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2013年11月26日 (火)

高崎城 【上野】

場所:群馬県高崎市高松町(場所)
訪問:20117
形態:平城
遺構:外堀・土塁・移築復元建造物(乾櫓、東門)など
指定:群馬県重要文化財(乾櫓)
駐車:なし ※市役所などの公共施設に付属している駐車場を拝借するのが良いかも
満足:★★★★(4.0)
見所:残されている外堀とその土塁はなかなか雰囲気良し

江戸時代、当地には高崎藩の藩庁である高崎城が置かれて幕末まで存続しましたが、高崎城は徳川家康の関東入封によって箕輪城主となった井伊直正が家康の命令によって築城したお城であり、それ以前は和田城というお城が当地には建てられていて、周辺を統治していました。

その和田城は平安時代に和田義信が築城し、戦国時代に至るまで和田氏の居城として使用されていました。室町時代になると上野国は管領上杉(山内上杉)氏が領するところとなり、和田氏は管領上杉家に帰属していましたが、関東管領が越後・上杉謙信に引き継がれるとそのまま謙信配下に収まり、その後は上野に進行してきた武田信玄、そして最後は後北条氏の傘下に属し、後北条氏の滅亡にあわせて和田氏も没落していきました。

小田原征伐の後は廃城になっていた和田城ですが、前述の通り、その城址は家康の命で井伊直正によって高崎城として再び使用されることになります。箕輪城も確かに西上野における要衝ではあったのですが、関東における騒乱の危険性が少なくなったことで、利根川に接した和田城の地のほうが、より重要性が増したということなのでしょう。

井伊氏は関ヶ原の戦いの後に彦根へ転封になりますが、高崎にはその後も譜代大名が目まぐるしく入り、藩主を務めました。明治の廃城令にて建物などは破却され、現在に至ります。


城内は市街地化が進んでしまっていますが、外堀と土塁は比較的良い雰囲気で残されているので、思う以上に楽しむことができました。乾櫓や東門以外にも、市内には徳川忠長が自刃した場所という書院が移築されて残されているみたい。

高崎城の縄張り内に取り込まれた和田城も、その土塁の一部が僅かながら和田橋付近で確認できるようなので、そのうちにまた再訪してみようかな。

※動画はまだ作成していません━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


Photo 1
↑日本古城絵図の高崎城絵図と見比べれば判るとおり、外堀は比較的良好に残されています。
和田城の土塁とされる遺構も和田橋周辺に残されていたみたいなのですが、国道17号を整備した際に多くが崩されてしまったのだとか。戦後まもなくに撮影された航空写真を見ると、その土塁の存在を確認することができます。

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↑【外郭の堀および土塁】
主要部が消滅してしまっているのに、外郭の堀が良好に残されている城址って珍しくないですかね?軽視されてもっと消滅していてもおかしくないと思うのですが、本当に有難い事だと思います。

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↑内側から土塁を見るとご覧の通り。場所にもよるんでしょうけど、大きくてなかなかの迫力です。
ちなみに今見ると虎口だったっぽく見えてしまいますが、古城絵図でこの位置を確認すると虎口は描かれておりません。

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↑【復元・移築された乾櫓と東門】
簡単に立ち寄っただけだったので、あまり良い写真が残されていません。

移築再現された復元水路も確認していないし、和田城土塁も見ておきたい。これは、近くまで行ったときに再訪しなきゃ駄目ですね。

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