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2013年3月

2013年3月31日 (日)

木崎城 【常陸】 1/2

場所:茨城県行方市内宿(場所)
訪問:2013年3月
形態:平山城
遺構:曲輪・横堀・土塁など
指定:行方市指定有形文化財
駐車:神社側などに駐車できます
満足:★★★★★★
(6.0点→7.5点)

木崎城は常陸武田氏が神明城に変わる居城として築城しました。当地の常陸武田氏は1392年、甲斐武田家12代当主信春の子・武田信久が北浦に居城を構えたのが始まりとされているみたいなので、武田氏発祥云々で言われるひたちなか市の武田氏とは、元の発祥は同じでもちょっと毛並みが違いますね。どちらかといえば上総武田氏や若狭武田氏に近い感じと言ったほうが良いのかも。
木崎城の常陸武田氏は「南方三十三館の仕置き」で謀殺され、滅亡しました。木崎城も程なくして廃城になったものと思われます。

城址だった高台は工場や畑などに転用されている部分もあったりしますが、独立した高台であることに加え、横堀が良く残されているので往時の雰囲気に浸ることは十分に可能だと思います。
今回、主要部の横堀はぼちぼち見学させていただいたのですが、入口付近にある三郭の堀の遺構を完全に見逃してしまいました。なんか土橋なども残っていそうな感じなので、惜しいことをしたとちょっと後悔ですね。いずれまた訪問して、確認してきたいと思います。


※3/30にⅢ郭の堀を確認してきました。内容はこちら

※動画はまだ作成していません
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↑木崎城の中枢部分があった台地への入口。北浦バイパス(国道354)には木崎城址の案内板も設置してあるので、場所は判り易いですね。
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↑この茂みに中に巨大な堀と、その堀に架かる長い土橋があるらしいのですが、このときは完全に見逃してしまいました。
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↑台地上は3つの区画に分けられます。
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↑で、これがⅢの現況です。広大な郭には農地と工場、あと住宅が三軒ほど並んでいます。
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↑香取神社が建てられているⅠ。入口の鳥居付近には土塁がしっかり。
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↑一部消滅している感は否めませんが、全体的には横堀が非常に良い感じで残されています。写真右は北西隅にあった土壇。これは周囲を覆っていた土塁の名残なのでしょうか。
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↑ⅠとⅡの間にある堀。Ⅰ外周の堀より深度が浅いんですけど、これも往時からの仕様なんでしょうかね。
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↑Ⅱは薮薮しているので途中で散策を中止しました。写真右はⅢから見たⅡの状況。
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↑Ⅱに残されている土塁。

続いてⅢの堀の紹介です。

その2

2013年3月30日 (土)

3/30 訪城報告

今年はいつにもまして寒暖の差が激しいですね。
快適に散策できるシーズンも僅かとなりましたので、今日は3週間ぶりのお城廻りです。

今回は朝の5:30に出発して、手賀城→玉造城→芹沢城→木崎城(2)→山田城(2)→相賀城→小高城→麻生城と訪問してきました。

第一の目的地、手賀城には6:50頃に到着。昨夜の天気予報では、茨城県は曇りの予報だった筈なのですが、常磐道を走るちょっと前から小雨がパラパラと降り注ぐ嫌な感じ。手賀城は本日訪問する城址の中でも一番薮が凄そうでしたし、小雨&薄暗い&何故か寒いという悪条件でしたが、残る三重堀は見事の一言。
でも、竹薮が酷くて主郭には近づけませんでした。

木崎城は前回見逃した、三郭の堀を確認。ここ、確かに堀の大きさが凄いですね。小田原城に残る小峰大堀切よりも迫力あるかも。

山田城は前回訪問から3週間経ったので、整備がどのように終了したのかを確認しに寄ったのですが、正直言って前回訪問の状態と何も変わりありませんでした。違いといえば重機&作業員がいなくなったくらい。
整備が終われば北浦を良条件で眺められるって言ってたのにね(´・ω・`)
山田城を見るぶんには薮が刈られて見学し易くなったんですけど、自分が質問した作業員さんが「来週いっぱいで何とか作業を終わらせる」って話していたのは、単純に作業を先伸○×・・・

相賀城、小高城ともに遺構(特に堀)が良好に残っていて非常に楽しめたんですけど、特に小高城が良かったです。以外に城址も大きかったので、小高城が約2時間と本日最長の滞在時間になったのかな。

