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2013年9月19日 (木)

大多喜城 【上総】

場所:千葉県夷隅郡大多喜町大多喜(場所)
訪問:2012年4月
形態:平山城
遺構:模擬天守・現存移築門・井戸・曲輪・堀切・土塁など
指定:千葉県史跡(本丸跡)
駐車:有
満足:★★★★★★(6.5点)

見所:正木大膳の通り名で知られる小多喜正木氏の居城だったお城。城下町も散策を楽しめます。

大多喜城はもとは小多喜城と呼ばれていて、上総武田氏の真里谷信清によって築かれました。その後、真里谷朝信が小多喜城の城主を務めます。

真里谷武田氏は信隆・信応の後継争いや1538年の第一次国府台合戦にて急速に疲弊していき、その疲弊した真里谷武田氏の間隙をついて安房の里見氏が上総南西部に進出、真里谷武田氏は久留里城佐貫城を里見氏に制圧されてしまいます。
続いて上総南東部に正木氏を送り込んだ里見氏は、1541年には輿津城や勝浦城などを陥落。真里谷朝信も里見氏に対抗しますが
、朝信は1544年に上総刈谷原にて正木時茂に討ち取られ、以降の小多喜城は正木時茂の本拠として使用されることになりました(小多喜正木氏)。

小多喜正木氏は勝浦正木氏とともに外房正木氏として里見家中でも大きな勢力を築きますが、1590年に里見氏が上総国の領地を没収されると、小多喜城には家康家臣の本多忠勝が入城。この際に小多喜城は近世城郭として改修され、名前も小多喜城から大多喜城へと改められました。
本多忠勝は1600年には伊勢桑名藩に転封になりますが、大多喜藩は忠勝・次男の忠朝が継ぎ、その後は一時廃藩の時期を挟みなが
らも阿部家・青山家・阿部家・稲垣家と続いて最後は大河内松平家の統治の下で幕末を迎えました。

大多喜城には天守閣が存在していたらしいのですが、1843年に焼失してからは再建されなかったみたいですね。
現在、本丸には模擬天守(内部は博物館)が建てられ、大多喜高校が建てられている二の丸跡には薬医門が唯一の現存移築建造物として残されています。
城下町だった市内にも旧家が多く残されているみたいですし、ついでに散策してみるのも良いですよね。房総の小江戸ってキャッチフレーズがついていましたけど、これは埼玉県の川越市を意識したものなのかな。


※動画は2012年4月に撮影・編集してアップロードしたものです。
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↑作成した大多喜城の簡単な周辺図と大多喜城地之絵図。
夷隅川が大多喜城の南から北東まで城域を覆うように流れ、これが天然の外堀として機能していたものと思われます。

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↑【出丸】
堀切を挟んで本丸の西側にある出丸。背後からの寄せ手を撃退するための曲輪だったのでしょうか。

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↑【本丸にそびえる模擬天守】
模擬でも天守閣があるとやっぱりいいですね。桜の季節だったので人でいっぱいでした。

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↑【本丸に残る土塁?】
遺構かどうかは判りませんね。本丸は結構手が入っているような感じなので、やっぱり違うのかな。

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↑【大多喜高校に残る大井戸と移築薬医門】
大井戸は周囲17mで深さは20mもあるみたいです。まさに大井戸ですね。

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↑【大多喜城主要部の南を流れる夷隅川】
要害だった面影を知ることができますね。この方面から寄せるのは容易ではなかったでしょう。

ちなみに下に見える道はメキシコ通りという名称がつけられています。なんでも、本多忠朝が藩主を勤める時代に近海で座礁したスペイン領フィリピン提督一行を保護したことがあり、そのことが縁となって日本はメキシコ・スペインと通商を始めることなったらしく、そのことを記念しての命名なんだとか。

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↑【大手門跡】
その提督が書き残した大多喜城に関する記述があるらしく、それによると大手門は跳ね橋の形状をとっていたのだとか。
とても見てみたいですね。明治撮影の古写真とか残されていないのかな?

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↑【栗原地区】
まとまった広さの敷地が残る栗原地区。発掘調査では柱穴やかわらけなども検出されています。どのような役割を担っていたのでしょうかね。
なお、栗原地区は現役の農地で、奥のほうは通行禁止になっていました。猪が出たりして危ないからとのお話でしたが、私有地ですし禁止されていることではあるので、無茶はやめておきましょうね。

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↑【栗原地区西方の細尾根】
まるで防壁のように感じられる細尾根。実際、そんな感じの使われ方だったんですかね。

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↑【古城絵図から見る細尾根脇の駐車場】
現在は駐車場として使用されている場所を日本古城絵図の大多喜城地絵図で確認してみると、そこには八幡社と描かれているのが判ります。
その周囲も城山とされているので、正木氏時代の小多喜城を知る上での参考になるかもしれません。


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↑おまけ。桜はやっぱり綺麗ですね。






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