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2013年4月 8日 (月)

手賀城 【常陸】

場所:茨城県行方市手賀(場所)
訪問:2013年3月
形態:平山城
遺構:曲輪・横堀・竪堀・土塁など
指定:不明
駐車:入口付近に路駐
満足:★★★★★★(6.5点)

手賀城は手賀氏の居城だったとされる城跡です。
手賀氏は大掾氏の分流で、玉造氏の一族が当地に居を構えて手賀と称したのが手賀氏の始まりみたいですね。
当主が佐竹氏の「南方三十三館の仕置き」によって謀殺され(手賀氏の場合、兄弟が謀殺されたみたいです)、手賀氏は滅亡。手賀
城も程なくして廃城になったものと思われます。

手賀城は台地の先端に築かれていて、台地と接続する北東側は三重の堀切で守備を固めてあります。この三重堀、一番規模の大きい内側の堀は深さも8m近くある感じで、凄い迫力がありました。主郭近辺は竹薮で歩き回るのも至難な感じですが、この堀に向かうルートは竹も伐採されていて、かなり助かりましたね。どなたか見学し易いように整備していただいているのかも。

※動画はまだ作成していません
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↑西にある養徳寺の辺りから見た手賀城。
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↑確認できた城内に進めるルートは2つです。
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↑これは入口①ですね。昔は使用されていたんでしょうが・・・
0tega_003
↑道は荒れ放題です。それでもこの辺りは歩けないほどでは無いですけどね。
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↑ただ、郭跡らしき平地まで上がると、荒れすぎた竹薮に戦意喪失してしまいました。まあ、事前の下調べで主要部の確認は半ば諦めてましたしね。潔く撤退です。写真右は入口付近にある土塁と思しき遺構。

続いて手賀城で一番確認をしたかった三重堀を確認しに行きたいと思います。

0tega_006 
↑ということで場所を移動しました。写真は入口②です。自分はこの入口付近まで車で登ってきましたが、狭い農道なのであまりお勧めはできません。
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↑入口②を入ると、広場のようなスペースのところから堀切近くまで、竹が伐採されて歩き易くなっていました。これ、見学し易いようにどなたか整備していただいたってことなんでしょうかね。だとしたら有難いことです。なんにせよ、本当に助かりました。

先にも明記しましたが、堀切は三重です。便宜上、ここでは堀の名称を外側から1,2,3と区切って表現します。

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↑最初に現れる1の堀とその奥の土塁です。1の堀は埋められてしまっているのか、窪みが把握できる程度といった深度しかありません。土塁の高さも2m無いです。
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↑この1の堀、南(東?)端に近づくと、途端に幅が広くなります。どのような経緯があってこのような残り方をしているのか、ちょっと想像が出来ません。
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↑土塁の先にある2の堀。こう写真で見るとあまり深さを感じないかもしれませんが、これでも4~5mは深度がある感じです。端は竪堀になっていました。
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↑さらに奥にある3の堀。確認できた中でも最大規模の堀で、深さは8m近くあると思います。堀底に降りようとしたんですけど、斜面が急なので途中で諦めました。自分、足が長いので降りが微妙に苦手なんですよね。ええ、足が長いので・・・
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↑塁上からだとなんとなく橋脚台なのかなって感じに見えた、3の堀の堀底にあった盛土。
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↑3の堀の向こうには馬出とされている郭跡が。いつか主郭まで確認してみたいものです。

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