« 8/11 訪城(?)報告 | トップページ | 河村城 【相模】 ※おまけ »

2013年8月12日 (月)

河村城 【相模】

場所:神奈川県足柄上郡山北町岸(場所)
訪問:2012年1月ほか
形態:山城
遺構:曲輪・空堀・畝・土塁など
指定:神奈川県指定史跡
駐車:有
満足:★★★★★★★(7.5点)

見所:復元された畝堀は見事の一言。ここまで迫力のある畝堀を見学できるのは山中城と河村城くらいかも!?

平安時代の末期、波多野氏の一族である秀高が河村郷に館を築いて河村氏を名乗ったのが河村城(河村館)の始まりとされています。
河村氏は頼朝挙兵の際に平氏方についたため一時領地を没収されますが、程なくして河村領に復帰。以降、南北朝の合戦の際には南朝方の新田義興・脇屋義治と一緒に河村城に篭って北朝方と篭城戦が行なわれたり、上杉禅秀の乱では鎌倉公方の拠点として登場したりとたびたび歴史上有名な出来事に関係してきました。

河村館から現在見られる山城としての河村城にいつ頃から移行していったのかは判りませんが、現在残る姿は深沢城を制圧した甲斐武田氏に対する備えとして足柄城と併せて整備されたものか、もしくは小田原征伐の時代のものだと思われます。

河村城は城址公園としてよく整備されているので、季節を気にせずに見学することが可能です。
見所はなんといっても復元された畝堀。もしかしたらかなり誇張された姿なのかもしれませんが、畝堀としての見応えはなかなかのもの。
いまのところ最終訪問日は2012年1月ですが、調査及び復元作業も順次進行しているみたいなので、これからもどんどんその姿を変えていくのかも知れませんね。あまりやりすぎて逆に景観を損なうことがないかだけ心配です。


※動画は2012年1月訪問時に撮影した映像をベースに、2012年2月にアップロードしたものです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

0kawamura_001b_2
↑箱根越えには主に3つのルートが使用されていました。箱根口(山中城)と足柄口(足柄城)、そして河村城が監視していた河村口です。

0kawamura_000b 0kawamura_001
↑河村城は河村口を抜けてすぐにある開けた台地の独立山に築かれていました。要衝であると同時に、酒匂川がすぐ脇を流れる天然の要害ですね。
河村城として認定されているのは歴史公園のある頂だけですが、その東隣りにある浅間山も何かしらの城郭施設が設けられていたものと思います。
なお周辺図などとは違い、画像右の概要図は転地(南北)が逆に描かれています。ご注意ください。

0kawamura_002

0kawamura_003 0kawamura_004
↑【茶臼郭脇の畝堀】
河村城最大の見所である畝堀。再現性は判りませんが、迫力だけは凄いです。

0kawamura_005
↑【お姫井戸】
畝の端にあった水溜り。古絵図(新編相模国風土記稿)によるとこの位置に井戸の記載があったことから、ここをお姫井戸と呼んでいるみたいですね。
ただ、発掘調査では井戸の痕跡は見つからなかったとのこと。これは単に古地図が畝に水溜りができた状態を井戸と誤表記してしまっただけなのでは・・・。
落城の際に姫が身投げをしたという話もありふれていますし、まあ、井戸への身投げが例え事実だったとしても、たぶんこの場所では無い様な気がしてならないんですが。

0kawamura_006 0kawamura_007
↑【本城郭脇の畝堀】
ここまで見事に畝堀が復元されているのは、今のところ山中城と河村城くらいなものでしょうか。なので一見の価値は大いにあり。

復元するものにもよりますしここは意見が分かれるところだと思うのですが、こういう堀などはちょっと大げさに再現したほうが閲覧者は喜ぶと思うんですよね。迫力があがるし、畝などは過剰に保護土を覆うことで少しでも残された遺構が劣化するのを防ぐ。


進行形で調査・展示が進んでいる場所といえば、まっさにに頭に浮かぶのが茨城県の小田城。小田城も多数の障子堀が確認されているので、今後の復元展示をちょっと期待したいところです。

0kawamura_008
↑【北郭から城址の西側を望む】
眼下を流れているのは酒匂川です。

0kawamura_009
↑【郭馬出に残る廃屋】
廃屋というよりは物置跡ですかね。もしかしたら現役なのかも知れませんが。

0kawamura_010
↑【水郭や馬洗場があったという谷】
河村城は富士山噴火の際の降灰の影響で、埋もれてしまっている箇所がかなり多いみたいです。
ここもそういった影響なのでしょうか。見た感じ、遺構が残されているのか判りませんでした。

0kawamura_011
↑【本城郭と蔵郭の間に架かる木橋】
ポジティブな郭の画像が少なくなってしまいましたが、城址は公園として綺麗に整備されているので歩き易いです。ほら、ご覧の通り立派な建造物も設置されていますし。
ちなみにこの木橋は、調査によってこの堀切より発見された橋脚台をもとに復元されたものです。

0kawamura_012
↑【大庭郭から見る近藤郭】
このときはある程度近藤郭の発掘調査が終了したからなのか、近藤郭一帯は公園化に向けて工事を行っている真っ最中でした。
この工事自体は昨年(2012年に)とっくに終了しているだろうから、どのような景観になったのか興味がありますね。ただ、風の噂だとあまり良い評判を聞かないですけど・・・

0kawamura_013
↑【城址の東外れにある馬違戸】
大庭郭から大きな堀切の抜けた先にある馬違戸と呼ばれる郭跡です。
公園の外れなんですけど、このちょっと先に駐車場のような場所が造られていました。今までは麓から比高110mを歩いて登っていた人が多かったと思うんですけど、今はこちらから労少なく訪問できるようになっているんじゃないかと。ただ、未確認なので恐らくです。なっていなかったら御免なさい。



■【余談】東隣りにある浅間山

0asama_001 0asama_002
↑始めて河村城を訪問した際、紛らわしい案内に騙されて浅間山に登ってしまいました。しかも農道で車両通行止めっぽかったのでなんと徒歩で・・・。
夕方近くで時間もないとあせる中、この先に河村城があることを信じて、廃道直前っぽい道をひたすら登っていきます。

0asama_003
↑昔は斜面いっぱいを畑として使用されていたのでしょう。今は僅かに痕跡が残るのみ。

0asama_004
↑浅間山頂上。この頂には河村城は存在しないということを確証した瞬間です。

この頂を越えてちょっと先まで道を歩いてみたのですが、分岐はあれど案内は無し。ここで仕方なく一旦麓まで引き返し、当初予定していた登り口から河村城に登りました。

実はその引き換えした分岐を右に曲がって100mも歩けば、先ほど紹介した馬違戸に着いていたんですけどね。それでも当時(2011年6月)は案内があったかどうかも怪しいところですし、河村城址を認識できなかった可能性も捨てきれないので、引き返すという選択は正しかったと思っています。今では貴重な旅の思い出です。


→現地(近藤郭付近)に展示してあった調査資料の一部をおまけとして紹介しました。おまけページはこちらから。

« 8/11 訪城(?)報告 | トップページ | 河村城 【相模】 ※おまけ »

」カテゴリの記事

地域 - 神奈川」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 河村城 【相模】:

« 8/11 訪城(?)報告 | トップページ | 河村城 【相模】 ※おまけ »