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2013年12月10日 (火)

小田城の現地説明会(2013年)

個人的には恒例のイベントとなっている小田城の現地説明会。今年も参加してきてきました。

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2012年の様子

週初は天気予報がよくなかったのでちょっと気になっていたのですが、週半ばには晴れに変化して今年も問題なし。

2013
簡単にまとめた発掘調査の状況

今回は前回よりやや西側の調査をおこなったみたいです。恐らくですが、来年はさらに西側の調査報告を楽しめるのではないかと。

今回も各ポイントごとに紹介していきたいと思います。


①:木製構造物の痕跡

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曲輪Ⅳの枡形状空間と曲輪Ⅴ(南館)を接続するための、何かしらの施設があったように想像したくなる場所ではあります。
柱穴っぽい痕跡を拝見したときには、"橋脚台でも検出されたのかな?"と期待をしていたんですけど、説明を聞いてみると、現在のところはこの痕跡が何のものであるのか、ハッキリした状況は判明していないんだそうで・・・。

もしかしたらもっと後の時代の遺構というか、要は城郭遺構でない可能性も捨てきれないとのことでしたが、まだハッキリと決まった訳では無いですからね。今後の解析結果を期待したいところです。


②:障子堀

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小田城の各所から検出されている障子堀。
小田城の障子堀がいつ頃整備されたのか不明ですが、現在の埼玉東部~茨城南部に広がる広大な平地に設けられた城館には、思うより古くから障子堀の技術は周囲の泥地を管理するために発達していたのではないかと想像しています。これら地域には湿地も多いですしね。勢力というよりも地域が育んだ築城術という気がしてなりません。

山中城のインパクトがありすぎて障子堀=後北条氏とリンクされることが多いように思いますが、後北条氏は武蔵に領地を拡張していく中でこれら地域の技術を吸収し、活用そして独自の進化させていっただけなのかなって。

話を戻しますが、小田城の堀は調査のための掘り下げると、いまでも土中から水が湧き出してきて大変なんだそうです。写真の障子堀も、朝には水抜き作業を行ったらしいのですが、説明会が行われる昼前にはご覧の状態に。
湿地はやはり湿地なんですよね。よく聞く話ではありますが、注意したいものです。


③:曲輪Ⅹを区画する堀跡

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↑今は消滅してしまっていますが、曲輪Ⅹの南西部は堀によって区分けされ、馬出状の小曲輪を形成していたことが判明したみたいです。
この堀も、周囲の土塁や殿塔山の一部を切り崩して埋め立てたんでしょうかね。

それにしても、小田城って馬出状の小曲輪が本当に多い気がします。何度か落城している城ではありますから、構造もそれなりに実戦的だったということなんでしょう。


④:帯状の曲輪跡

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帯曲輪の一部が見つかったことで、慶長小田城跡図に描かれている帯曲輪の存在が前にも増して明らかなものとなりました。


■出土品

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↑今回も新たな出土品はそう多くないらしいです。過去出土品も多そうなので、写真はこれ一枚きりで。


■着々と進む公園化

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↑23年後の完成を目指して、着々と整備作業は進行中です。
これだけの遺構が残る中世城郭の平城も珍しいので、出来上がりには期待したいところですね。史跡保護と観光施設の両立は難しい(というか基本無理?)とは思いますが、こればかりは担当者のセンシビリティに期待するほか無く・・・

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小田城の現地説明会(2012)

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コメント

こんばんは

小田城現地説明会、お疲れ様でしたm(__)m

史跡公園化も、だいぶ進んでましたね。

数年後には、本丸を中心に堀跡や郭も整備がなされるのでしょうね。

駐車場だけでも、先に完成させてほしいです。

>ヤマシロさん

こんばんわ。

今の流れだと、駐車場を配置できそうな場所は曲輪Ⅴ(説明会で駐車場として使用されていた曲輪)しかなさそうですね。でも曲輪Ⅴは来年~再来年には調査が入りそうな位置にあるので、駐車場の完成はまだまだ先のことなのかも?

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