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2013年7月 7日 (日)

山川館 【下総】

場所:茨城県結城市上山川(場所)
訪問:2013年6月
形態:平城(武家屋敷跡)
遺構:曲輪・堀・土塁など
指定:不明
駐車:有
満足:★★★★(4.0点)

山川(山河)氏は結城家初代・朝光の四男・重光が当地に館を築いて山川氏を名乗ったのが始まりとされています。歴代の山川家当主は結城家に属して行動していくことになりますが、かなり独立性の高い同盟勢力のような関係を維持し続けていたみたいです。

結城合戦によって結城氏が一時滅亡すると、再興した結城家の中で有力家臣であった多賀谷氏や水谷氏と同様、主家に対して強い影響力をもつようになります(成朝・氏広が当主の頃の話です)。
ただ、結城家の当主が15代・政朝になると、専横を振るっていた多賀谷和泉守や山川景貞は粛清され、結城氏の勢力は徐々に回復していきました。そうして結城氏と山川氏の関係は滅亡前と同じ状態に戻っていくことになります。

山川氏は結城氏と同族の小山氏にも、お家断絶の危機になると養子を出していますよね。結城四天王の中でも山川氏は別格の存在だったのではないでしょうか。

1565年、山川氏は新たに山川綾戸城を築いて居城を移しました。後北条氏の圧力が強まる中、謙信の関東進出にて関東の諸勢力が自らを存続させるために苦慮していた時期でもありますね。より要害性の強い場所に本拠を移動させるのは、当然のことといえるでしょう。

※動画は撮影していません
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↑山川館。現在は東持寺の境内として使用されています。
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↑【東側の堀】
埋まっている感は仕方ありませんが、なかなか幅広な堀が残されています。
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↑【東堀の土塁】
内側から見た東堀の土塁。
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↑【南側に残る虎口及び堀跡】
この南虎口が大手だったとされていて、その正面には馬場があったと考えられているみたいですね。
南側の堀跡は水路が通っていて、さながら水堀のような雰囲気をかもし出しています。
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↑南側の土塁。
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↑北側の土塁。
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↑東持寺には鎌倉時代の1317年に造られたと考えられている板碑が残されています。左上が一部欠損していますが、中央に「南無仏」という文字と、その左右に描かれた五重塔がしっかりと確認できますね。

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