鹿行の訪問はあと1回で終了です。
長山城や島崎城、あとは鹿島城かな。この辺を押さえつつ、余力であと何箇所の訪問が出来るかって感じなんですけど、まだギリでシーズン内なので、早めに訪問しておきたいですね。来週、再来週くらいが勝負か・・・。

2013年3月28日 (木)

山田城(行方) 【常陸】

場所:茨城県行方市山田(場所)
訪問:2013年3月
形態:平山城
遺構:曲輪・横堀・竪堀・土塁・土橋など
指定:不明
駐車:入口前の道が結構幅広なので、そこに路駐させていただきました
満足:★★★★★★★★(8.0点)

詳細はよく判らないのですが、名前の通り山田氏のお城だったみたいですね。南方三十三館なので、やはり佐竹氏によって滅ぼされたのでしょうか。

山田城のことをネットで調べてみると薮に埋もれた残念な城跡ということだったので、訪問前はあまり期待していなかったのですが、訪問してみると2013年3月初旬現在ですが、北浦の景観を楽しめる&史跡という関係で、市による整備作業が着々と進行している最中でした。ぱっと見た感じでは、羽黒神社のある櫓台状の場所付近までアスファルトの道が整備されるような雰囲気でしたが、完成すると果たしてどのような感じになんでしょうかね。周囲の郭は、重機が入って薮を除去しつつの整地作業中でした。重機が入ることで一部の壁面が崩されて、大きな虎口っぽい道が出来てしまったりしていましたが、薮が除去されたのは本当に有難いことですね。そう考えると、その辺りの多少の改変も仕方のないことなのかな。

山田城は主要部北側の雄大な横堀が非常に良く残されていて、かなりの良城跡だと思いました。その横堀、一部は二重堀になったり、見様によっては先端は三重堀っぽかったり・・・。
最北端にある一番外側の横堀はかなり奥まで続いていて、途中でぶつかる支尾根の先にも堀切(だと思われる遺構)が残されていたりしていました。残存具合もそうなんですが、以外に城域が広いことに驚かされたましたね。自宅に帰って調べると、自分が最後に歩いた畑のちょっと先には山田北城なる遺構も見つかっているみたいなので、あの支尾根付近も連絡口として使用されていたのかもしれず・・・。
もしかしたら、畑の当たりにも設備があったのかもしれませんね。地主にはいろいろと質問をしてしまいましたが、普通の人には訳のわからない内容の話だったろうに程よくお付き合いいただきまして、本当に有難うございました。

堀底には橋脚台の跡なのか、土橋とも言えない畝のような膨らみが各堀にそれぞれ残されていて、堀底に降りなくても往時は主郭から一番外の横堀まで移動できたんではないでしょうか。なんていろいろな想像が出来るくらい、じっかりと遺構が残されています。かなりお勧めの城址です。

※動画
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↑GoogleMapを利用して大まかにですが、山田城の横堀を記してみました。記載されている数字は、以下で紹介する写真のだいたいの位置です。

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↑① 主郭だったと思われる場所です。右側に見えるのが、天守台と言ってしまっても良さそうな感じを受ける土壇。この郭、今回の作業が入る前は本当に凄い薮だったみたいですね。写真左の奥にまだ残されている薮の状況を見れば、薮がどれだけ凄かったのかを理解できるんじゃないでしょうか。
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↑② 往時の主郭の虎口だったのでしょうか。人ひとりが歩けるくらいの幅の、ちょっとしたスロープが残されていました。ちなみに写真右に僅かに見える切込み道、これは今回の整備作業の中で、重機を主郭まで移動させるために造られたものです。もとあった道を拡張したのか、はたまた全く新規に作成されたものなのか、そこまで突っ込んで聞く雰囲気ではなかったので、これ以上の詳細は不明です。
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↑③ 山田城の西端とも言える場所。ちょうど北浦幼稚園や円満寺の裏手に当たるんですけど、出丸みたいな扱いの場所だったのかな、なんて印象を受けました。
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↑④ 写真左は主郭を囲む横堀。写真右は土塁の外に設けられている帯郭。山田城の見所は何といってもこの横堀にあると思います。
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↑⑤ 横堀は内側から数えると三層になっていて、それぞれに接続地点が設けられています。写真左は中と外の堀が接続するポイントで、写真右は外の横堀を接続ポイントから撮影したところ。
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↑この横堀、山田城にある台地と北側の台地を接続する通路のような感じになっているので、もしかしたら大手道として使われていたのかもなんて考えてみたり。写真では何がなんだかという感じですが、結構しっかりした横堀が東にむかって残されています。
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↑⑥ 横堀は途中で支尾根というか、北にむかう尾根と接続しています。その北にむかう尾根に入ってしばらく歩いてみると、尾根に沿っていくつかのぽこっとした窪みが残されていました。何かしらの遺構なんでしょうけど、いつの時代にどのような意図を持って造られたものなんでしょうね。
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↑⑦ 窪地の脇には尾根に沿って古道が走っていますし、古道の隣は掘削地になっていて、明らかに昔は屋敷か畑に使用されていたような雰囲気を受けます。写真はその掘削地というか窪地の様子。周囲の荒れ具合などから考えても、放棄されたのは結構前のことなのかな。
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↑⑧ さらに北に歩いてくると、立派な堀切が姿を現しました。これはさすがに遺構だろうと思ったのですが、一応周囲を確認してみると・・・
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↑ちょっと周囲の状況を描いてみました。この堀切、尾根に上がってみると、その先にこれも何故あるのか用途不明の横堀状の通路と何故か竪堀を通して繋がっていて、堀切としては明らかにおかしな構造をしていることがわかります。このあたり、動画も見てみると判りやすいと思うんですけどね(動画だと14:00あたりが該当ポイントです)。

