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2013年11月23日 (土)

箕輪城 【上野】

場所:群馬県高崎市箕郷町(場所)
訪問:2011年11月ほか
形態:平山城
遺構:曲輪・空堀・石垣・土塁・馬出など
指定:国の史跡
駐車:有
満足:★★★★★★★★★(9.0点)

見所:主要部に設けられた巨大な堀は必見

箕輪城は上野長野氏の居城として築城されました。
戦国時代に城主を務めた長野業正は、箕輪衆や上野衆を率いて武田信玄の上野進行をことごとく防ぎ、その活躍から信玄をして「業正がいる限り、上野はとれぬ」と言わしめた程でした。
ただ、その長野業正も1561年に死去してしまい、業正の跡は三男の業盛が継承します。しかし、その死を知った信玄は小幡氏や安中氏など西上野の諸勢力を調略によって勢力下におき、最終的には箕輪城を孤立化させた上で、1566年には箕輪長野氏を攻め滅ぼしました。業盛は箕輪城の御前曲輪において、一族郎党とともに自害したと伝えられています。

箕輪城を占拠した武田氏は箕輪城を上野国の重要拠点に定め、甘利昌忠や真田幸隆、内藤昌豊などの有力家臣を箕輪城の城代として配置します。

1582年に織田氏の侵攻で武田氏が滅亡すると、箕輪城には織田信長より上野と信濃2郡を領地として与えられた織田家重臣・滝川一益が新領主として入りますが、6月には本能寺の変が発生し、直後に上野国に侵攻してきた後北条氏との合戦に滝川一益は破れ、箕輪城は鉢形城主・北条氏邦が管理することになりました。

1590年の小田原征伐で後北条氏は滅亡し、関東には徳川家康が入封します。
箕輪城は井伊直政が12万石で城主を務めますが、直政は家康の命によって利根川沿いに高崎城を築城し、1598年に本拠を移転。箕輪城は廃城とされました。



江戸時代になると江戸の発展に欠かすことのできない利根川の水運が重要視されて、高崎や厩橋に要衝としての立場を奪われてしまいますが、戦国時代までは南北の通行だけでなく信濃からの動きも監視できる、この箕輪城のほうが要衝とされていたみたいですね。
歴代の城主も壮々たる顔ぶれです。


毎年、10月最終週の日曜日には箕輪城祭りが開催されていて、今年は10/27に執り行われたみたいです。祭りの実施は知っていたので訪問してみたかったんですけど、その週は台風27号・28号で大騒ぎしてましたしね。チャンスがあれば、また。

※そういえば櫓門と高麗門を復元するなんてニュースがありましたね。状況を見守りたいものです。

※動画は2011年11月に撮影した映像を、2012年6月に編集してアップロードしたものです。
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↑現地案内より箕輪城の概略図。

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↑【大手門周辺】
大手の痕跡が残されている丸戸張。主要部だけでなく、外郭の大手が残されているのも良いですね。

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↑【大手1:虎韜門口】
大手門から主要部に至る大手口のひとつである虎韜門口。
こちらは虎韜門から鍛冶曲輪を抜けて、三の丸に至るルートでした。虎韜門跡の周辺は駐車場になっていますし、鍛冶曲輪や三の丸の石垣も見られるので、大手口らしさを感じることができると思います。

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↑【大手2:大手尾根口】
こちらは大手門から尾根道を抜けて、木俣(きまた)や郭馬出を通りながら二の丸に至るルートです。
木俣の名称の由来は通路が五方向にわかれているからということや、井伊氏重臣に木俣という者がいて、その屋敷があったからとも言われています。
場所的には交差点のような認識だったとしてもおかしくないので、前者の説のほうが面白い気がしてしまいますね。

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↑【木俣方面に対する二の丸の守り】
箕輪城の見所のひとつに巨大な空堀の存在があげられると思いますが、二の丸などがある主要部とその南側の曲輪は、まるで自然の谷戸と見間違うくらいの巨大な堀で断ち切られ、唯一の連絡口である郭馬出を突破しないと、奥に進むことができません。

現在は確認できないのですが、諸国古城之図を見ると、この郭馬出の手前にも馬出のような空間が描かれています。前から気になっていたんですけど、現地で説明が見当たらなかったということは、調査でも特に痕跡が見つからなかったということなのかな?

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↑【その他の残されている馬出】
馬出は他に本丸手前と、城内の北端にて丸馬出を確認することができます。古図によっては、虎韜門の手前にも馬出が描かれているものが残されているのだとか。

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↑【本丸の堀】
大堀切も凄い規模でしたが、本丸の堀もなかなかのものです。
以前は草木に埋もれていましたが、2011年11月に訪問すると草木が綺麗に伐採されて、より確認し易くなっていました。

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↑【本丸】
箕輪城の中心に当たる本丸と、その奥に残された御前曲輪。
西上野の要衝だった箕輪城は何度も支配勢力が変わっていきましたが、その流れの中で徐々に拡張されていきました。
御前曲輪は当初の領主だった長野氏時代の本丸だったとされる曲輪で、長野氏最後の当主・業盛は落城の際、この御前曲輪にて一族もろとも自害して果てたとされています。

本丸には複数のオブジェが配置されていますが、これはお祭りにあわせて一時的に置かれていただけだと思います。
箕輪城祭りは例年10月最終週の週末に実施されているみたいなので、興味のある方は調べてみては。

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↑【点在する石垣の痕跡】
いつの頃から箕輪城に石垣が使用され始めたのか判りませんが、少なくとも後北条氏の管理する時代には要所は石垣で固められていたものと思われます。
長く放置されていた割には、これだけ各所で石垣を確認できることに驚きじゃないですかね。

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↑箕輪城は結構大きいので、全部見て回ろうとするとそれなりに時間を消費してしまうかもしれません。
まあ、見応えのある城址ではあると思うので、じっくり楽しんでみては如何でしょう。


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