から入りました。画像は入り口です。
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↑中には堀跡が残されていました。土塁の奥には郭跡も残されているみたいですが、竹が凄かったのでそこまでは確認せずに終了。

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