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2014年1月 3日 (金)

犬飼城 【下野】 

場所:栃木県宇都宮市上欠町(場所)

訪問:201312

形態:平山城

遺構:曲輪・横堀・土塁(比高二重土塁もあり)・櫓台状の張出・土橋・井戸跡など

指定:不明

駐車:なし ※城址西側に架かる橋のたもとに駐車しました

満足:★★★★★★★(7.5)

見所:迫力ある遺構の残る良城跡

 

犬飼城は1379年に小山義政によって築城されたとの伝承が残されているみたいですね。時代で考えると南北朝時代の後期、そして築城者とされる小山義政は「小山義政の乱」で有名(?)な人物です。

このときの小山氏はまさに全盛期を迎えていましたが、関東屈指の勢力となっていた小山氏はだんだんと鎌倉公方・足利氏満から警戒され、その構図は対立へと繋がっていきます。公方は宇都宮氏に対して小山氏の討伐を命じ、宇都宮氏はこれに従って小山氏領への侵攻を行いますが、逆に敗れて宇都宮氏の当主・宇都宮基綱は討ち死にしてしまいました。これが1380年のことなので、こういった緊張状態の中で築城されたお城と考えておけば良いのではないでしょうか。

 

その後しばらくの犬飼城の状況はわかりませんが、戦国時代も後期の1573年には犬飼康吉なる人物が城主を務めていて、このときに宇都宮氏に攻められて落城したという伝承も残されているみたいです。

 

ちなみにこの犬飼康吉なる人物。いったいどの勢力に所属していたのでしょうかね?南北朝の頃に犬飼城を管理していた小山氏は「小山義政の乱」以降の衰退が凄まじく、戦国時代の頃に当地を領有していたとは考えづらい。寄せ手の宇都宮氏を外して考えると、近くで思いつくのは西方氏か壬生氏ということになりますが、勢力の大きさからして、恐らくは壬生氏ということになるのでしょう。

この時代の壬生氏は本拠の鹿沼城で後北条氏の助勢を得て宇都宮氏からの独立を模索する当主・壬生綱雄と、綱雄の叔父であくまで宇都宮氏への従属姿勢を貫く壬生周長(徳雪斎)とで対立していました。

そういった背景から推察するに、宇都宮氏の犬飼城攻めは宇都宮氏による壬生周長(徳雪斎)一派への援助的な意味合いがあったのかも知れませんね。

周辺諸城の当時の歴史を調べてみないと何とも言えませんが。

 

「関東の名城を歩く」にも項目はあるのですが、見開きのみで縄張りの掲載も無しと扱いが小さいこともあって、訪問前はもっと簡易に見学できるお城と油断してしまいました。

全体的に藪が多めなものの、主要部と思われる遺構が非常に良好な状態で残されていて、ちょっとあっけにとられることしばし。非常に管理されている飛山城の次だったので、なおのことというのもあるかとは思いますがね()。藪密集地帯や北西の横堀は見学していなかったんですけど、ネットにはなかなか良好な縄張り図がアップされていたんですね。それにて不明点を補足しながら、鳥瞰図は描いてみました。

 

 

ニコニコ動画バージョンもあります

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↑【立地】
犬飼城は川に挟まれた舌状台地の先端に構えられていました。まさに要害ですね。
根古屋台遺跡の存在から察するに、古代からある程度栄えてきた場所なんでしょう。

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↑【簡単な鳥瞰図と概略図】
遺構はとても良い状態で繁みの中に残されています。横堀の使い方にちょっと特徴があるのかな。

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↑【外堀】
あくまで現在確認できる中で、一番外に位置している南側の横堀です。東側の集落で用水路のような溝が見られたんですけど、もしかしたらその用水路も外堀の名残なんでしょうか?

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↑【主郭南側の横堀】
南側の横堀は全体的に比高二重土塁になっています。戦国後期に後北条氏の手が加わってということなのか、それとも・・・。

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↑【主郭】
内部の2/3くらいは藪が占拠していますが、外周は藪が少なめで歩き易いのが救いですね。意外と訪問者が多いのか、はたまたどなたかのご好意で整備していただけているのか。

虎口と思われる土橋が西と北に残されているのですが、明瞭な西の土橋に対して、北の土橋は若干高さが浅く、もしかしたら往時は橋脚台か何かだったりしたのかも知れません。
北の土橋の写真は藪で不明瞭だったので、掲載は止めました。動画には映っているので、まあいいかななんて。

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↑【大手虎口(推定)】
台地続きの北側に、大手があったものと推察されます。
耕作地との境に虎口っぽい場所が残されていたんですけど、伐採された樹木が土塁周辺に大量においてあって、現地ではこれが土塁なのかよく判らなかった・・・。
現在、土塁の前には何もありませんが、周囲に残る横堀の状態から、往時は土塁の正面にも堀が存在していたものと思われます。

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↑【主郭張り出し正面の細道】
大手から侵入してきた敵と、横堀を通ってくる敵が合流する、交差点のような場所のように感じました。
このあたりも面白い構造になっているんですけど、写真では状態を伝えられませんね。

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↑写真で伝えようとすると、何がなんだか判らない場所が多いですね。埋もれる程の藪といった場所は限られているんですけど、それでも藪は少なくないので、多少の藪耐性が無いときついかも。

 

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