« 大房岬【大房岬要塞】 | トップページ | 大多喜城 【上総】 »

2013年9月16日 (月)

品川台場【第三台場】

1853年、米のペリー率いる4隻の黒船が浦賀沖に来航。江戸幕府に対して開国を迫りました。
これに脅威を感じた幕府は海防のために台場を各地に設置していきますが、この品川台場もその時に建造された要塞のひとつです。
品川台場の建設を指揮したのは伊豆・韮山代官の江川英龍。洋式の海上砲台を11基建造する予定でしたが、建造された台場は未完も含めて8基(洋上7基、御殿山の山下台場1基)でした。

埋め立てなどの要因で埋没、または撤去され、現在残されているのは2基のみですね。そのうち忍藩が防御を担当したという第三台場は都立台場公園として整備され、往時の御台場の雰囲気の一端を感じることが可能です。

都内って意外に保存状態の良い史跡が多いんですよね。同潤会アパートや九段会館のように耐震性などの問題で最近取り壊された建物(まあ、これらは史跡ではないですが)もありますけど、都市化が進んでも何気なく残る史跡の数々。前方後円墳などが有名かも知れませんが、古絵図などを頼りにぶらりと散策してこういった史跡を探してみるのも、なかなか楽しいものですよ。


※ニコニコ動画はこちら

02
↑往時の台場の位置関係を見てみると、埋め立てによって随分と景観が変わっている事が判りますね。
現在残されているのは第三台場と第六台場のみですが、6番台場は立ち入り不可な為、確認できるのは台場公園として整備されている第三台場のみです。

A A_2 A_3 A_4 A_5 A_6
↑【往時の台場】
洋上に構築された第一台場~第六台場までの往時の姿。
第七台場は海中の土台しか造られなかったみたいなので、写真がないですね。

0_002 0_003
↑【レインボーブリッジから見る第三台場と第六台場】
現在の台場の姿ですね。レインボーブリッジ、この撮影のために始めて徒歩で歩きました。

0_001_2 B_2
↑【第三台場】
現在訪問できる第三台場は四角形ですが、殆どの台場は五角形をしていました。
俗に稜堡式と呼ばれる形状ですね。西洋から取り入れられた、当時としては最新式の築城技術です。

0_004
↑【陣屋跡】
第三台場の中央付近には休憩所などに使用された陣屋が建てられていました。
それにしても、このコンクリートの構造物は何なんでしょうね。陣屋の土台を判りやすく再現したものなのか、はたまた近代以降に建てられた建造物の名残なのか・・・。

0_006
↑【弾薬庫】
夏草に埋もれた弾薬庫跡。入り口は封鎖されているので、中に入ることはできません。

0_007
↑【かまど場】
非常に目立つオブジェクトですが、かまど場は江戸時代のものではないとの旨が案内に記されていました。
もしかしてここ、キャンプ場みたいな使われ方をしていた時代があるのかな?なんでそう思うのかは後述・・・。

0_009 0_008
↑【火薬庫跡】
土塁に囲まれているこの場所は古図によると火薬庫だったみたいですね。
二箇所のうち一箇所はかまど場として使用されて、もう一方には建物が建てられていたような雰囲気。

0_010 0_011
↑【砲台跡】
オブジェクトですが、こういったものがあると雰囲気がでていいですね。
この方面には5挺のカノン砲が設置されていたみたいです。

0_012 0_013
↑【波止場】
埋立地が広がって陸続きになるまでは、ここから上陸していたんですね。
コンクリートになっている箇所は近代に補強された部分なんでしょう。

0_014 0_015 0_016 0_017_2
↑【公園施設の廃墟】
木々に埋もれた区画には、池や水飲み場などの痕跡が廃な雰囲気で残されていました。
ひび割れた池跡は歩くと地面に靴が沈み込んだので、もしかしたら現役なのかも知れないですね。

0_018 0_019 0_020 0_021
↑【土塁跡と思われる土盛】
周囲を囲む大規模な土塁の上にも、土塁と思われる土盛がところどころに残されていました。
これも土塁の遺構だとしたら、もしかしたら竹ヶ岡砲台大房岬台場で見られる土塁のように切込みを入れて、そこで大砲を固定していたりしていたんでしょうか。


« 大房岬【大房岬要塞】 | トップページ | 大多喜城 【上総】 »

史跡」カテゴリの記事

地域 - 東京」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 品川台場【第三台場】:

« 大房岬【大房岬要塞】 | トップページ | 大多喜城 【上総】 »