« 【ちょっと雑談】ドル円・120円突破をうけて | トップページ | 滝山城の駐車場  »

2015年1月10日 (土)

today news

信長の攻め防ぐ堀、和歌山の「鷺ノ森遺跡」で大規模な溝発見 Yahooニュースより抜粋 

 和歌山市鷺ノ森南ノ丁の市立城北小学校内にある鷺ノ森遺跡で、16世紀後半ごろの大規模な溝が見つかり、市教委などが9日、発表した。織田信長と対立していた本願寺側の和歌山の拠点「鷺森御坊」を防御するために造られたとみられ、大阪・石山本願寺と信長側との緊張関係が、和歌山にも影響を及ぼしていたことを裏付ける興味深い資料になりそうだ。

 市教委や市文化スポーツ振興財団が、平成24年度から同小グラウンドを調査。発掘現場は本願寺鷺森別院の南側に当たり、幅約16メートル、深さ3メートル程度とみられる堀の跡が見つかった。

 同院は、中世末期には「鷺森御坊」と呼ばれ、紀州における浄土真宗の信仰の中心だったという。この一帯を拠点とした雑賀衆は、信長との戦いのため石山本願寺側へ援軍に赴いた。信長による天正5(1577)年の紀州攻めの際には、和歌山市内で戦闘があったという。同院は、信長と和睦した本願寺側が一時的に移ってきた場所としても知られる。

 今回の堀は、現在の町の区割りとは異なる方向に延びていることから、鷺森御坊に沿って設けられた堀と分かった。中世後期の瓦や陶磁器なども出土し、堀は江戸時代に埋められたという。

 市教委担当者は「鷺森御坊が信長と対立していたことは当然考えられる」とし、発掘を担当した同財団担当者は「堀は、攻めるためではなく守るためのものだろう。中世の街並みも分かることから、貴重な資料」と話した。

↑現在は「城跡」と呼ばれている場所も、当時は集落・砦・要害など用途は様々だったように思います。そのあたりのことは以前に"「総構え」に関して思うこと"で触れたことに重なるかもしれませんが、戦国という時代を考えてみると規模の大小や地域的特徴など多少の違いはあれど、多くの人が集う場所はどこも同じように防御構造を施していたと考えるのが自然なのではないかなと。
ただ、歴史的に重要な史料であることに変わりはありませんね。いろいろな発見を期待したいところです。

« 【ちょっと雑談】ドル円・120円突破をうけて | トップページ | 滝山城の駐車場  »

雑記事(today newsなど)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: today news:

« 【ちょっと雑談】ドル円・120円突破をうけて | トップページ | 滝山城の駐車場  »