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2013年5月13日 (月)

鹿島城 【常陸】

場所:茨城県鹿嶋市宮下(場所)
訪問:2013年4月
形態:平山城
遺構:曲輪・横堀・土塁など
指定:不明
駐車:有
満足:★★★★★★(6.0点)

鹿島氏は大掾清幹の三子・成幹が鹿島に居を定めたのが始まりとされています。鹿島氏は鹿島神宮の西方にある吉岡に城を築いたため、鹿島城は別名・吉岡城とも呼ばれているみたいですね。
治承・寿永の乱(源平合戦)では源氏方として参戦し、南北朝の乱では本家の大掾氏とともに北朝側につくなどして着実に勢力を維
持しつづけていくのですが、室町時代も後期に入るとお家騒動がたびたび勃発して鹿島氏の勢力は徐々に衰退していくことになります。
豪族としての鹿島氏は1591年の「南方三十三館の仕置き」によって滅亡しますが、徳川家康は鹿島義幹の外曾孫である国分胤光に
鹿島氏をつがせ、鹿島惣大行事家として鹿島氏は現在まで存続していくことになります。

現在の鹿島城は、鹿島義幹が1523年に大規模改修したものが残されているみたいです。完成した鹿島城はそれはもう立派で、その規模は中世城郭としては群を抜いていたのだとか。
鹿島義幹は皮肉にもその直後に鹿島城を追われ、勢力の回復を目指した高天原合戦で戦死してしまいます。ちなみにこの合戦に
は塚原卜伝も参戦していました。

宅地化の波に襲われて主郭以外の面影は皆無ですし、その主郭も公園化による改変もあって郭内は旧状を留めていなかったりしていますが、それでも東側に残る堀跡はかなりの規模で、当時の中世城郭の中では群を抜く規模と言われた鹿島城の片鱗は残されているように思います。
季節柄、鹿島城山公園はお花見の特別会場的な雰囲気に満たされていました。こうなるとビデオカメラを片手にうろつく自分は
不審者以外の何者でもなくなってしまうので、じっくり散策できないのが嫌ですね。
まあ、観光地でも同じようなことが言えますけど。

※動画はまだ作成していません
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↑遺構が残されているのは本郭周辺のみですが、東端は鹿島神宮二の鳥居辺りまでとされているので、往時はこんなに大きな城域をもつお城だったんですね。
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↑本郭の大きさは鹿行のお城の中では文句無くNo.1の広さです。いや、別に鹿行で無くても、これだけ広い本郭をもつ城なんて、そうは無いですね・・・
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↑これだけの広さですから、当然郭内は土塁や堀で仕切られていたんだと思います。でも今は殆ど面影は残されておらず、ハッキリ判るのはこの土塁跡くらいなものです。
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↑周囲を廻っていたであろう土塁は、今は遊歩道として整備(?)されています。
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↑公園の西端は絶景スポットです。ここからは霞ヶ浦などが一望できます。
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↑ふと下を見ると、そこには腰郭が。この腰郭もでかいな・・・
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↑腰郭は北側斜面にも残されています。
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↑鹿島城最大の見所である、本郭東側の空堀。とてつもない大きさです。この堀が確認できただけでも、来た甲斐があったというものですね。
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↑最後は堀底から。


佐竹氏の謀略で主を失った鹿島城ですが、多くの国(城)が佐竹氏に開城して降伏する中、鹿島城は玉造城や嶋崎城と同様に、佐竹氏に徹底抗戦の構えを見せます。
ただ、これだけ壮大な堀を持つ鹿島城も時流には逆らえないのか、抗戦むなしく半月ほどで落城しました。平城や平山城は技巧性云々言っても、結局士気以外に堅守で一番大事なのは、敵を寄せつけない深くて大きな堀だと自分は思っているので、そういう要件は一応満たしている感じなんですけどね。
まあ、鹿島氏は冒頭で紹介したとおり内紛も多かったみたいなので、そういった要因も関係しているのかな。結城合戦のときの結城城の様にはいかないか・・・

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