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2013年8月 2日 (金)

檜原城 【武蔵】

場所:東京都西多摩郡檜原村本宿(場所)
訪問:2011年12月
形態:山城
遺構:曲輪・堀切・竪堀など
指定:東京都指定史跡
駐車:吉祥寺の駐車場を拝借
満足:★★★★★★(6.0点)

檜原城の明確な築城時期は不明とのことですが、15世紀前半に鎌倉公方・足利持氏が武州南一揆のリーダー格である平山氏に命じて築城させたのが始まりと考えられているみたいですね。

甲斐と武蔵を結ぶ連絡通路として使用されている甲州街道は後に小仏峠を抜けるルートが整備されますが、戦国期までは古甲州道を使って行き来するのが一般的でした。
古甲州道を確認するとこの桧原城はちょうど武蔵の入口にあたる場所にあり、境目の城として非常に重要な役割を担っていたも
のと思われます。

1590年の小田原征伐時には八王子城落城後も城主・平山氏重は篭城して豊臣方に徹底抗戦しますが、衆寡敵せず自刃して果てました。以降、廃城になったものと思われます。


※動画は2011年12月訪問時に撮影したものを、2012年8月に編集してアップロードした内容です。
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↑確認した遺構を簡単にまとめてみました。八王子を統べる北条氏照にとってこの檜原城は非常に重要な境目の城だった筈なんですけど、残されている遺構から認識できる檜原城の規模はとても小さいです。

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↑【吉祥寺の駐車場から】
居館跡とも考えられている麓の吉祥寺。全盛期には山上の要害部とあわせて一大要塞として機能していたのでしょうか。

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↑【登城路①】
吉祥寺の裏から山上の檜原城を目指します。
登城路といっても現在の登城路ですね。往時の大手は違う方面に設けられていたのかもしれません。

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↑【登城路②】
なかなかの急斜面なのですが、ところどころに観音像が配置されていています。

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↑【竪堀】
見所の一つである竪堀。山上から麓の吉祥寺まで続いています。
往時は城主が要害に入るための連絡口として使用されていたのでしょうか。

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↑【土橋】
竪堀は山上では土橋に直結しています。

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↑【主郭】
地図ではcと記した郭。山上はどこもそんなに広さがるわけでは無いので全体をもって主郭としてもいいように思いますが、あえて区分けするとなると一番広さのあるこの郭が主郭と呼ぶに相応しいんじゃないでしょうか。

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↑【物見台】
地図ではaと記した郭です。面積は狭いですけど城内で最高所に設けられているこの郭は、まるで物見台か指揮所のような雰囲気を漂わせています。

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↑【三重堀】
ここも檜原城の見所のひとつですね。
aの裏手に残る三重堀。落ち葉で埋もれてしまっている影響もあってか一つ一つの堀の規模はそう大きなものではないのですが、見た目は岩盤を削った見事な堀です。
aとの高低差といい、この方面からの寄せ手を強烈に遮断しています。

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↑【三重堀の先】
その先もちょっとした小山というか頂があるのですが、地図でも判るとおり、この頂は土取でかなり削られてしまっているみたいです。
いつ頃から崩されているのか判りませんが、往時はこの小山にも何かしらの施設が設けられていたんじゃないかと思うのですが・・・。

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↑【主郭北の腰郭群】
この方面には馬蹄段状に腰郭が続いているのですが、如何せん薮っていてろくな画像がありません。

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↑【主郭東の腰郭】
往時の大手はこの方面にあったのかな?

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↑ところどころに露出している岩盤には削られた痕跡のように感じるものもありました。こういう地形のお城って矢玉が尽きても、投石用の石をこういった場所から調達できるから良いですよね。


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