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2013年10月30日 (水)

宇都宮城 【下野】

場所:栃木県宇都宮市本丸町(場所)
訪問:2012年5月
形態:平城
遺構:土塁の一部 ほかに復元された堀や隅櫓など
指定:特になし
駐車:有
満足:★★★(3.5点)

見所:復元された隅櫓の景観や展示してある各種資料

宇都宮城は、宇都宮氏の祖である藤原円心が当地に館を築いたことが始まりであるとされています。
享徳の乱(1455-1483年)の最中に当主に就いた17代・宇都宮成綱の時代に宇都宮氏は全盛期を迎えますが、18代・忠綱や19代・興綱の代に変わると芳賀氏や壬生氏など家臣団の力が台頭し、宇都宮氏の権勢は急速に衰えていくことになりました。

16世紀も中頃になると、武蔵国まで勢力を伸ばしてきた後北条氏の影響力が北関東にも及んできます。後北条氏よりの政策をとる小山氏-結城氏に対して、宇都宮氏は佐竹氏や那須氏、小田氏などと組んで牽制を行いますが、河越夜戦(1546年)で古河公方・足利晴氏や管領上杉家が大敗すると、ますますもって後北条氏の圧力は増大し、戦国後期には居城を宇都宮城から山城の多気山城に移転させたりして、何とか勢力を維持させました。

宇都宮氏は秀吉による宇都宮仕置の後に本拠を宇都宮城に戻し、文禄の役(1592年)では朝鮮に出兵して戦功も上げますが、1597年に太閤検地の石高申告に偽りがあったとの理由で、突如改易とされてしまいました。

宇都宮氏改易後の宇都宮城には会津から転封の処分を受けた蒲生秀行が18万石で入り、江戸時代は宇都宮藩の藩庁として栄えました。近世城郭としての宇都宮城は本多正純の時代にほぼ整備が終了したと考えられているみたいです。

戊辰戦争の際に宇都宮藩は新政府軍についたため、土方歳三や大鳥圭介が率いる旧幕府軍の攻撃を受け、宇都宮城は落城。その後、新政府の救援軍によって宇都宮城は奪還されますが、この宇都宮戦争(1868年)によって城内の建物も藩校など一部を除き、すべて消失してしまいました。


明治になると城郭一帯が民間に払い下げられ、殆どの遺構は市街地化によって消滅してしまっています。本丸がおかれていた一角に水堀や土塁、櫓などが復元されていますが、遺構自体が少ないのであまり期待をして訪問すると、ちょっと拍子抜けしてしまうかもしれません。
古地図などを頼りに周囲を散策すると、多少は往時の面影を感じることができのかも!?

※動画はまだ作成していません
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↑日本古城絵図の宇都宮城絵図。田川に面した平城で大手口には丸馬出を配し、虎口周りを中心に一部では石垣が使用されていました。
市街地化によって遺構の大半は消滅してしまいましたが、現在は本丸の一部が復元されて城址公園として開放されています。

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↑復元・整備された水堀と土塁、そして富士見櫓。正面から見るとなかなか見ごたえがあるのですが・・・

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↑裏から見るとあまりにも整備されすぎていて、風情というものが全く感じられません。櫓の復元にはこだわりを感じますし、それなりに費用をかけて整備を行ったんでしょうけど、ちょっと担当者のセンスがずれているというか勿体無いですよね。

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↑安全を優先させるにしても、もっとやり方があっただろうに。
城址の復元を行っている自治体は数多くあります。参考になる城址は、いっぱいあったのではないかと思いますが・・・

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↑古河城がそうでしたが、この宇都宮城も日光社参の際には宿泊所として使用されていて、本丸には将軍の宿泊所である御成御殿が建てられていました。
このあたりには清水門と呼ばれる枡形門が設置されていて、将軍派その清水門を通過して本丸に入ったのだとか。

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↑その枡形付近から見上げる清明台。

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↑入口付近の案内所には復元図や模型などが展示されていました。ボランティアの方々だと思うんですけど、来園者に対して熱心に対応されている姿にはとても好感がもてましたね。
宇都宮文化財マップや各種カタログ、本当に有難うございました。

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コメント

やっぱ、城は整備されすぎててもどうかなっておもいますよね?山中城なんか整備されすぎてて、ゴルフ場みたいやったしな^^篠山城も大概・・・

私は先日、設楽が原巡りしてました^^・・・武田の猛将・知将の多くがここで散ったんだなっとか、やはり3段撃ちは不可能だなとか、改めて思いながら歩いてました・・

>フジキセキさん

古戦場跡も良いですよね。合戦のノスタルルジーだけでなく、陣城だって十分に古城跡として見学できますし。

火縄銃の有効射程距離は100mってよく聞きます。だから、近世城郭の堀も、だいたいその幅に設定したんだとか。
設楽が原の地形や陣形想像図を見ると、あの地でどのような合戦が行われたのか、本当に妄想が尽きません。仰せの通り、確かにあの陣構えで三段撃ちは意味がないのかなと。

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