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2014年1月13日 (月)

壬生城 【下野】 

場所:栃木県下都賀郡壬生町本丸(場所)

訪問:201312

形態:平城

遺構:一部の本丸堀と土塁・移築門(未確認)

指定:なし

駐車:

満足:★★★(3.0)

見所:歴史的に気になるのであれば・・・

 

壬生城は壬生氏2代目当主・壬生綱重によって築城されたと伝えられています。

 

壬生氏は初代・壬生胤業のときに宇都宮氏に勤め、戦国末まで5代続く壬生氏の礎を築きました。2代・壬生綱重は宇都宮氏の命で鹿沼氏を攻略し、鹿沼城に拠点を移しました。壬生城には嫡男で後に3代目となる壬生綱房を配置していたみたいです。

1512年に宇都宮成綱と芳賀高勝にの対立によって発生した宇都宮錯乱でも、綱重は宇都宮成綱に加勢して乱の鎮圧に協力し、宇都宮家中における壬生氏の権限を徐々に強めていきました。

 

3代目・壬生綱房はさらなる権限強化に努め、宇都宮家の宿老として芳賀氏・益子氏に次ぐ勢力にまで発展していました。

1549年、宇都宮尚綱が那須氏討伐に出陣して戦死すると、綱房はその混乱に乗じて宇都宮城を占拠するという行動にでます。那須氏とは和議を結び、壬生城には嫡男の壬生綱重を配し、居城の鹿沼城は弟の壬生周長(徳雪斎)に任せました。綱房は宇都宮氏家中をほぼ掌握し、敵対するのは真岡城に幼少の宇都宮広綱を匿う芳賀高定だけとなります。

ただ、この芳賀高定はなかなか手ごわい人物で、まずは尚綱の仇である那須烏山城主・那須高資を千本城にて誘殺させ、続いて綱房と共に宇都宮城を管理していた芳賀高照を殺害。それから間もなくして綱房も急死することから、この綱房の死も芳賀高定の謀略と言われることもあるみたいですね。

 

宇都宮城は跡を継いだ4代目・壬生綱雄が管理しますが、佐竹義昭に宇都宮城奪還の援軍を要請してその助力を得た芳賀高定によって、1557年に奪い返されました。

自身は鹿沼城へ退却し、壬生城は子の壬生義雄に任せますが、後北条氏の勢力拡大を助力に宇都宮氏からの独立を模索する綱雄と、その叔父であくまで宇都宮氏との共存を考える壬生周長(徳雪斎)が対立し、綱雄は1576年に壬生周長と芳賀高定の謀略によって鹿沼城の天満宮で暗殺されてしまいます。

 

鹿沼城を掌握した壬生周長(徳雪斎)は、勢いに乗って5代目・壬生義雄が治める壬生城に攻め寄せますが、壬生周長(徳雪斎)は義雄によって逆に討ち取られてしまいました。

義雄は後北条氏と結んで宇都宮氏と抗争を繰り広げ、秀吉の小田原征伐の際は小田原城に篭城して戦いました。ただ、小田原開城直後に義雄は病死してしまい、義雄に子がなかったため壬生氏は断絶とされてしまいました。

 

壬生氏が滅んだ後も壬生城は壬生藩の藩庁として使用され続け、最後は鳥居家が藩主を務める中で幕末を迎えました。戊辰戦争では宇都宮城を占拠した幕府軍に対する官軍の攻略拠点としても使用されています。

 

 

宇都宮氏・芳賀氏・壬生氏は何か歴史が複雑ですよね。何となく芳賀氏より知名度が劣っていそうなんだけど、戦国後期は下野南部で大きな勢力を築いていた壬生氏なので、ちょっと壬生氏のまとめ的な感じで壬生城の項は作成して見ました。鹿沼城を訪問してブログをあげるとすると、歴史紹介はこれとほぼ同じ内容になっちゃうのかな()

 

遺構の多くは早くに消滅してしまったみたいで、1948年時点で確認できる本丸堀も、1960年になると現在の範囲にまで縮小されてしまっています。絵図を見ると見事な丸馬出が描かれているのですが、だいたいの場所の目処はついたとしても、痕跡が残されていたようにはみえずといった感じ。

 

規模も小さいですし整備され過ぎてて味気ないですけど、周辺を散策したついでに立ち寄るくらいは十分にいけるんじゃないかと。壬生氏の重要拠点だった場所ですし、資料館もありますからね。

 

※動画の作成予定はありません

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↑日本古城絵図の壬生城図。大手には立派な丸馬出が存在していました。

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↑ただ、現在は本丸堀の一部が残るのみ。

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↑その堀も公園化によって、かなりいじられてしまいました。現地案内で改修前の堀の様子が紹介されていますが、これを見ると以前は空堀だったみたいですね。

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↑内側から見る土塁。
壬生城は、日光社参の復路の宿泊所として、宇都宮城の代わりに使用されることもあったみたいなんですよね。
ということは、本丸には将軍が宿泊するための本丸御殿が建てられていたのでしょう。

同じように宿泊所として使用されていた宇都宮城古河城は、将軍が城内に入る際に通る御成門や御成道沿いには、将軍家への配慮のためなのか石垣が用いられていました。
岩槻城は主要部が消滅しているのでよく判りませんが、この壬生城はどうだったんでしょうね。古城絵図からは、石垣の存在を確認することはできませんが。

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↑道路沿いの二の丸虎口だったあたりには、立派な門が復元(?)されていました。

市の公共施設に併設する、のどかな町の公園といった感じの場所です。城跡という先入観をもたないで訪れていたら、自分ももしかしたら城址公園だとは気付かないかも。

 

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