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2013年5月19日 (日)

八王子城 【武蔵】 1/4 居館地区

場所:東京都八王子市元八王子町(場所)
訪問:2011年ほか(太鼓曲輪は2013年4月)
形態:山城
遺構:曲輪・横堀・竪堀・堀切・土塁・櫓台・石垣・井戸など
指定:国の史跡
駐車:有
満足:★★★★★★★★★(9.0点)

八王子城は北条氏政の弟、氏照によって築城されました。築城の開始時期については諸説あるみたいですが、概ね1584~1586年頃と考えておけば良いみたいです。
1590年、太閤秀吉による小田原征伐が開始されると、氏照は城代として横地監物・狩野一庵・大石照基・中山家範などと守備兵
3,000人を八王子城に残し、自身は4,000人の兵を率いて小田原城の守備に加わりました。
後北条氏の本拠となる小田原城は早々に包囲され、上野・武蔵・下総などにある後北条氏方の諸城が次々と落城していく中、つい
に八王子城にも豊臣軍による攻撃が開始されることになります。日にちは6月23日と推定されているみたいです。
守備兵は3,000人。対する豊臣方は前田利家・上杉景勝・真田昌幸などの北国勢と、これに降伏した大道寺政繁が率いる降参兵を併
せた50,000人が加わっていました。
正面から主力が押し寄せる中で、搦め手方面(浄福寺城の方面です)からは別働隊が奇襲を行い、これが結果的に要害部の三の丸
にあたる小宮曲輪を攻略。これにより勝負は決しました。
討ち死約2,500人・負傷者約6,000人・捕虜約250人とされています。

それまでの居城だった滝山城も非常に規模の大きな城でしたが、この八王子城も負けず劣らず、というより輪をかけて非常に広大な城域をもつお城になっています。案内所からハイキングコースを通って山頂~大天主まで普通に歩いていくとそんなに平地もないし、意外に収容人数もたいしたこと無いお城だったのかなーなんて受け取られるように思うんですけど、実際はさにあらず。山頂の要害部だけでも、周囲が薮に埋もれてしまっているだけで、パッと見るよりかなり多くの曲輪が残されていますし、大天主や麓の居館地区、さらには太鼓曲輪などをあわせて考えると、八王子城の主要部だけでも如何に広大だったのかを理解してもらえるように思います。
八王子城は主要部以外にも、すぐ脇に小田野城や浄福寺城、さらに初沢城までも支城として使用されていたとされています。後
北条氏の中でも、実質No.2的なポジションだった氏照ですから、それなりの動員力はもっていたのでしょうが、それにしても広すぎというかやり過ぎ感は否めない気が・・・

この八王子城は関東では珍しい、石垣が数多く残る中世山城でもあります。ここまで良好で、しかも豊富に石垣が残されている中世山城は、八王子城と太田金山城くらいしか知りません(唐沢山城の高石垣はちょっと異質なので、ここでの例えからはあえて外しました)。
残された石垣の痕跡を探して歩き回ってみるというのも、楽しいかもしれませんね。ちょっとした冒険感覚を味わえると思いま
すよ。

八王子城は広いので、紹介は4回に分けて行うことにします。
その1→居館地区
その2→太鼓曲輪
その3→要害地区
その4→北条氏照の墓

→記事のショートカット(その1/その2/その3/その4)

※その2で紹介する太鼓曲輪は2013年4月の画像ですが、その他は2011年の画像がメインです。現状では改変されている箇所も見られたので、その点はご留意願います。

【動画】
八王子城(1/4)居館地区
八王子城(2/4)殿の道
八王子城(3/4)要害地区
八王子城(4/4)北条氏照の墓


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↑簡単に八王子城と周辺の状況をまとめてみました。支城として使用されていたと考えられている浄福寺城を除いて考えても、八王子城がいかに広大なお城だったかが判ると思います。

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↑こちらは簡単に作成した、八王子城主要部における曲輪の配置図。その1は山裾の居館地区を紹介していきます。