正直、自分はこういうことに素人というか、農地・農道っぽいことに関する知識は殆ど持ち合わせていないので、さっぱり見当がつきません。
ここから北に100mも離れていない場所はちょっとした台地になっているのですが、そこは農地として現在も使用されていて、立派なビニールハウスが立ち並んでいます。その農地の地主の方がいらっしゃったのでいろいろと質問をしてみたのですが、あまり古いことは判らないとのことで、尾根にあった数々の遺構に関しての情報というか収穫はありませんでした。歩いてきた古道も随分前から使われていないらしいですしね。まあ、普通はあんなところ歩かないよな・・・。

自宅に戻って調べてみると、この農地の少し先にも山田城北出城という遺構が残されているということが判明。そのさらに北はゴルフ場化されてしまっているので旧状は判りませんが、何にせよ往時は山田城の連絡通路として使われていたことは間違いなさそうですね。
あの堀切が大手道の名残だったりすると面白いんだけどなぁ。

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↑最後に山田城から見た北浦。整備ももう終わっていると思いますし、シーズンギリギリの今が一番良い状態で見れるんじゃないかと思いますよ。

2013年3月27日 (水)

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被災土蔵から伊達政宗の密書 茨城、武士に蜂起促す

東日本大震災で被災した茨城県ひたちなか市の土蔵から、戦国武将・伊達政宗が常陸(茨城県)の武士に宛てた密書とみられる起請文(誓約書)が見つかったことが27日までに分かった。

対立する大名からの離反を促す内容。文化財の保全に取り組む民間団体「茨城史料ネット」の高橋修茨城大教授(日本中世史)は「政宗が関東へ南下する機会をうかがう中で、常陸での蜂起を期待したのではないか」と指摘している。

土蔵は壁や瓦が壊れる被害があった。所有者の家族が片付けていて「政宗」と書かれた書簡を発見。連絡を受けた高橋教授らが調べた。

起請文は政宗が1589年(天正17年)、常陸の大名、佐竹義宣の配下にあった額田城(現在の茨城県那珂市)の城主、小野崎昭通に宛てたもの。

同じ佐竹氏配下の江戸氏に勝てば、領地の一部を分与することを約束する「中川北ニ江戸領之内(中略)可宛行(那珂川北岸の江戸氏の所領をあてがう)」との記述や、小野崎氏が佐竹氏から離反する場合を想定した「其元事切候以後(おまえが手切れした後)」との記述もあった。

那珂市歴史民俗資料館で4月27日から5月12日まで特別公開される。〔共同〕

資料、見てみたいんですけどね。額田城は太田城のちょっと下くらいの場所ですから、何気に遠いのがネックかな。
あと、新たな記事を見つけました。↓ついでにこれも掲載。


「天空の城」観覧が有料に 兵庫・竹田城跡、利用者急増で

「天空の城」とも呼ばれ、ここ数年で訪れる人が急増している兵庫県朝来市の国史跡・竹田城跡の観覧料を徴収する条例が27日、市議会で可決、成立した。

竹田城は1400年代中ごろに築かれたとされ、今は400年ほど前に標高約350メートルの山頂に造られた石垣が残るだけ。気象条件によっては近くの川から霧が発生し、雲海となって周囲を取り囲み、天空に浮かび上がるように見える。

来場者は2010年度に5万2千人だったが、新聞や雑誌に幻想的な写真がたびたび掲載された影響もあり、11年度は9万8千人、12年度は21万5千人に急増。朝来市はトイレの維持管理費や警備費の捻出を迫られていた。

