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2013年6月 5日 (水)

造海(百首)城 【上総】 1/4

場所:千葉県富津市萩生(場所)
訪問:2013年5月
形態:平山城
遺構:曲輪・横堀・竪堀・堀切・土塁・土橋・石垣・井戸など ※幕末の台場跡(竹ヶ岡砲台)も残存
指定:なし
駐車:灯篭坂大師の駐車場
満足:★★★★★★★★(8.5点)

見所:内房正木氏の居城だった海城。幕末の台場跡(竹ヶ岡砲台)の遺構もよく残る見所の多い良城跡。

造海城は1461年、上総の有力者であった真里谷武田氏によって築城されました。
その後、里見氏が上総に進出するころには造海城は正木氏(内房正木氏)が領するところとなり、その状態は里見氏が小田原征伐
後、安房一国に減封されるまで続くことになります。
同時期に造海城は廃城になったものと思われますが、幕末には台場としても使用されていました。

岡本城に続く海城への訪問です。一人だとちょっと危ない場所も多いのかなと思って後回しにしていたんですけど、思い切って訪問してみることにしました。
岩盤を断ち切った堀切や横堀など上総以南で多く確認できる中世城郭の特徴は残しつつも、どちらかというと幕末に使用された
台場としての遺構の面影のほうが多く感じられる城址でしたね。だからといって残念な訳ではないんですよ。ところどころで確認できる石垣や切通しに残る階段など、これらの遺構はとても素晴らしいので、史跡好きには堪らない場所だと思います。

城内にはモニュメントなども残されていたりして、これはいつの時代に設置されたものなんだろうと疑問に思っていたんですけど、帰宅して改めて造海城を調べてみると、どうやら寺社か何かも置かれていた時期があるみたいでして。
年代までは判りませんでしたが、結構手が入っているのかもしれませんね。まあ、雰囲気を壊すようなものではないので、これ
はこれで楽しめるかな。

造海城は別名・百首城とも言いますが、これは当城に攻め寄せる里見軍を前に、当時城主だった真里谷信隆が、開場の条件として和歌を百首歌うことを条件に提示したことが由来とされているみたいですね。禍々しい謂れでそのような名称がついた訳ではないので、あしからず。

記事のショートカット(その1/その2/その3/その4)

※造海城の遺構の古写真を公開されているサイトがあります。もし造海城に興味をもたれ、かつ未見であれば是非確認してみて下さい。→造海城(百首城)遺跡古写真集

※ニコニコ動画Verはニコニコのマイリストから宜しくお願いします。
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↑造海城遠視。

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↑今回見て廻った範囲で造海城の様子をGoogleに描いてみました。見応えのある場所だったので、ブログを3回に分けて造海城を紹介していきたいと思います。

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↑灯篭坂大師あたりから城山まで細尾根が続いていますが、この尾根を通って造海城に入るのが、大手だったと考えられています。
で、その1で紹介する範囲をざっくりと描いてみました。あくまでアバウトな感じなので、お忘れなく。

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↑【大手として使用されていた細尾根を遠視】

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↑【灯篭坂大師入口】
灯篭坂大師はかの弘法大師が行脚中に腰を休めたという口碑をもつ場所です。大手尾根の下を貫通する切通しのトンネルは見事の一言。

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↑【灯篭坂大師脇の切通し】
ここから大手道に入ります。これも造海城の遺構の一部なんでしょうか?

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↑【大手道の尾根道】
城山までいくつかの広場を挟みながら細尾根が続いています。途中、木戸跡っぽい場所がいくつか残されています。

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↑【監視所と思われる小郭】
大手尾根の付け根には見るからに監視所だったかのような小郭が残されています。今は視界が木々で遮られてしまっていますが、往時は大手を歩いてくる人々を良好に監視できたことでしょう。
写真左:監視所にあがるための通路
写真右:その監視所から虎口を見下ろす

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↑【横堀状通路】
監視所の脇に残る横堀。このあたりまで来ると、城跡に着いたんだなと実感させられます。

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↑【虎口?&崩落の跡】
横堀を歩いてさらに奥に向かうと、道が崩落しれしまっている場所がありました。
写真左:道が崩落してしまっているので、その脇にある坂道から城奥を目指します。何となく虎口っぽく感じてしまう場所ですが、もしかしたら往時は無かった道なのかもと思いました。
写真右:ここが崩落跡ではなく実は竪堀で、往時は梯で向こうの道と繋がっていたということであれば格好良いんですけどね。

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↑虎口?を登って、さらに奥を目指します。


その2

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