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2013年10月 6日 (日)

関宿城 【下総】

場所:千葉県野田市関宿町(場所)
訪問:2012年6月ほか
形態:平城
遺構:本丸の一部・移築建築物など ※城址付近に模擬天守あり
指定:なし
駐車:有
満足:★★★★(4.0点)

見所:各地に散らばる移築建築物の散策

関宿城は戦国時代に古河公方の勢力下にあった梁田氏によって築城されたと考えられています。

梁田氏は上杉禅秀の乱(1416年)の際に鎌倉公方側の勢力として大きな成果を挙げ、下河辺荘付近に勢力をはりました。享徳の乱(1455-1483年)が勃発して鎌倉公方の本拠である鎌倉が駿河国・今川氏に制圧されると、梁田氏は足利成氏を下河辺荘の近くにある古河に迎い入れ、自身は古河城に近くて水運の要衝だった関宿に城を築城(1457年)して、関宿城を拠点に古河公方家の側近として仕えます。

管領上杉家の家督問題から永正の乱に発展し、古河公方家も政氏(二代目)と高基(三代目)の両派に別れて争いますが、梁田氏内でもこのときは両派に分かれての諍いが発生しました。
古河公方家における争いは高基側が勝利し、高基派について活躍した梁田高助は筆頭家老に取り立てられました。こうして梁田氏は、古河公方家中における地位を万全のものとしていきます。

北条氏綱の代までは比較的良好だった古河公方と後北条氏ですが、北条氏康に代替わりする頃になると、徐々に両家の関係は悪化していくようになりました。
古河公方四代目・晴氏は管領上杉氏と後北条氏を攻めますが、河越夜戦で惨敗を喫し、古河公方の勢力は大きく衰退。こうして後北条氏が古河公方家に直接介入してくるようになります。
北条氏康は晴氏を引退させると、自身の甥である足利義氏を五代目の古河公方に就任させました。さらに氏康は要衝の地であった関宿城に目をつけ、義氏を古河城に配置して、梁田氏を古河城に転換させてしまいます。

一旦は後北条氏の勢力に逆らえず古河城に移動した梁田氏ですが、1560年に上杉謙信の関東出兵が開始されると、梁田氏は再び関宿城への復帰を果たしました。
以降、後北条氏は関宿城を三度(1565年、1568年、1574年)に渡って攻撃します。最後は一年近く攻防戦を続けるも、関宿城は矢玉尽きて遂に開城し、梁田氏は投降。
こうして後北条氏は北関東への圧力を、更に強めていくことになります。

後北条氏の滅亡後、要衝である関宿城には家康の異父弟にあたる松平康元が2万石(翌年には4万石)で入り、関宿藩が立藩されました。
江戸時代、関宿の藩主は目まぐるしく変わりますが、出世城と称えられたお城に相応しく、多くの人物が幕府の要職を務めています。

関宿城は明治の廃城令にて廃城が決定し、1875年には破却されました。城址は利根川東遷事業の一環で大規模な治水工事が行われ、主要部は堤防の下に埋没。外郭も農地や市街地化によって、現在はほぼ完全に消滅してしまっています。


城址の遺構はほぼ残されていませんが、関宿が水運の要衝だった面影は、現地でも少しだけ感じ取ることができます。天守風外観の博物館では利根川の歴史を紹介しており、あわせて見学すると、多少は興味の沸き方が違うんじゃないでしょうか。なんていうか、川の位置は時代で結構変わっちゃってたりしますから、自分には判らな過ぎてイマイチ興味が・・・。
「お城」を楽しみたかったら、ここよりも逆井城を訪問するのがベストですよね。模擬天守につられて関宿城を訪問している方も多いんでしょうが、それだったら近くにもっといい所がありますよと教えてあげたくなっちゃいます。まあ、余計なお世話なんでしょうけど。

※動画は2012年6月に撮影した映像を中心に、2012年7月に作成したものです。
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↑【作成した大まかな関宿周辺における河川の移り変わり】
現在は利根川と江戸川の分岐点にあたる関宿。でも、江戸時代以前の利根川は関宿を通過しておらず、渡良瀬川が江戸(東京)湾に直接繋がっていたのだとか。
ちなみに往時の利根川はもっと内陸にあって、忍城の残る行田市などの付近を流れていたそうです。ということは、石田三成の水攻め(石田堤)にも活用されていたんだろうなぁ。

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↑大まかな関宿城の概略図と古城絵図の関宿城図。
同じ渡良瀬川流域に存在していた古河城と同様に、関宿城も堤防の下に埋もれてしまいました。

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↑【本丸跡】
堤防の脇に僅かに残る本丸跡。公園として整備しようとした風はありますが、博物館から訪問しようとするとちょっと不便なので、物好き以外は立ち寄ることはないでしょうね。

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↑【天守風外観の博物館】
関宿城博物館では河川の歴史や関宿城に関するあれこれが展示されています。ちなみに、博物館の場所は関宿城の城域から僅かに外れているので、ご注意を。

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↑【処刑場跡】
南無妙法蓮華経と刻まれた石碑は1801年に作成されたものだと推定されています。あまり目立たない場所にあるので、指摘されないと存在に気付かないかも。


■関宿城の移築建築物

城址は消滅して面影も殆ど残されてはいませんが、関宿城内で使用されていたという移築物は複数残されているので、簡単に紹介していきたいと思います。

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↑【移築物①:実相寺に残る本丸御殿】 →場所
実相寺の客殿は本丸御殿の一部が移築されたものと伝えられています。

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↑【移築物②:埋門】 →場所
関宿城内の佐竹門と辰の門の間に設置されていた埋門。屋根の鬼瓦には久世家の家紋が彫りこまれています。

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↑【移築物③:薬医門】 →場所
逆井城に残されている移築薬医門。

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↑【移築物④:伝大手門】 →場所
最後は栃木県下野市のとんかつ合掌さんに残る伝大手門。
門内に用意された説明書きによると、幕末の資金不足の中で売却された大手門が鷲宮付近に移築された後、昭和53年に現在地に再度移築・復元された建造物なんだとか。
当然、現在見られる姿は往時のものではなく、移築にあわせて長屋門に改修されたあとの姿なんでしょけど、大きくてとても風格がありますよね。

あわせてとんかつも食事させていただきました。とても美味しくて大満足。
食事を終えて店を出ると、明らかに大手門目当てと思われる老夫婦が門のまわりをウロウロされていました。結構、この大手門目当てに訪問される方も多いのかな?

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