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2013年9月 4日 (水)

稲村城 【安房】

場所:千葉県館山市稲(場所)
訪問:2011年8月
形態:平山城
遺構:曲輪・堀・土塁・櫓台など
指定:国の史跡(岡本城とあわせて里見氏城跡として)
駐車:有
満足:★★★★★(5.5点)

見所:前期里見氏の本拠だったお城。里見家が大きく変動した稲村の変の舞台でもあります。

稲村城は前期里見氏の本拠として使用されていました。
前期里見氏最後の当主は里見義豊ですが、義豊は里見義堯による下克上(天文の内訌/稲村の変)によって滅ぼされてしまいます。この稲村城はその内訌の序盤に発生する里見実堯と正木通綱の誘殺が実行された現場でもあるんですよね。いわばきっかけとなったお城です。

天文の内訌の締めくくりである犬掛合戦で義豊を完全に打ち負かした義堯は5代目里見家当主となり、その後は真里谷武田氏の治める上総の国に進出。久留里城を手に入れると義堯は久留里城を本拠に定め、後北条氏と幾たびも合戦を繰り広げました。

義堯は天分の内訌直後というか、久留里城に本拠を定めるまでは滝田城ないし宮本城を本拠にしていたとされ、稲村城は使用されなかったということです。そのため、義豊以降の稲村城がどのように扱われていたのかは定かではありませんが、前期里見氏の滅亡に併せて廃城になったのかも知れません。


●安房里見氏(特に後期里見氏)は代を重ねるごとに居城が変更されていますね。どこもある程度以上の遺構は残されているので、城跡から里見氏の隆盛を見ていくのも楽しいかも知れません。
・前期里見氏(義実、成義、義道、義豊) → 稲村城
・義堯 → 久留里城
・義弘 → 佐貫城
・義頼 → 岡本城
・義康、忠義 → 館山城

※動画は2011年8月に撮影した映像を2011年10月に編集してアップロードしたものです。(→2/2)
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↑大まかな概略図。本郭を中心として、そこから東と南に伸びる尾根に郭や腰郭を配置するといった感じの構造をしていたみたいです。

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↑【遠視】
東側から見た稲村城。

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↑【現在の登城路】
城址の東側から訪問しましたが、付近には「稲村城」の案内が設置してあったので、迷うことなく訪問することができました。
写真は登城路の途中に設置してあった「水往来」の案内。言葉の意味はよく判りませんが、用水路でも設置してあったということなんでしょうか。

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↑【堀切兼切通し】
登城路を進んでいくと正木様の脇にある切通しに到着します。南房総に多い岩盤を削って作成されたパターンのもので、なかなかの見応えです。

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↑【正木様】
正木様と記された案内の道をあがると、そこにはお社が建てられていました。誘殺された正木通綱を祀ったものなんでしょうか。

-正木に関して-
余談ですが安房正木氏には大きく分けると内房と外房の二つの系統があり、正木通綱は外房正木氏に分類される人物でした。通綱は里見義豊の指示で後北条氏の支配地であった品川湊に水軍で攻撃を仕掛けるなどしていますので、正木氏は安房水軍の中でも一定の勢力を所持していたものと思われます。
通綱の死後、長男・時茂(槍大膳)は小田喜城(後の大多喜城)を、三男・時忠は勝浦城を任され、里見家の中で引き続き重要な役割を果たしていきました。

また、安房の府中だった三芳のすぐ西隣の地名は正木なんですよね。この地区は古来から正木村と呼ばれ、現在よりかなり広い地域が正木村に含まれていました。
安房正木氏と正木地区の繋がりはよく判りませんが、安房正木氏が国衙に近い正木という土地の名をを称していたということは、もともとそれなりに力のある一族だったということの証なのも知れません。

最後に正木の名の由来ですが、一説によるとこの地から柾木(まさき)の履物が献上されたことによるとの言い伝えもあるみたいです。

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↑【本郭南側の尾根道】
正木様から本郭まで続く尾根道。周囲の段々畑は往時は腰郭として機能していたものなんでしょうか?
写真左は尾根道の入口付近の通路。この道も堀切だったんだと思いますが、もしかしたら違うのかも。

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↑【横穴墓(やぐら)】
鎌倉~室町期に多く作成された横穴墓。通称、「やぐら」です。「やぐら」は鎌倉を中心に伊豆半島や三浦半島でも散見されるみたいですね。有名なものでは北条高時が一族や家臣とともに自刃した腹切りやぐらなどが存在します。

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↑【本郭】
全体的に段々畑や細尾根が多い稲村城ですが、本郭は土塁や虎口もしっかり残されているので、多くの方にここが城址なんだということを認識していただけるんじゃないでしょうか。

発掘調査によってこの郭が大規模な造成工事によって造られたことが判明しています。ただ、館などが存在していてもおかしくないくらいの広さがある空間なのに、生活の痕跡を示す痕跡がここから全く見つかっていないというから不思議ですね。比高差もそんなにあるわけでは無いですし、台地の突端に近いこの場所はうってつけだと思うんですけど、何故なんだろう。


本郭より東側の尾根にも堀切や土橋があるみたいなんですけど、今のところは未訪問です。真夏の訪問なので、蜘蛛の巣の除去に辟易としてしまって本郭までで散策を中止しました。

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↑【正木様の南東方面にある郭】
こちらも往時は郭として使用されていたんじゃないかと思うのですが、本郭東側の尾根と同じく蜘蛛の巣除去が億劫になって、途中で散策を中止してしまいました。
鬱蒼とした竹薮でしたが、何か遺構が残されていたりするんでしょうか。

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