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2013年10月18日 (金)

多良崎城 【常陸】

場所:茨城県ひたちなか市足崎(場所)
訪問:2011年10月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・土塁(櫓台や狼煙台を含む)・水の手など
指定:市指定史跡
駐車:入口付近に路駐できます
満足:★★★★★★(6.0点)

見所:土塁や堀がしっかり残る

多良崎城の詳しい歴史は不明みたいですが、大掾系図に吉田三郎兼幹の第二子、多良崎次郎盛忠の居館とされ、鎌倉時代初期の築城と記されているみたいです。ただ、発掘調査による測定では鎌倉時代末期~南北朝時代頃の築城と考えられ、ちょっとズレがあるみたいですね。

多良崎氏は南北朝時代に南朝方に組して没落し、その後は江戸通重の次男が土着して足崎氏を称しました。
足崎氏は戦国末期まで当地を治めますが、1590年の佐竹氏による江戸氏攻撃の際に多良崎城も攻略され、城は落城してしまいました。
その後、程なくして廃城になったものと思われます。

周辺の低地も今は耕地になっていますが、昔は太平洋に繋がる形で真崎浦という広大な内海が形成されていたみたいです。
その真崎浦に突き出す半島状台地に、この多良崎城は築かれていました。台地の大半はゴルフ場として使用されていますが、もしかしたらそちら側にも遺構が残されていたのかもしれませんね。


多良崎城はアンビリバボーの影響だと思うんですけど、心霊スポットとしても有名です。まあ、全く気にしなくていいと思いますよ。怖いというだけなら、ここより凄いところがいっぱいあると思うので。

※動画は2011年10月に撮影した映像を同年12月に編集してアップロードしたものです。
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↑多良崎城の大まかな概略図。
周辺の耕地は、昔は真崎浦という広大な内海でした。この真崎浦を囲むように、周辺には多数の城館が建てられていたみたいです。
概略図や多良崎城の縄張を見ていただくと判るかもしれませんが、主要部の堀はどちらかというと真崎浦方面の北側に向けて作成されており、ちょっと不思議な構造をしているように思いました。
詳しくは主要部の項にて。

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↑【多良崎城の周辺】
南側から見た多良崎城。
あくまで憶測ですが、城址とゴルフ場の間に設置されている道路は、もしかしたら堀切だったのかも知れないですね。

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↑【大手の木戸跡】
大手道には2箇所の木戸跡が残されています。雰囲気的には違和感が無いですが、調査でこの場所から門跡が見つかったとかいう裏づけがあったりすると、なお良いんだけど。

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↑【切通しを監視する腰郭?】
二の木戸を抜けると切通しの通路がありますが、この切通しの真上は、実は主郭です。主郭は城内で最も高い場所にあるので、ここからだとそれなりに高低差があるのですが、それでも直接攻撃されたら厄介ですよね。
その主郭南の崖下には腰郭のような場所が見られました。おそらく、二の木戸や切通しの守備を担っていたんでしょう。

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↑【主郭】
主郭には「大手門」や「屋形跡」と書かれた案内が設置されています。
東側の虎口が現在の主な訪問口であり、大手門の案内もこちらに設置されているのですが、これだと二郭や三郭の担う役割が低下してしまうと思うので、大手は別方面にあったのではないかと思うのですが・・・

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↑【二郭】
主郭とは土塁で仕切られている二郭。かなり浅いですが、土塁手前にうっすらと堀の痕跡も確認できます。

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↑【三郭】
なだらかながらも傾斜している三郭。

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↑【三郭北西隅の櫓台のような場所】
ちょっと奥まった場所に残されていた櫓台のような場所。眼下には船溜りがあったと想定されているみたいなので、監視するという意味があったのでしょうか。

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↑【出郭】
城内の最北端に位置する曲輪跡です。
ボコボコな地面と、アマガエルが異常に多かったのが印象的。

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↑【水の手】
今でも豊富に水が涌き出ていて、ちょっとした湿地を形成しています。

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