« 多良崎城 【常陸】 | トップページ | 西方城 【下野】 »

2013年10月21日 (月)

皆川城 【下野】

場所:栃木県栃木市皆川城内町(場所)
訪問:2012年4月
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・土塁・井戸跡など
指定:栃木市指定史跡
駐車:有
満足:★★★★★★★(7.0点)

見所:法螺貝城とも呼ばれるその構造

皆川城は、小山政光の子である長沼秀宗が築城したとされています。
長沼氏はその後に皆川氏と称し、周辺に勢力を拡大。戦国時代になると宇都宮城の宇都宮氏と幾度か合戦を行い、戦国後期にはかなり押されて領地の多くを失いますが、何とか皆川城を守りきることには成功しました。
しかし、1590年の小田原征伐が行われると、後北条氏寄りの政策を行っていた皆川氏は後北条方について、当主の皆川広照は小田原城に入城。
広照は小田原城が落城する前に投降して領地は安堵されるも、皆川城は既に秀吉軍に攻撃されていて落城していたため、1591年、新たに栃木城を築城して本拠を移転。皆川城は廃城となりました。

広照はその後、家康・六男の松平忠輝(正宗の娘婿として有名ですね)の附家老となって忠輝の補佐役を勤めますが、行状の悪い忠輝の現状を幕府に訴えたところ、逆に家老として不適格とされて皆川氏は改易されてしまいました。程なく赦免されて府中陣屋に入り常陸府中藩の藩主となりますが、嗣子不在のため、皆川氏は三代で断絶・改易となりました。


東北自動車道を下って栃木インターが近くなってくると、それこそ法螺貝のような奇妙な丘が高速道の左手に見えてくると思います。それが皆川城です。
城址は公園としてよく整備されていて、通年を通して見学することが可能なんじゃないでしょうか。遺構も見応えがありますが、周辺には皆川氏累代のお墓なども残されているので、そちらのチェックも怠り無く。

※動画は2012年4月に撮影した映像を編集したものです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


0_1 0_001
↑作成した簡単な概略図と、現地案内に掲載されていた復元模型。

0_002
↑【南から見る皆川城】
遠目にも段が連なるその姿はひときわ目につくと思います。

0_003 0_004
↑【居館跡】
現在は市役所の施設が建てられている居館跡。周囲を覆う土塁がよく残されていて、ここが既に城内であることを実感させられます。
土塁の外には小川が流れているのですが、これは水堀の名残なんでしょうかね。

0_005
↑【南東部の巨大な横堀】
連なる帯郭を守るかのように最下段に設置されている巨大な横堀。かなりの迫力です。

0_006 0_007
↑【帯郭群】
見上げると先の状況が把握しづらい帯郭群ですが、上から見下ろすと一目瞭然ですね。

0_011 0_008 0_010 0_009
↑【山頂の主要部】
皆川城の最高所が本丸、見はらし台という平地を挟んで反対側には西の丸と呼ばれる櫓台状の台地が残されています。

0_012 0_013 0_014
↑【南西部の竪堀や横堀】
見応えのある竪堀や縦土塁。途中で横掘りとも連結しています。
ワイドは引き伸ばしになっちゃうので、どうしても画質が荒くなってしまう・・・

0_015 0_016
↑【皆川家歴代祖廟】
金剛寺には皆川家歴代祖廟が残されています。

« 多良崎城 【常陸】 | トップページ | 西方城 【下野】 »

」カテゴリの記事

地域 - 栃木」カテゴリの記事

コメント

こんばんは

この皆川城は、高速から良く見えますね

数年前に、本丸の藪もかられすっきりしました

麓の土塁、堀も良く残っている城だと思います。

>ヤマシロさん

麓は昔、中学校だったみたいですね。ニコニコ動画にアップしている動画のほうにコメントが寄せられていました。
紆余曲折あったとは思うのですが、根小屋まで面影が残る皆川城には、史跡保護のために尽力していただいた方々に感謝の気持ちでいっぱいですね。
今でも知名度はそこそこあるかもしれませんが、もっと全国的に知られても良い城跡な気がしています。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 皆川城 【下野】:

« 多良崎城 【常陸】 | トップページ | 西方城 【下野】 »