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2015年6月

2015年6月25日 (木)

today news

全国の遺跡発掘報告書ネットで公開 1万4000冊、奈文研など 日経電子版より抜粋  

 全国の遺跡の発掘調査報告書約1万4千冊を電子化し、インターネットで一括検索・閲覧できるようにした「全国遺跡報告総覧」を、奈良文化財研究所と島根大など全国21の国立大学が共同開発した。25日朝から無料公開する。

 総覧は大学や県市町村の教育委員会、埋蔵文化財センターなど32道府県の316調査機関が刊行した報告書を収録。約165万ページをPDF形式で電子化し、題名や機関名、「銅鐸(どうたく)」などのキーワードで検索できる。アドレスはhttp://sitereports.nabunken.go.jp/。

 発掘報告書の多くは数百部程度と刊行数が少なく、閲覧できる場所が限られるため、研究のネックになっていた。同研究所は「調査成果の社会への還元や、新たな研究領域の発展につながるのでは」と期待する。

 参加した21大学は既に各地元で刊行された報告書を電子化して公開しているが今回、同研究所を中核に統合して利便性を大幅に高めた。ただ東京や京都など一部の地域や調査機関の報告書は未収録で、同研究所自身の報告書もシステム上の問題から収めておらず、課題も残る。

 同研究所によると、これまで全国で刊行された発掘報告書は累計約20万冊で、近年は年約2千冊が刊行されている。今後は充実に向け、大学や自治体、学会などとの連携拡大を検討する。

↑これは本当に有難いですね。「知識」として価値のあるものは特にだと思いますが、もしかして失われるかもと思われるようなものはできるだけ記録して公開していくほうが良いのではないかと思ったのが自分の散策動画のきっかけでもあったりするので、一般の反応の有無に関わらずこういった流れが広がるよう期待したいところです。  

どこにいてもネット環境さえあれば図書館といった感じなので、時間がいくらあっても足りないと感じるところがネックではありますけど。 

2015年6月24日 (水)

today news

伏見城下に巨大礎石穴、加賀・前田家屋敷跡か 高い土木技術  ※日経電子版より抜粋  

 

 豊臣秀吉が建てた伏見城(京都市伏見区)の大名屋敷があったとされる区域から、礎石を据えるための巨大な穴が7カ所見つかり、京都市文化財保護課が23日までに明らかにした。

 穴の大きさは直径約1.7~2メートルで、深さ2.3メートル以上のものもあり、城下で最大級だった。江戸時代などの絵図から加賀百万石を築いた前田家の屋敷跡とみられ、豊臣政権で要職に就いた前田家の権威を物語る遺構という。

 同課によると、穴の中は、直径2~3センチの小石の層と粘土層を交互に積み上げながら細い棒で突き固めて、礎石や建物が沈まないよう地盤改良していた。

 これまで城下で見つかった据え付け穴は、東北を支配した伊達家の屋敷跡の直径1メートル前後が最大。今回見つかったものは、豊臣家が建てた方広寺(京都市)南門のものに匹敵する大きさという。

 このほか、南側には長さ20メートルほどの塀を建てていたとみられる溝が見つかった。

 調査地は絵図で、前田家を示す「肥前中納言」と記された場所だった。市の担当者は「最初の伏見城が大地震で倒壊したため、前田家は念入りに地盤改良をしたのかもしれない。豊臣政権の五大老だった前田家の土木技術の高さが分かる」と話している。

 秀吉は1592年、最初の伏見城(指月城)の造営を始めたが、96年の慶長伏見地震で倒壊、直後に近くの木幡山に再建した。

 調査は既に終わり、現場は埋め戻されている。

 

↑先週の木曜日に報道されていた「指月伏見城の場所特定」に関連したニュースなんでしょうかね。自分は20日に行われたとされる現地説明会には当然参加できていないのでネットにupされていたPDF資料を確認した程度ですが、googlemapで確認できる以上に現地ではいろいろ再開発が進行しているのかもしれない。 

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2015年6月23日 (火)

勤労奉仕と強制労働(強制徴用)

日本産業施設の世界遺産登録…朝鮮人「強制徴用」の明示を検討 (Yahooニュース)
強制徴用の歴史を説明 政府、7月の世界遺産委で (日経電子版) 

これ、「強制徴用」と明示する方向で話が進んでしまうのでしょうかね?

慰安婦の件もそうですが、なんにしても「強制」という言葉の響きというかイメージは現代の世においてはとてつもなくネガティヴであり、使用する際には細心の注意を払っていただきたいと切に願う次第なんですよ。

戦争に関する書籍を読んでいくとたびたび目にする「朝鮮人の強制労働」という表現。何か違和感を覚えたので、以前に自分なりにちょっと考えたことというか意見をメモとして書きとめてあったんですよね。
内容的には今回の「強制徴用」とかぶると思いますので、ブログ記事として掲載してみようかな、なんて。

 戦争遺構の本を呼んでいくとたびたび目にする言葉がある。それは戦時中に建設された施設における”朝鮮人の強制労働”という表現だ。

 強制労働とは「権力者などによって強制的に連行され、無理やりの労働を強いられる」事象を指すのだと考える。強制労働、現在の世で多くの人がこの単語を聞かされて思い浮かべるのは、植民地から人身売買などで強制的に連行される奴隷の姿をイメージするのではないだろうか。

 戦中の日本では勅許として国民勤労報国協力令が1941年に公布された。俗に言う「勤労奉仕」である。勤労奉仕の概要はwikipediaによると以下のとおり。 

【勤労奉仕】・・・本勅令は、従来任意に存在した勤労奉仕隊を義務付けると共に総合的な調整を狙ったものである。学校・職場ごとに、14歳以上40歳未満の男子と14歳以上25歳未満の独身女性を対象とした勤労報国隊が編成され、軍需工場、鉱山、農家などにおける無償労働に動員された。1945年(昭和20年)3月、国民勤労動員令の施行にともなって廃止された。  

 上記のことをふまえたうえでの話だがこの件に関していつも疑問に思うのは、なんで「勤労奉仕」と「強制労働」という言葉を使い分ける必要があるのかということ。

 当時の朝鮮半島や満州は日本の統治下に置かれていたのだから、そこで生活する人々は当然日本人であった訳で、そういった書物で指摘されている「強制労働を強いられた人々」というのは、あくまで日本人による「勤労奉仕」のことを指摘しているに過ぎないわけで。
 朝鮮半島や満州の人々に対して軍が率先して人身売買を奨励したり、何も犯罪を犯していない民間人を拉致して労働施設に無理やり収監したとかそういった話ではないんでしょ。
 「勤労奉仕」に対し同義で使用されるべきなのは「徴用」であって、「強制労働」ではないと思われる。それなのにあえてこの「強制労働」という言葉をことさら強調して使用している書物やメディアなどから受ける印象というのは客観性の著しい欠落のみであって、何かしらの歪んだ意図に誘導するための所作なのではと勘ぐらざるを得ない。

 いい加減、無意味な日本叩きはやめましょうよ。今が高度経済成長期ならいざしらず、日本も余裕が無くなってから随分と経つわけで。  

歴史を学んだり伝えたりするうえで一番重要なのは客観性なんだと常々考えています。イデオロギーの違いは仕方ないにしても、報道や教育者など伝える側であるならば、そこだけは大事にして欲しい。

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