■居館地区

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↑居館地区には御主殿以外にも、複数の曲輪が設けられていました。あくまで推定ですが、現在の駐車場の辺りは近藤曲輪があって、管理棟の辺りには山下曲輪が設置されていたみたいですね。大抵の見学者はこの管理棟から川に沿って御主殿に向かうか、さもなくば山頂を目指して金子曲輪を抜けるハイキング道に入ってしまうんだと思いますが、往時は山下曲輪と御主殿の間にも曲輪が設置されていました。それが写真のアシダ曲輪です。
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↑アシダ曲輪はだいたい3段に分かれています。これは最下層の3段目。奥に井戸が見えますよね。あの井戸は、昔から残されているものなのでしょうか。
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↑このアシダ曲輪付近には何体もの石仏が置かれています。現在の設置は16体だけらしいのですが、昔は108体の石仏が配置されていたみたいなんですよね。
たしか戦後(WWⅡ)の混乱期に、人力で簡単に運べるサイズの石仏は何者かに持ち去られてしまった、などという記事をどこかで読んだ記憶があるのですが、どこで読んだのかが特定できなかった・・・
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↑アシダ曲輪と山下曲輪の間にある堀切。天然の沢を活用したものなんでしょうが、これはこれで雰囲気があって立派です。花籠沢と呼ばれているみたい。
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↑アシダ曲輪から御主殿に直接向かえるのですが、それは止めにして、通常の観光コースに戻りましょう。
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↑大手道。左の写真の場所には薬医門が設置されていたことが、調査にて判明しています。
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↑この大手道をぶった切るように竪堀が伸びています。自分はこの竪堀から太鼓曲輪に向かうんですけど、細かい話はその2の太鼓曲輪の項目にて。
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↑大手道を歩いていくと見えるのが、この居館地区最大の見所である、曳き橋と御主殿の虎口です。
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↑下から見るとこんな感じ。う~ん、立派。

ちなみに曳き橋は往時の構造が判らないので、あくまで想像を基に作成されたものです。また、橋の架かる位置も若干移動されています。

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↑この踊り場からは門の痕跡が発見されていて、しっかりと礎石の跡が復元されています。あと、江戸時代より前の時代のお城ですから、いま見れる石垣も殆どが当時からのものではなく、あくまで見学用に再現された箇所が大半です(一部残されているみたいなんですけど、どこなんだろ・・・)。

で、写真右が検出時の踊り場の状態です。かなり雰囲気があって良い感じ。
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↑御主殿。ここからは多くの建物や庭園の跡が調査によって発見されています。また、建物以外にも陶器や武器・武具などの遺物が数多く見つかっていて、中にはベネチア産のレースガラス器の破片まで残されていたらしいです。
御主殿は今でもかなり広い場所に感じる場所ではあるのですが、この奥にはまだ西曲輪が往時は存在していたというから驚きですね。


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↑八王子城で検索すると、必ず引っかかるのが心霊というワードですね。その方面が目的で訪れる人達がまず目指すであろう御主殿の滝は、このすぐ脇に残されています。
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↑で、これが御主殿の滝です。2~3段の落差がある滝ではあるのですが、ここから見る限り、大した高さはありません。現状の高さで身投げをしても、せいぜい骨折が良いところで、よほどのことが無い限りは落命なんてしないでしょうね。

ただ、だからといって伝わる悲劇の歴史が嘘だったというのは間違いだと思いますよ。
というのも、この滝(というより城山川)の脇を通る道は、江戸時代に林道として整備されたものらしいので、滝自体の落差は同じでも、この周辺の地形はもっと峻険だった可能性もあります。
もしくは、この滝の川上にある溜池が主な自害の現場だった可能性も捨てきれないじゃないかなと。
あと、普通は自害なんていうと介錯する人がつくでしょうからね。ああ、なんか想像していったら切がないですね・・・

なんにしても八王子城が悲劇の舞台であったことは、ほぼ間違いの無い事実だと思います。なので、あまり軽率な行動は慎むようにしましょう。


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↑付近に残る石垣。これは遺構として捉えても良いのかな?


居館地区の紹介はここまで。
続いては太鼓曲輪の紹介です。

その2



※居館地区の画像は2011年のものなので、2013年現在でも一部違いがありました。一応、注釈としてコメントしておきます。

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