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2013年11月 8日 (金)

東林寺城 【常陸】

場所:茨城県牛久市新地町(場所)
訪問:2013年11月
形態:平山城
遺構:曲輪・堀切・土塁など
指定:なし
駐車:三郭内にお断りして駐車するのが無難かと(多少、悪路を走りますが)
満足:★★★★★★★(7.0点)

見所:広大な曲輪、巨大な土塁と堀切

東林寺城は戦国時代、牛久城を本拠にしていた岡見氏によって築かれました。

東には江戸崎城の江戸崎土岐氏、西は多賀谷氏、そして北からは小田氏を圧迫する佐竹氏と抗争は続き、そんななかで徐々に衰退を始めてきた岡見氏は、下総から影響力を強めてくる後北条氏の勢力下に入り、自家を存続させる方向に向かっていきました。

多賀谷氏との抗争は続き、後北条氏を背後につけつつも岡見氏単独ではなかなか多賀谷氏に抗しきれず、遂には岡見氏の主要城郭である足高城と、本拠である牛久城の間にある要地に多賀谷氏の砦(泊崎城)が築かれてしまいます。
足高城も落とされ、風前の灯となった岡見氏。その岡見氏を守るために、後北条氏は支配下の諸勢力に牛久番として軍を牛久に駐屯させる方針を固めました。

こうして多賀谷氏からの攻勢は何とか凌いだ岡見氏ですが、1590年の後北条氏滅亡後は、大名としての地位を失っていまいました。
牛久城には秀吉の命で由良国繁が入りましたが、東林寺城はこの時期に廃城になったものと思われます。


牛久番は坂田城の井田氏や小金城の高城氏などが勤め、岡見氏とともに牛久を守りました。多賀谷氏はこの東林寺城まで攻め寄せたらしいですが、周辺の江戸崎土岐氏や相馬氏もこの頃には後北条氏に従っていましたし、牛久を抜くのは難しかったんじゃないでしょうかね。

牛久城も広大な城域を誇りますが、広大な曲輪跡が残される東林寺城は、この牛久番の諸勢力が駐屯するための基地というか、その名残りが残される城址して考えられています。
一部で土取による破壊で消滅してしまっていますが、残されている広大な曲輪跡と、非常に巨大な堀切は見学に来て損は無いと思います。
周辺の地理状況を頭に入れておくと、より感慨深くなるかも知れませんね。

そうだ、牛久城の項もそのうちに修正しとかねば・・・

※動画はまだ作成していません
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↑【戦国末期の牛久周辺勢力図】
牛久城と東林寺城、見ての通りで非常に近いです。
岡見氏は主要拠点である足高城と牛久城の間の地に、多賀谷氏によって砦(泊崎城)を築かれてしまったと紹介しましたが、こうして地図で見ると、それが如何に絶望的な状況かが判りますよね。こうして足高城は攻め落とされ、東林寺城には牛久番として井田氏や高城氏、豊島氏が詰めることになります。

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↑作成した東林寺城の概略図。竜ヶ崎市歴史資料館で撮影させていただいた昭和30年代の航空写真と比較してみると、今より稲荷川が全然巨大で台地のすぐ下まで水が流れていたことや、削られてしまった主郭の形状まで確認することができます。
※稲荷川が何かで埋まって見えるのは、恐らく木材か何かを浮かせているんだと思います。1943年(昭和23年)撮影の航空写真を確認してみると、違いがよく判るのですが。

余談ですが、この航空写真からは、今は消滅してしまった泊崎城の堀や、牛久城の崩落してしまった主郭南部など、他にもいろいろな現状との違いを確認することができて、結構面白いです。
古い航空写真は国土地理院の国土変換アーカイブで閲覧することができるので、気になる場所は確認してみましょう。

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↑【稲荷川から見る東林寺城】
目の前に見える田んぼは全て川だったんですよね。関東でも茨城南部から埼玉東部あたりは、特にこのような"つい数十年前までは湿地だった"てきな場所が多いですね。

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↑【主要部に入るためのルート】
城址を南北に貫くように農道が走っていますが、その農道に入るためのルートは2箇所。三郭までは車を使って移動できると思いますが、城址は大半が農地として使用されているので、作業従事者の邪魔にならないよう気をつけましょう。
二郭はどちらにしろ車では難しいと思いますので、牛久観光アヤメ園の駐車場か、河川敷に駐車して歩いてくるのも有だと思います。

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↑【四郭】
規模はそれ程でもありませんが、それでも土塁と堀の存在はしっかりと確認することができます。
薮も手伝って、写真にはハッキリと写らないですね。

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↑【三郭】
とても広大な三郭。今まで訪問してきたなかで、こういった巨大な郭を有する城址となると、木原城の三郭や、坂田城林外城小高城相賀城の外郭などが思い出されます。
このうち木原城は、岡見氏と同じく、戦国末には後北条氏の勢力下に組み込まれていた江戸崎土岐氏の前線基地として、霞ヶ浦対岸の佐竹勢を抑える役割を担っていましたし、坂田城は牛久番を勤めた井田氏の居城です。
後北条氏の勢力拡大における何かが、広大な外郭というキーワードで繋がっていると考えるのは、自然な流れなのかもしれません。

三郭の巨大な堀と土塁は、東林寺城における見所のひとつです。さらにこの土橋の先には・・・

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↑【三郭虎口前に存在していた馬出の痕跡?】
見学をしていて四郭側にも土塁があることと、脇にちょっとした溝が見られたので何なのかなと思って見ていたんですけど、これがたぶん馬出の痕跡っていうことなんでしょうね。台地下に駐車している車のことが気になって、現地ではそこまで気が回らなかった。

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↑【二郭虎口と堀】
東側は東林寺の墓地設営の影響で改変されているので、旧状はあまりよく判りませんが、西側には広大な堀と土塁が残されていて、往時の規模を何となく想像することが可能です。
堀は藪が凄いのが難点ですけどね。

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↑【二郭】
現在の最南端に当たる二郭。

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↑【台地の南端】
本来はこの先にも台地があって郭が存在していたのですが、現在は土取で綺麗に削られてしまいました。
土塁手前の畑を農作業用の車両で耕されている方がいたので、旧状をお聞きするかとても迷ったんですけれど、雰囲気的に忙しそうな感じだったので止めておきました。
古い航空写真で確認してみても堀っぽいものが見当たらないんですけど、昔々は存在していたものなんだろうか・・・。

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