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2013年11月11日 (月)

龍ヶ崎城 【常陸】

場所:茨城県龍ケ崎市古城(場所)
訪問:2013年3月
形態:平山城
遺構:点在する台地
指定:たぶんなし
駐車:なし
満足:★★(2.0点)

見所:龍ヶ崎市の城址を散策するなら、余った時間でついでに

伝承では下河辺氏の一族である龍ヶ崎氏が白幡台の地に居館を構え、龍ヶ崎城の地に出城を構えたことが、龍ヶ崎城興りの由来とされているみたいですね。

戦国時代になると江戸崎城を本拠とする江戸崎土岐氏が龍ヶ崎氏を攻め滅ぼし、1568年には一族の土岐胤倫が出城跡に新たに城を築いて、龍ヶ崎一帯を治めました。

江戸崎土岐氏は後北条氏寄りの立場を取っていたため、1590年の小田原征伐で江戸崎城・龍ヶ崎城ともに攻め落とされてしまいます。
こうして大名としての江戸崎土岐氏は没落し、江戸時代の龍ヶ崎は仙台藩領となって、古城山麓には陣屋が置かれていました。
幕末の一時期には米津家によって龍ヶ崎藩も立藩されていたみたいです。


・白幡城 → 竜ヶ崎第一高校
・龍ヶ崎城 → 竜ヶ崎第二高校
・龍ヶ崎陣屋 → 竜ヶ崎小学校
ということらしいです。第二高校内に土塁も一部残されているみたいなのですが、11/2は何か文化祭とかイベント事が開催されていたのかな?
警備っぽい人まで配置される有様で、とても内部に入れそうな状況ではありませんでした。まあ、そんなイベント日に遭遇していなかったとしても、内部の見学はしなかったと思いますが(笑)。
歴史資料館で拝見した航空写真では確認できた第二高校と御嶽神社の間の台地も、今はごっそり削られて面影すら残されていません。
せめて調査か何かが行われていて、資料館でそれを確認できたら良かったのに。江戸崎土岐氏の有力拠点だっただけに、なおのこと勿体無いですね。
そういえば資料館に資料が展示してあった屋代城。ここは北信濃の屋代氏の一族が統治していた場所だったんですね。帰宅して調べてみたら判ったんですけど、やっぱりというか、なんか納得です。
資料館の見学は無料なので、付近城址の散策ついでに立ち寄ってみるのも、良いかもしれませんよ。

※動画の作成予定はありません
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↑龍ヶ崎氏の居城とされる白幡城と、その時代は出城だった龍ヶ崎城。
台地先端に構えられた白幡城より独立した台地となっている龍ヶ崎城のほうが、より要害の地であると言えますよね。集落をおける場所等もろもろ地勢の変化など事情があるのかもしれませんが、現状を見る限りでは白幡城から龍ヶ崎城に拠点を移したのは、当然のことの様に思ってしまいます。

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↑龍ヶ崎城が存在していた台地は、その一部が土取によって完全に消滅してしまいました。龍ヶ崎市歴史民族資料館に展示してあった昭和30年代の航空写真を見ると、台地の旧状を確認することができますね。
消滅部分が主郭だったのかな?



■白幡城

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↑白幡城が構えられていたとされる白幡台。竜ヶ崎第一高校の敷地なので中は確認していませんが、何かしらの遺構が残されていたりするんでしょうかね。

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↑竜ヶ崎第一高校の他は、流通経済大学の敷地として使用されています。現在の低地の殆どは湿地で、もともとはこの台地上に集落が構えられていたのかも知れませんね。


■龍ヶ崎城

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↑そしてこちらが龍ヶ崎城が構えられていたとされる台地。竜ケ崎第二高校が置かれている場所は二郭にあたる場所だったみたいなんですけど、龍ヶ崎城は江戸崎土岐氏の重要拠点だったというだけあって、なかなか大きな台地です。

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↑主郭があったとされる台地は、土取にて完全に消滅してしまいました。採取された土で周囲の湿地を埋め立てて、それで住宅地を拡充したのかな?

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↑ポツンと残される台地先端。現在は御嶽神社が建てられているみたいです。

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