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2013年8月 8日 (木)

足柄城 【相模(駿河)】

場所:静岡県駿東郡小山町竹之下(場所)
訪問:2011年10月
形態:山城
遺構:曲輪・空堀・土塁など
指定:不明
駐車:有
満足:★★★★★(5.5点)

足柄城の残る足柄峠は古くから箱根越えの街道として使用されてきました。足柄城の築城時期は定かではないみたいですが、現在残されている遺構は後北条氏が境目の城として整備したものが残されているものと思われます。

甲相駿の三国同盟が崩れて甲斐武田氏が駿河の深沢城を制圧すると、足柄峠に構える足柄城と河村口を監視する河村城は武田氏に対する重要な境目の拠点として整備が急がれました。
武田氏が滅亡した後も今度は駿河を領する徳川氏との境目の城として重要視されています。

小田原征伐の際、箱根の山には箱根十城と呼ばれる防衛拠点が整備されていました。足柄城もその一つとして使用され北条氏光が足柄城の守備についていましたが、圧倒的兵力差を前に最大拠点であった山中城が落城すると、翌日には開城したと伝えられています。

足柄城はこれで廃城となりますが、足柄峠は江戸時代も関所が設けられて使用されていました。また、足柄山といえば金太郎が有名ですね。
公園化によって遺構が改変された箇所もあるみたいですが、全体的に見やすいつくりになっています。条件が悪くなければパノラマで富士山を楽しむことができるみたいなので、ドライブで訪れるのにも良い場所ですよ。

※動画はまだ作成していません
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↑箱根越えには主に3つのルートが使用されていました。箱根口(山中城)と河村口(河村城)、そして足柄峠を通過する足柄口です。

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↑日本古城絵図を基に主要な曲輪の配置を地図に描いてみました。
足柄城は石塁を多く使用したお城だったみたいなのですが、地震や道路設置の影響で殆どが撤去されてしまいました。自分は確認していませんが、大手の辺りには石類がまだ残されているみたいですよ。

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↑【本丸】
富士山は雲に隠れて見えませんでした。残念。
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↑【玉手池】
本丸の繁みの中に残る玉手池。底知らずの池とも呼ばれていて、池の底は小田原に通じているなんていう伝承も。
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↑【二の丸と堀】
堀は本丸と二の丸の間にある堀です。
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↑【三の丸と堀】
堀は二の丸と三の丸の間にある堀です。
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↑まだ先に曲輪は続いているのですが、このときはここで散策を止めました。この先にある四曲輪には井戸も残っているみたいなんですけどね。何か気が進まなかった。
まあ、また訪問しましょう。


足柄峠は歴史的に長く重要な役割を担ってきた場所なので、足柄城以外にもいろいろ史跡が残されています。
以下、それらの紹介です。

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↑【新羅三郎義光 笛吹塚】
源義光のことは詳しくは存じ上げませんが、その名前は甲斐武田の祖としてよくでてきますよね。
平安時代、後三年の役に参戦する途中、新羅三郎義光が足利峠にて藤原時元の子・時秋に笛の秘曲を伝授しました。その謂れに関連した大石だと伝えられています。
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↑【芭蕉の句碑文】
「目にかかる 時やことさら 五月富士」
残念ながら当日の自分には、富士山は姿を現してくれませんでした。
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↑【足柄峠一里塚】
江戸幕府が各街道に設置していた一里塚。江戸時代は富士山信仰も盛んだったみたいなので、多くの人が富士山を目指して峠を歩いていったことと思います。
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↑【足柄の関】
この冠木門は映画「乱」の撮影で使用されたセットを移築したものなんだとか。
「乱」「影武者」「夢」は所有していますね。黒澤映画は面白いので結構好きです。

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