市によると、今年10月以降、高校生以上から300円を徴収する。中学生以下は無料。閑散期の12月11日から3月19日までは対象外。

市の担当者は「訪れた人に快適に過ごしてもらうために使うので、ご理解いただきたい」と話している。〔共同〕

たしか安土城も有料なんですよね。有料化による余計な改悪とか無い様であれば、古城の認知がもっと広まってプラスに働くのかもしれないけど、どうなんでしょうかね。
そういえばヒストリーチャンネルはたまに日本の古城とかいって特集組んでたりしますけど、他特集なんかと比べて視聴率がどうなのか気になるところです。

2013年3月25日 (月)

札城 【常陸】

場所:茨城県鉾田市札(場所)
訪問:2013年3月
形態:平山城
遺構:曲輪・横堀・竪堀・土塁・土橋など
指定:不明
駐車:公民館に駐車させていただきました
満足:★★★★★★(6.5点)

札城は大掾氏の一族である馬場氏が築城したとされているみたいですね。馬場氏はその後、札氏と名を改めています。
札氏は「南方三十三館の仕置き」による誘殺を直前で察知して難を逃れますが、その後は蟄居&程なくして病死とあるみたいなので、勢力維持までには繋がらなかったということなんでしょうね。程なくして札城も廃城になったものと思われます。

札城は台地の西端を南北に沿うようにして、郭が残されています。この台地のすぐ西は北浦という湖なので、台地の伸びる東側に城域というか備えを固めていたんじゃないかと思うのですが、そっちは薮やら畑なので、あまり散策はしませんでした。
松尾神社近辺にある、主郭とされる郭の周囲は雄大な横堀が残されていて、堀が非常に見応えのある城址です。特に二重堀付近は迫力があって、とても良かったですね。

※動画
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↑札城の郭の配置図。 
※13/06/09 追加
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↑札城は北浦に接する台地の西端に設けられています。ちなみに中居氏の居城だった中居城とは直線で1kmも離れていません。
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↑札城の面影は堀切を境に北部と南部の2区画で感じることが出来ますが、遺構として残されているのは主郭や二郭などが存在する北部のみです。
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↑現在の南部は普門寺の境内です。墓地の拡張工事で随分と改変されたみたいです。
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↑墓地の裏手。堀切近くは土塁のように盛土されているのですが、遺構なのかどうかはよく判らず・・・
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↑城内を二分する堀切。
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↑主郭の堀は一部が二重堀になっています。これは主郭北側の横堀。
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↑堀底には段差があって、場所によって深さに差があります。意図的だとすればどのような意味があったのでしょうか。
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↑主郭と二郭を繋ぐ土橋だったと思われる盛土。ただ、写真だと何がなんだかさっぱりですね。
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↑松尾神社へと続く参道。ここも往時は堀だったのかも知れません。

2013年3月22日 (金)

中居城 【常陸】

場所:茨城県鉾田市中居(場所)
訪問:2013年3月
形態:平山城
遺構:曲輪・横堀・竪堀・土塁など
指定:大洋村文化財
駐車:入口付近に駐車しました
満足:★★★★★★(6.5点)

鎌倉時代の初期、鹿島氏の一族が当地に入って中居を名乗ったのが中居氏の始まりです。中居氏は当初は白鳥城を居城にしていたのですが、勢力の拡大に伴ってより要害の地に本拠を移しました。それが中居城ですね。
中居氏最後の当主は、佐竹氏の「南方三十三館の仕置き」による誘殺を直前で察知して身を隠したみたいですが、結局は潜伏場所を察知されて捕縛、殺害されてしまいました。このことにより中居城は滅亡。程なくして中居城も廃城になったものと思われます。

一部土取りで削られてしまった郭もあるみたいですが、主郭まわりは空堀も含めて非常によく遺構が残されています。特に横堀は規模が大きいので迫力が凄い。
主要部の北端には念仏堀と呼ばれる堀跡が残されているみたいなのですが、竹薮に行く手を阻まれて念仏堀の見学は途中で断念してしまいました。まあ、今回は仕方なかったかな。

