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2013年3月28日 (木)

山田城(行方) 【常陸】

場所:茨城県行方市山田(場所)
訪問:2013年3月
形態:平山城
遺構:曲輪・横堀・竪堀・土塁・土橋など
指定:不明
駐車:入口前の道が結構幅広なので、そこに路駐させていただきました
満足:★★★★★★★★(8.0点)

詳細はよく判らないのですが、名前の通り山田氏のお城だったみたいですね。南方三十三館なので、やはり佐竹氏によって滅ぼされたのでしょうか。

山田城のことをネットで調べてみると薮に埋もれた残念な城跡ということだったので、訪問前はあまり期待していなかったのですが、訪問してみると2013年3月初旬現在ですが、北浦の景観を楽しめる&史跡という関係で、市による整備作業が着々と進行している最中でした。ぱっと見た感じでは、羽黒神社のある櫓台状の場所付近までアスファルトの道が整備されるような雰囲気でしたが、完成すると果たしてどのような感じになんでしょうかね。周囲の郭は、重機が入って薮を除去しつつの整地作業中でした。重機が入ることで一部の壁面が崩されて、大きな虎口っぽい道が出来てしまったりしていましたが、薮が除去されたのは本当に有難いことですね。そう考えると、その辺りの多少の改変も仕方のないことなのかな。

山田城は主要部北側の雄大な横堀が非常に良く残されていて、かなりの良城跡だと思いました。その横堀、一部は二重堀になったり、見様によっては先端は三重堀っぽかったり・・・。
最北端にある一番外側の横堀はかなり奥まで続いていて、途中でぶつかる支尾根の先にも堀切(だと思われる遺構)が残されていたりしていました。残存具合もそうなんですが、以外に城域が広いことに驚かされたましたね。自宅に帰って調べると、自分が最後に歩いた畑のちょっと先には山田北城なる遺構も見つかっているみたいなので、あの支尾根付近も連絡口として使用されていたのかもしれず・・・。
もしかしたら、畑の当たりにも設備があったのかもしれませんね。地主にはいろいろと質問をしてしまいましたが、普通の人には訳のわからない内容の話だったろうに程よくお付き合いいただきまして、本当に有難うございました。

堀底には橋脚台の跡なのか、土橋とも言えない畝のような膨らみが各堀にそれぞれ残されていて、堀底に降りなくても往時は主郭から一番外の横堀まで移動できたんではないでしょうか。なんていろいろな想像が出来るくらい、じっかりと遺構が残されています。かなりお勧めの城址です。

※動画
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↑GoogleMapを利用して大まかにですが、山田城の横堀を記してみました。記載されている数字は、以下で紹介する写真のだいたいの位置です。

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↑① 主郭だったと思われる場所です。右側に見えるのが、天守台と言ってしまっても良さそうな感じを受ける土壇。この郭、今回の作業が入る前は本当に凄い薮だったみたいですね。写真左の奥にまだ残されている薮の状況を見れば、薮がどれだけ凄かったのかを理解できるんじゃないでしょうか。
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↑② 往時の主郭の虎口だったのでしょうか。人ひとりが歩けるくらいの幅の、ちょっとしたスロープが残されていました。ちなみに写真右に僅かに見える切込み道、これは今回の整備作業の中で、重機を主郭まで移動させるために造られたものです。もとあった道を拡張したのか、はたまた全く新規に作成されたものなのか、そこまで突っ込んで聞く雰囲気ではなかったので、これ以上の詳細は不明です。
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↑③ 山田城の西端とも言える場所。ちょうど北浦幼稚園や円満寺の裏手に当たるんですけど、出丸みたいな扱いの場所だったのかな、なんて印象を受けました。
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↑④ 写真左は主郭を囲む横堀。写真右は土塁の外に設けられている帯郭。山田城の見所は何といってもこの横堀にあると思います。
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↑⑤ 横堀は内側から数えると三層になっていて、それぞれに接続地点が設けられています。写真左は中と外の堀が接続するポイントで、写真右は外の横堀を接続ポイントから撮影したところ。
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↑この横堀、山田城にある台地と北側の台地を接続する通路のような感じになっているので、もしかしたら大手道として使われていたのかもなんて考えてみたり。写真では何がなんだかという感じですが、結構しっかりした横堀が東にむかって残されています。
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↑⑥ 横堀は途中で支尾根というか、北にむかう尾根と接続しています。その北にむかう尾根に入ってしばらく歩いてみると、尾根に沿っていくつかのぽこっとした窪みが残されていました。何かしらの遺構なんでしょうけど、いつの時代にどのような意図を持って造られたものなんでしょうね。
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↑⑦ 窪地の脇には尾根に沿って古道が走っていますし、古道の隣は掘削地になっていて、明らかに昔は屋敷か畑に使用されていたような雰囲気を受けます。写真はその掘削地というか窪地の様子。周囲の荒れ具合などから考えても、放棄されたのは結構前のことなのかな。
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↑⑧ さらに北に歩いてくると、立派な堀切が姿を現しました。これはさすがに遺構だろうと思ったのですが、一応周囲を確認してみると・・・
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↑ちょっと周囲の状況を描いてみました。この堀切、尾根に上がってみると、その先にこれも何故あるのか用途不明の横堀状の通路と何故か竪堀を通して繋がっていて、堀切としては明らかにおかしな構造をしていることがわかります。このあたり、動画も見てみると判りやすいと思うんですけどね(動画だと14:00あたりが該当ポイントです)。

正直、自分はこういうことに素人というか、農地・農道っぽいことに関する知識は殆ど持ち合わせていないので、さっぱり見当がつきません。
ここから北に100mも離れていない場所はちょっとした台地になっているのですが、そこは農地として現在も使用されていて、立派なビニールハウスが立ち並んでいます。その農地の地主の方がいらっしゃったのでいろいろと質問をしてみたのですが、あまり古いことは判らないとのことで、尾根にあった数々の遺構に関しての情報というか収穫はありませんでした。歩いてきた古道も随分前から使われていないらしいですしね。まあ、普通はあんなところ歩かないよな・・・。

自宅に戻って調べてみると、この農地の少し先にも山田城北出城という遺構が残されているということが判明。そのさらに北はゴルフ場化されてしまっているので旧状は判りませんが、何にせよ往時は山田城の連絡通路として使われていたことは間違いなさそうですね。
あの堀切が大手道の名残だったりすると面白いんだけどなぁ。

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↑最後に山田城から見た北浦。整備ももう終わっていると思いますし、シーズンギリギリの今が一番良い状態で見れるんじゃないかと思いますよ。

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