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2013年7月14日 (日)

伊豆長浜城 【伊豆】 1/2

場所:静岡県沼津市内浦重須(場所)
訪問:2013年6月
形態:海城
遺構:櫓(復元)・曲輪・堀・土塁など
指定:国の史跡
駐車:城址脇の釣堀に駐車可
満足:★★★★★★★(7.0点)

1568年、武田信玄による駿河侵攻が開始されると、1570年には駿河は完全に武田氏の支配下へと治まっていきます。以前は三国同盟で結ばれた武田氏と後北条氏でしたが、駿河侵攻をきっかけに紛争に突入。1571年に一旦は甲相同盟が復活するも、1579年には越後・御館の乱をきっかけに再び破綻し、武田氏と後北条氏は合戦を繰り返すようになります。

そんな情勢の中、伊豆長浜城は武田方水軍に対する前線基地として1579年に整備されたものと考えられているみたいです。当時、今の沼津には三枚橋城(後の沼津城)という武田方の拠点があり、付近では小競り合いがたびたび発生していました。
勝敗はよく判らないながらも沼津沖では水軍の合戦も行われたみたいですが、相手方の武田氏は1582年に織田信長によって滅ぼ
されてしまいますから、伊豆長浜城が最大限に機能したのも実質は2年ほどといえるのではないでしょうか。

以前はそこまで整備されていなかったみたいなのですが、現在は案内板も豊富で発掘調査の成果も復元されている箇所があり、コンパクトながらもなかなか楽しめる城址になっているのではないかと思いました。
主郭からは内浦湾超しに富士山も確認できるので、景観もバッチリ。

往時は内浦湾を囲むように城や砦が張り巡らされ要塞のようになっていて、この長浜城はその要塞の司令部的な場所だったんだと思います。なので長浜城だけを見ると非常に小さな城という印象を受けてしまいがちですが、近世城郭で例えると内浦湾要塞の中の天守閣みたいな存在と考えても良いんじゃないかなと。

主郭の周辺にはところどころに石垣が残されています。この場所、昭和40年代まで三井家の別荘が建てられていたみたいで石垣はその名残だと思われるのですが、果たしてどうなんでしょうね。
この小山はなんとなく岩山っぽいですし、堀切作成や削平地設置工事の際にそれなりに石を入手できたと思うので、少なくとも
石積み程度はあった筈だと思うのですが・・・

※ニコニコ動画にもアップしてあります。ニコニコ版はこちらから。
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↑現地にあった縄張図に若干手を加えてみました。

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↑当時の周辺状況の解説図。伊豆の付け根に近い沼津には三枚橋城という武田氏の前線基地が構築されていました。その三枚橋城に対する伊豆水軍の前線基地として整備されたのが長浜城です。

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↑長浜城の脇にある釣堀の駐車場が長浜城の駐車場を兼ねています。国の史跡だけあって案内もしっかり。

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↑入口です。頂上まで登るだけなら5分もあれば十分かな。

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↑【第四曲輪と堀切】
入口から登ると始めに目にする曲輪です。
土塁の頂部からは1基だけ柱穴が確認されたのだとか。いったい何に使用されていたんでしょうかね。

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↑【大手道】
今は道路設置の影響で削られてしまっていますが、往時の大手道だったと思われる通路が残されています。
九十九折の道の上部には第三曲輪が。

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↑【第三曲輪】
動画の中でも説明していますが、この第三曲輪は長浜城における守りの要だったと思われる曲輪です。

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↑【堀切】
第二曲輪と第三曲輪の間にある堀切。
第三曲輪からの攻撃を何とか防いで大手を登ったとしても、この堀切では二つの曲輪から袋叩きにされます。

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↑この堀切にはもともと跳ね橋が架けられていて、第三曲輪を経由して第二曲輪に入るという構造をしていました。その時の堀切はもっと深くまで掘り下げられていたみたいです。

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↑しかしその後、堀切は埋められたうえに幅を狭くして、門構えの虎口へと造りが変更されました。

一見すると、跳ね橋構造のほうが例え第三曲輪が陥落しても第二曲輪には簡単に進入させない堅固な構えっぽく感じるのに、なんでわざわざ堀を埋めてまで門に変更したんだろうと不思議に思ってしまうかも知れません。
あくまで私見ですが、構造を変更したのは合戦における兵数の大規模化が関係しているんじゃないかと思います。
お互いが少数兵通しの戦いなら小手先の技巧性でも十分に有効かもしれませんが、勢力の巨大化に伴う合戦規模の拡大化で、もはやそういったことが通用しなくなってきたという変化を表している一例なのではないかと。

一番の要である第三曲輪が突破された時点で陥落は時間の問題、という観点から、第三曲輪の防御性をあげて絶対防衛線を構築する、に切り替えられたというこなんだと感じました。
まあ、実際がどうなのかはわかりませんけどね。

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↑【第二曲輪から見た第三曲輪】
第三曲輪周辺のまとめ。


小さなお城ではありますが、ちょっと長くなったので2回にわけますね。
第二曲輪遺構はその2にて。

その2

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