※動画
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↑中居城の概略図。
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↑主郭の虎口。虎口の正面には竪堀を設けて道幅を狭くする工夫がなされています。
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↑主郭は土塁と段差によって二段構成になっています。こちらは東側のⅠ郭。
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↑こちらは西側のⅡ郭。荒れ気味なので歩きづらいです。
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↑主郭は比較的良く土塁が残されているんですけど、北東隅には櫓台状に幅広く設計された場所が。ここは概略図を見ると、主郭を防衛する上で重要なポイントだったように感じますね。周囲の堀は規模も大きく、この土塁上からは結構な高低差があります。このあたりの雰囲気は、動画のほうがわかり易いかも。
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↑主郭南側の横堀。結構な大きさなので迫力十分です。
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↑ただ、西側まで歩いてくると、倒れた竹が増えて行く手を遮ります。
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↑主郭東側は郭が配置されているためか、堀の規模はそれ程でもないです。
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↑中居城の北端には念仏堀という堀切があるらしいのですが、倒れた竹に行く手を阻まれて途中で見学を断念。引き返しました。

2013年3月19日 (火)

蕨砦 【常陸】

場所:茨城県鉾田市青柳(場所)
訪問:2013年3月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・土塁など
指定:(?)文化財
駐車:入口付近に駐車可 ※民家脇なので、一言挨拶したほうが無難かも
満足:★★★★★★(6.5点)

小規模ながらも遺構は良好に保存されていますし、なにより藪刈がしっかりしていたので、非常に良い印象を持ちました。
周囲は道路建設やらで削られた感は否めませんが、比高差20mくらいの台地上に土塁に囲まれた空間や横堀がしっかりと残されています。

主郭の虎口は枡形って言っても良い感じの造りなんですよね。さらに脇には武者溜りと表現されても良いような雰囲気の郭が。
往時の役割が気になって仕方ない・・。

※Youtube版です。
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↑蕨砦の遺構を簡単にまとめてみました。 
※13/06/09 追加
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↑奥の丘が蕨砦です。入り口は民家の脇なので、住民がいらっしゃる場合は挨拶を忘れずに。
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↑小規模ながらも虎口や土塁など、遺構の残存具合は良好です。
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↑郭の西と南側に残る横堀。
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↑北側。下には道路が走っているので、その影響で削られているのか急斜面です。
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↑内部は土塁で3つに区分けされていました。

2013年3月16日 (土)

野友城 【常陸】

場所:茨城県鉾田市野友(場所)
訪問:2013年3月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・土塁など
指定:(?)文化財
駐車:入口付近に駐車可
満足:★★★★★★(6.5点)

木崎城を本拠にしていた常陸武田氏が領有していたみたいです。

周辺が土取りで削られていたりと不明瞭になってしまった部分は多々あるみたいですが、本郭を廻る雄大な空堀は迫力があってとても良かったです。堀外の土塁を歩けば高低差が楽しめますし、堀底道を歩くとそこかしこに凹凸があるのが判って二度おいしい。そんな感じでした。

本郭内部は藪が凄くてとても散策できたものではありませんが、ところどころに櫓台状の張出があるのを確認できたり、往時の雰囲気は十分に堪能できる城跡だと思いました。ただ、もうちょっと整備されていると恐らく・・・

※Youtube版です。
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↑おおまかですが、確認できた野友城の遺構の配置図。 
※13/06/09 追加

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↑野友城には規模の大きな堀が残されているので、なかなか楽しめる城跡だと思います。
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↑二郭から主郭に続く土橋のような通路。土橋といっても空堀に造られている訳ではなく、まるで縦土塁のような感じで、主郭の壁面に沿って造られている土橋です。
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↑主郭の内部は竹薮で、そんなに見学できる範囲は広くありません。写真右は櫓台状の土壇。ここには祠が設置されていました。

冒頭の動画とは別に、野友城主郭を一周する動画も編集してみました。周囲の状況や空堀の雰囲気などは、こちらの動画の方が伝わりやすいのかな?


■野友城の主郭の一周してみた

2013年3月13日 (水)

要害城 【常陸・安房】

場所:茨城県鉾田市安房(場所)
訪問:2013年3月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・土塁など
指定:なし?
駐車:向かう途中のちょっとしたスペースに駐車
満足:★★★★(4.0点)

三階城と向かい合う北側の台地に要害城は築かれていました。三階城の案内図にも支城としてしっかりと明記されています。

千葉県に残る本佐倉城で例えると、要害城は向根小屋城てきな位置づけになるのかな。対岸の台地を防御する砦的な役割を担っていたんだと思います。
郭内は凄まじい藪で散策を断念しましたが、それでも土塁や堀、土橋などは良い感じで残されていました。

