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2013年6月28日 (金)

中久喜城 【下野】

場所:栃木県小山市中久喜(大字)(場所)
訪問:2013年6月
形態:平山城
遺構:曲輪・横堀・土塁など
指定:国の史跡(小山氏城跡)
駐車:なし ※付近の農場の方に断って駐車しました
満足:★★★★★★(6.0点)

築城年代は不明みたいです。
中久喜城は小山氏居城の祇園城と結城氏の居城だった結城城のちょうど中間くらいに位置する城で、小山氏の支城として機能していました。
小山氏より結城政勝の養子として結城家に入り、その後に17代当主として家督を継いだ結城晴朝が隠居城としてこの中久喜城に入りました。中久喜城自体は結城氏の越前移封に伴って廃城になったものと思われます。

泥地に突出す半島状台地の先端に中久喜城は築かれていたみたいで、今でも周囲を囲む田んぼが往時の面影をしっかりと残している城址です。つい数十年前までは泥地が残されていて、腰まで水につかるくらいの深さがあったのだとか。
二郭の遺構は農地や住宅化の影響で土塁も削られて(一昔前までは主郭付近から国道の信号付近まで続く大きな土塁も残されていたのだとか)遺構は殆ど残されていませんが、主郭近辺は土塁や横堀などがしっかりと残されているので、なかなか見応えのある城址でした。
別名で亀城という呼び名もあるみたいですね。周囲から中久喜城址を眺めてみると、亀城と呼ばれる理由がよく判ると思います。亀城と呼ばれていたという逸話の残る城址は今までも多く見かけましたが、現在でもその趣を残す場所となると稀有な存在になるのかも知れませんね。

※動画はまだ作成していません
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↑中久喜城は祇園城鷲城とあわせて「小山氏城跡」として国史跡に指定されています。
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↑中久喜城の遺構を簡単にまとめてみました。数十年前までは国道まで続く土塁が残されていたらしいのですが、耕作地化の流れで消滅してしまったとのこと。
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↑西の住宅街から見た中久喜城。周囲は整備されるまで、腰くらいまでの深さがある湿地だったという話です。茨城県の神明城嶋崎城でも同じような話を伺いましたね。
あと、現地では中久喜城のことを亀城とも呼ぶらしいです。湿地にぽっかり浮かぶ半島状台地の姿はまさしく亀と言った感じで、納得ですね。亀城と呼ばれていたお城は数多く残っていますが、今でも面影を残している場所となると、そう多くは無いんじゃないでしょうか。
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↑主郭を貫通する形で水戸線の線路が走っていますが、主郭の遺構は比較的よく残されています。
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↑【主郭 南東方面】
右手に見えるのが主郭の土塁で、土塁の外は周囲の田んぼより一段高くなっていることから、腰郭として機能していたものと思われます。
正面奥に見える土塁は、この腰郭を囲んでいた土塁の一部が残されたものなのかも知れません。
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↑主郭・南東の土塁を撮影したワイド画像。ちょっと判りづらいと思いますが、土塁の右端付近には空堀も残されています。
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↑空堀の入口が塞がれていたので、ちょっと土塁にのぼって確認してみました。結構幅もあって迫力がある感じの堀なんですけど、この画像だとちょっと伝わらないかな。
ここから見る主郭は猛烈な薮でした。意味がないので、その画像は掲載しません。
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↑主郭・南東側の土塁は一箇所だけ崩れている場所があります。後世崩したものなのか、はたまたもとからそうだったのか、詳しいことはよく判りません。

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↑【主郭・南西に残る横堀】
現在だけでなく往時も通路として使用されていたのでしょう。綺麗な横堀が残されています。
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↑南東から見た横堀。左は主郭です。
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↑横堀を抜けて右手(写真では左側)に曲がると主郭の虎口といった構造になっています。現在、虎口手前はちょっとした広間になっていますけど、もしかしたらここに枡形などが組まれていたのかも!?
勝手な妄想ですが、そうだったら格好いいですよね。
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↑【主郭・虎口】
左:下から見た虎口
右:主郭から見た虎口
大きな土塁が虎口に突き出す形で残されています。この土塁の上には、虎口を守るための櫓が建てられていたのも知れません。
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↑【主郭】
畑もありますが、大半は薮です。上空から見ると、かなりの広さを持つ郭だったことが判ります。
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↑【主郭・北西部に残る堀や土塁】
案内板が設置されているこの辺りにも、堀や土塁が残されていて確認することが出来ます。

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コメント

主郭・南東側の土塁は一箇所だけ崩れている場所があります。後世崩したものなのか、はたまたもとからそうだったのか、詳しいことはよく判りません。←これは昭和になってからの話です。土地の所有者が、自宅を作る際に土を切り出して、自宅の土地の整地に使用したため、一角が削られたものです。

窪みは土取の跡だったのですね。
貴重な情報をご提供いただき、有難うございました。

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