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2013年5月31日 (金)

滝山城 【武蔵】 1/2

場所:東京都八王子市高月町(場所)
訪問:2013年4月ほか
形態:平山城
遺構:曲輪・横堀・竪堀・堀切・土塁・土橋・馬出・井戸など
指定:国の史跡
駐車:滝が原運動場テニスコートあたりの駐車場に停めるのが良いと思います。そこから城内までおよそ10分。
満足:★★★★★★★★★★(10.0点)

滝山城は山内上杉氏の重臣で、八王子一帯を統治していた大石氏によって築城されました。
上杉禅秀の乱から始まった関東の大乱ですが、山内・扇ヶ谷両上杉氏の対立による長享の乱が留めとなり、結果として後北条氏の台頭を加速させることに繋がってしまいます。
そのような中、大石氏も北条氏康の三男・氏照を養子として迎え入れ、後北条氏の勢力として存続していくことになります。大石氏を継承した氏照は、後に滝山城を改修して、現在残る大城郭まで仕上げていきます。

1568年、甲斐武田氏の駿河侵攻で甲相駿三国同盟が崩壊すると、後北条氏は越後上杉氏と越相同盟を結んでしまいます。そんな後北条氏に圧力をかけるべく、武田信玄は後北条攻めを決意。1569年、碓氷峠を越えた武田軍は、まずは鉢形城を攻撃します。次に武田軍は滝山城に向かいますが、武田軍は本体とは別に、小仏峠(当時は軍勢の通行は不可能と思われていた)を超えて小山田信茂が率いる別働隊1,000人が侵攻。対する後北条勢は廿里(高尾駅近くです)において迎撃を試みるも、あえなく敗退して滝山城に篭城する策にでます。
滝山城は二の丸まで攻め込まれますが、信玄は3日目には滝山城の包囲を解いて小田原城への進撃を開始。
滝山城は落城を免れますが、その後の八王子城移転に伴って、その役割を終えて廃城になったものと思われます。

滝山城は雄大な堀や曲輪跡が残されていますし、自然公園としても良く整備されているので、中世城郭と言われる場所の中でも、断トツのお勧め度を誇る場所だと思っています。現在は随所に中田氏の鳥瞰図を基に描かれた解説板が設置されているので、遺構の役割もより理解し易くなったのではないでしょうか。
難点といえば、あまりにも城址が広大すぎるといったことくらいでしょうか。八王子城ほど広大ではありませんが、それでも隅から隅まで見て廻ろうとしたら、結構な時間をとられてしまうと思います。なんと贅沢な悩みでしょう(笑)

滝山城を訪問したのなら、せっかくなんで高月城もあわせて訪問して見ると良いかもしれませんよ。高月城は農地化などの影響で遺構が明瞭でない部分もありますけど、本郭までの九十九折の道は、なかなか堅守だったぽくて、個人的には好きな城のひとつです。まあ、火縄銃が主要な兵器に切り替わる頃には、対応は難しかったかも知れませんけどね。

※動画は結構初期の作品がアップされています。名城なので、いつか再編集したいですね。
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↑北から見た滝山城。今は樹木に覆われてしまっていますが、滝山城最盛期はかなりの威容を誇っていたんでしょうね。
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↑「関東の名城を歩く」に掲載されていた縄張図にちょっと手を加えて、曲輪名などを記してみました。時期によるかもしれませんが整備が行き届いているので、遊歩道に沿って歩けば、大体の場所に行けると思います。

それでは滝山城を順に見ていきましょう。

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↑【大手(現大手?)・三の丸と小宮曲輪に挟まれた虎口】
曲輪だけでなく堀にも挟まれているので、敵の進撃を食い止めるのに絶好の場所です。往時は三の丸と小宮曲輪を繋ぐような形で、櫓門が設置されたりしたのかも知れません。
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↑【小宮曲輪の横堀】
二の丸の空堀より規模は劣りますが、この横堀の雰囲気は抜群です。東京都に残る中世城郭の中では、最大の規模を誇るのではないでしょうか。
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↑【山の神曲輪】
小宮曲輪から奥に進んだ先にある山の神曲輪。出丸のような感じの場所です。
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↑【千畳敷】
千畳敷という呼び名は城内で最も広い曲輪につけられることが多いんですけど、実際は中の丸のほうが広いです。諸国古城之図を見ると、ここでなく中の丸のほうに千畳敷と記されていますしね。そうはいっても、この曲輪も十分広いです。
北側斜面には三段程度の腰曲輪も設置されています。
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↑【信濃曲輪・刑部屋敷・カゾノ屋敷】
名称からして、重臣の屋敷が立ち並んでいたんでしょうか。仕切り土塁もしっかり残されています。
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↑【二の丸の馬出】
写真左:信濃屋敷側の東馬出
写真右:千畳敷側の西馬出
二の丸には東・西・南と3つの虎口があり、それぞれの虎口前には馬出が置かれていました。
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↑東馬出と信濃曲輪の間の堀には畝のような盛土を見ることができます。これは橋脚台だったのかも知れません。
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↑【連続する馬出】
虎口前に置かれた馬出以外にも、二の丸の周囲には馬出と馬出を繋ぐような形で馬出が設置されています。雄大な二の丸の堀とあわせて、このあたりも見所の一つです。
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↑【二の丸の枡形】
写真左:南虎口の枡形
写真右:東虎口の枡形
東虎口は道路設置の影響で改変があるのかもしれませんが、櫓門でも備えていたかのような、立派な枡形が残されています。まさに正面玄関にふさわしい場所だと思うので、この東虎口から二の丸を経由して中の丸、もしくは本丸というのが往時の大手だったのではないでしょうか。


今回はここまで。
本丸まわりはその2にて紹介していきます。


その2

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