※Youtube版です。
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↑今回確認できた安房・要害城の遺構。 
※13/06/09 追加
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↑要害城は三階城の案内にも掲載されています。三階城とは谷戸を挟んだすぐ北にある台地に設けられているので、三階城の北方を守る砦として使われていたんだと思われます。
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↑城址手前の畑まで車で来ようと思えば来れますね。ただ、農道なんで、自分はずっと手前で車を停めて歩いてきましたが。

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↑この茂みの中に遺構が残されているのですが・・・
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↑内部は結構な薮です。写真中央に土橋っぽいものがあって、左右には空堀。その堀の向こうには土塁があるんですけど、これじゃあ絶対に伝わらないですね(笑)。

2013年3月11日 (月)

三階城 【常陸】

場所:茨城県鉾田市安房(場所)
訪問:2013年3月
形態:平山城
遺構:曲輪・土塁など
指定:鉾田市指定文化財
駐車:入口付近にちょっとした駐車スペース有
満足:★★(2.0点)

徳宿氏三代目の長子・俊幹を安房(あんぼう)に配したことにより、安房氏が誕生しました。その安房氏の居城だったのが三階城です。安房氏は応永年間まで続きますが、上杉禅秀の乱に参加して安房氏は滅亡しました。
その後は鹿島氏家臣の額賀大炊助が在城していたみたいですが、以降は不明みたいです。

輪郭式のお城ということで、本日一番期待して訪問したのですが、まずはどこからアクセスしていいのか全くわからず。下調べのgoogleEarthでは、城址の南側には道がありわかり易そうだったのでそちらから訪問するも、民家に阻まれて付近にも近づけずじまい。
正直、入口を探すのも四苦八苦していたのですが、散歩中の付近の住民の方にお声かけしたところ、入口まで案内をしていただけるとのことだったので、何とか入口まで到着。
でもそこにあったのは、藪に埋もれた案内板でした。まさに(´・ω・`)
入口はこんなでも、もしかしたら中はいけるのかもしれないと一縷の望みを託しつつ突入するも、自分の身長を遥かに凌駕する猛烈な笹薮の前に途中で登城を断念。引き返しました。

ここ、アクセスもよくないんだろうな。入口付近が悪路の上に狭い農道なんで、人が寄り付きづらい。
市指定文化財で、ここまで完膚なきまでに叩きのめされたのは初めてかも。鉾田市さん、お願いしますよ。道だけでも藪除去されてると全然違いますって。

※Youtube版です。
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↑今回確認できた三階城の遺構。途中断念なので、かなり限定的です。 
※13/06/09 追加
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↑北から見た三階城。輪郭式ということで散策を凄い楽しみにしていたのですが・・・
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↑入り口。既に薮に埋もれてしまっています。
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↑案内は意外にしっかり。
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↑少し歩き回ってみたのですが、薮が酷くなってきたので途中で諦めました。

2013年3月10日 (日)

山田城の動画をアップしました

動画のアップロードによる更新は久しぶりですね。
茨城県行方市に残る山田城の動画を編集したので、Youtubeにて公開しました。



このお城、検索してもあまりHitしないんですよね。良い遺構が残されているのにこれだけHitしないってことは、如何に人を寄せ付けない薮だったのかを窺い知れる部分だと思います。
実際、残されている薮を見たら凄まじかったですしね。とてもじゃないけど、あれは無理。

良好に遺構が残されているのも、変に人を寄せ付けなかったという部分が大きいんでしょうか。今回の整備で、不用意に改悪されてしまうことには繋がって欲しくない。支障なく見たいけど、あまり手の込んだものは駄目。人間って我侭というか、なかなか難しいものですね。

ブログ記事の紹介は順番通りにしようかなと思うので、山田城の項はちょっと先になると思います。え~と、公開順でいうと明日が三階城で、次が要害城。以下、作成済み分で野友城、蕨砦と続いて、順番的には今週分の中居城、札城の次くらいかな。

せっかく整備作業が進行中なんだし、なかなか良城跡だったので山田城は先行して動画を公開したような感じです。なので、訪問可能な地域の方で興味あればぜひ、訪問してみてください。
横堀から続く北尾根に残る畝を使用した加工物や妙に凝った堀切など、いろいろな意見を聞いてみたいです。何しろ自分は専門家じゃないので。


ブログ記事ではもうちょっと動画を個別で使用してみたいと思っています。尺の問題ではしょった箇所も、有効活用できれば良いかな~なんて思ったりしてます。

Corelだとビットレートの調整が美味く出来ないんだよな。AviUtは不具合あったら嫌だし、なんか丁度いい最適化方法あれば助かるんだけど・・・

2013年3月 9日 (土)

3/9 訪城報告

今週は暖かい日が続きますね。
今年も早いもので、もう3月です。今シーズンも城址散策に絶好といえる日はあと少し。そんな訳で連投になりますが、今週も茨城県の霞ヶ浦周辺のお城を散策してきました。

今日訪問したのは茨城県鉾田市の中居城、札城と行方市の山田城、木崎城、神明城です。今回も山田城以外は「茨城の城郭」に掲載されているので、それを参考にさせていただきました。

で、今回。訪問した中で一番楽しかったのは、唯一「茨城の城郭」に掲載されていない山田城でした。ネットでの事前調査では薮が凄まじいということで訪問前はあまり期待していなかったのですが、行方市が整備を業者に依頼(ただ、城址だから整備という訳ではないみたいで、あくまで湖を見るのに良い場所が史跡だったと言ったほうが正解なのかも・・)していて、本日も作業の真っ最中。まだ完全に終了はしていないみたいですけど、来週~再来週には作業は完了するのではないでしょうか(業者さん曰く、そのように指示されているみたいなので)。
一部重機による改変が出来てしまいましたが、ゆっくり見学できる城址には生まれ変わりますね。

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↑作業の様子。訪問がお昼休み時間だったので、作業中の場所は重機が動く前に足早で確認しながら撮影。

この山田城、なんと言っても見所は城址北側の二重堀(見方によっては三重堀でいいのかも)だと思うんですけど、一番北というか外側にある横堀(途中から竪堀っぽくなってます
)。これを伝ってずっと進んでいくと支尾根にぶつかるんですが、その支尾根で変な加工物を見つけました。

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それがこれなんですけどね。穴が点々と6ヶほど続いていて、まるで畝堀みたいな感じなんです。でも、支尾根に沿って並んでいるので、防御構造とも思えないしな~。
このあたり、明らかに加工されたような地形の広場や、その先には堀切なんかもあってなかなか見応えありました。
抜けた先にある畑の地主さんにいろいろお伺いしてみるも、あまり判らないみたいですね。城に関するものなのか、それとも違うのか、手がかりは掴めませんでした。

この陽気のせいなのか、まだ小さな蜘蛛が立派な巣をあちこちにはってました。山田城では野うさぎにも遭遇するし、今シーズンの薮漕ぎも意外に早く終了かも。

2013年3月 8日 (金)

徳宿城 【常陸】

場所:茨城県鉾田市徳宿(場所)
訪問:2013年3月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・土塁など
指定:鉾田町文化財に指定
駐車:案内板の向かいにある廃墟に駐車
満足:★★★★★★(6.0点)

徳宿城は平安末期ころに鹿島氏(大掾氏)一族の徳宿親幹によって築かれたとされています。
1486年、水戸城を本拠とする江戸氏が徳宿城に侵攻してきます。鹿行下総の大掾氏一族は徳宿城に援軍を向けますが、時の当主道幹は多勢に無勢と敗戦を悟り、敵勢になだれ込んで討ち死に。徳宿氏も滅亡となりました。

主郭には複数のお社が建てられていますが、その周辺以外は耕作地か藪多めといった感じです。ただ、主郭や二郭に残された土塁はなかなかの規模で見応えがあり、多少の藪漕ぎを苦にしないのであれば、往時の雰囲気を十分に感じ取れる城址だと思いました。もう少し、あと少し整備されていると非常に有難いんだけどな。

帰り際、次の移動場所をナビで設定していると土方風の格好をした男女(たぶん夫婦?)のあんちゃんの方が滅茶苦茶こっちを睨みながら脇の坂道を自転車で下っていかれました。なんかね、20年前くらい前にタイムスリップしたような感覚。なんだこいつと思ってこっちも見ていると、坂下で自転車を停めてこっちをまた睨んでるし。こういう奴って何をしたいのかね。尋常じゃない雰囲気だったけど、声をかけたら殴りかかるつもりだったのかな(笑)。

※Youtube版です。
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↑確認した徳宿城の郭の配置、及び遺構の位置。 
※13/06/09 追加
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↑南から見た徳宿城。
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↑台地先端の主郭。周囲は腰郭に覆われています。
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↑耕作地化などによって改変されている場所もありますが、堀や土塁は比較的良く残されています。写真の左側にあるのは二郭の土塁です。
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↑その二郭周辺は凄まじい薮でした。まあ、歩けない程では無いんですけど、撮影しても何がなんだか・・・。
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↑主郭の土塁上から見るとこんな感じ。土塁はしっかり残っているし高低差もあるので、もうちょっと手入れされていると有難いんですけどね。

2013年3月 5日 (火)

山崎出城 【常陸】

場所:茨城県かすみがうら市戸崎(場所)
訪問:2013年2月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・土塁など
指定:なし
駐車:このあたりに停めました(場所)
満足:★★★★★★(6.5点)

戸崎城の南東、台地続きの場所にこの山崎出城は残されています。場所がちょっと判りづらいんですけれど、戸崎城に設置してある案内図にも城域として含まれているので、参考にして移動してくるのが無難かも知れないですね。

小規模ながらも、堀や土塁が良い感じで残されているので、ちょっとした探索気分を味わえます。縦土塁のようなものも残されていたのが、特に興味深かったかな

※今のところYoutubeしかアップしていません
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↑戸崎城の案内にある戸崎城址の概略図。山崎出城はこの位置になります。
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↑今回確認した山崎出城の遺構の配置図 
※13/06/09 追加
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↑主要な郭は二つ。これは一番初めに訪問することになる郭なんですけど、デジカメで撮るの忘れてたみたいです。こんな写真しか残されてませんでした。
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↑ところどころに土塁も残されていますが、注意点がひとつ。動画でも話していますが、昔はこの郭内に山があったとのこと。確かに冒頭の概略図を見てもしっかり「山」と記入されています。どの程度の規模だったのかは判りませんが、改変されていることは確かですね。
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↑奥にある郭との間には堀切が残されています。こう画像で見ると迫力を全く感じませんが、実際には3m近くの深さがあります。
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↑奥の郭。周囲は帯郭が廻っています。
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↑この郭の北側には縦土塁のような場所も。山崎出城はそんなに大きな城址ではありませんが、個人的には結構楽しく散策できました。

2013年3月 3日 (日)

3/2 訪城報告

今回は茨城県鉾田市の城跡巡りということで、徳宿城→三階城→要害城→野友城→蕨砦と訪問してきました。
このうち徳宿城・三階城・野友城は「茨城の城郭」に縄張り付で掲載されています(項目は104~106です)。

鉾田市のお城に共通していたのは、全体的に藪が多いこと。三階城に至っては登城路自体が藪に埋もれてしまっていて、途中で断念という有様。野友城もあれだけ凄い堀が残されているんですから、もう少し整備されていると有難いんですけど・・・。
良かったのは蕨砦ですかね。土塁や横堀が非常に良好に残されていて、非常に楽しめました。

日差しからは徐々に春の訪れを感じれて良かったんですけど、強風には参りましたね。ビデオにはかなり風の音が入ってしまってると思うんですけど、音低めにすれば問題ないかな。まあ、内容をチェックしてから考えるとしますか。

2013年3月 2日 (土)

戸崎城 【常陸】

場所:茨城県かすみがうら市戸崎(場所)
訪問:2013年2月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀など
指定:市指定文化財
駐車:主郭付近に駐車しましたが、駐車できそうな場所は少ないので注意
満足:★★★★★(5.5点)

戸崎城の築城時期など詳細は不明みたいなんですけど、周辺の土浦城や宍倉城同様、小田氏家臣の菅谷氏が城主を務めていたものと推察されています。
1573年の佐竹氏の攻撃によって、宍倉城と同じく落城。1595年には佐竹氏家臣の飯塚兵部少輔が戸崎城を管理するために入城し
ましたが、佐竹氏の秋田移封に伴って廃城とされました。

城址は耕作地や住宅街に飲まれ、各郭には何かしらの施設が入ってしまっていますが、台地自体は非常によく面影を残していると思われるので、散策をすれば何かしらの発見がある城跡なんではないかと思います。
この台地は航空写真で見ると、南に霞ヶ浦、東から北にかけては川尻川が流れ、西は深い谷戸という非常に要害性に富んだ場所
だということが判りますね。現地案内図によればこの台地一帯に郭や宿が設けられていたみたいで、戸崎城はそれなりの勢力を有していたのではないかと思います。

この台地の西、現地案内でいう明光ヶ池がある谷戸は、南北に続く道路の拡張工事を行っていました。この工事によって遺構が極端に失われるなんてことは無いと思うんですけど、明光ヶ池は景観が変わってくるのかもしれません。ちょっと気になったので、状況をここで報告しておきます。

※今のところYoutubeしかアップしていません
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↑戸崎城の郭の配置図。 
※13/06/09 追加
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↑戸崎城の本郭。入り口には案内も設置されています。
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↑主郭の堀切。その先に見えるのは二郭です。
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↑主郭の帯郭。
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↑二郭の堀切。

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