地域 - 長野

2012年8月25日 (土)

霞城 【信濃】

長野県長野市松代町の霞城です。

場所:長野県長野市松代町大室(地図)
訪問:2011年6月
形態:山城
遺構:曲輪・石垣など ※古墳もあります
指定:なし
駐車:公民館に一言ことわって駐車させていただきました
満足:★★★★★★★★(8.0点)

【概要】 ※Wikipediaより引用
現在の長野市松代町大室付近の豪族、大室氏の居城であった。
敵が攻めてくると、霞がかかったように見えなくなることからこの名がある。
大室氏は武田氏滅亡後、織田信長の家臣、森長可に仕えた。しかし森長可は本能寺の変で後ろ盾を失って撤退したため大室氏は上杉景勝に従う。その後、上杉氏の会津移封後、大室氏も会津に移った。

松代城周辺の尾根には城跡が複数残されているのですが、この霞城も海津城が機能している際には、城砦群の一角を担っていたのではないでしょうか。

霞城の最大の見所は良好に残された石垣、これに尽きると思います。現在は登城路も整備されていて傾斜のきつい場所にはロープなど設置されているので、そんなに大変ではありません。

以前作成した動画です。

■ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14887235
デジカメですし初期作品なのでちょっと見づらいかもしれません。

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↑入口。

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尾根を歩いていくと緑に埋もれた石垣が突如姿を表す、その瞬間は非常に衝撃をうけました。東南アジアや南米のジャングルを探検していて石造りの遺跡を偶然発見したような錯覚を受けたというか、まあ要するに滅茶苦茶感動したってことですね(笑)。
お勧めしたい城跡です。

2012年8月23日 (木)

小諸城 【信濃】

今回は長野県小諸市の小諸城です。

場所:長野県小諸市(地図)
訪問:2011年6月
形態:平城
遺構:建築物(現存)・曲輪・空堀・井戸・石垣・天主台など
指定:重要文化財(大手門、三之門)
駐車:有 ※有料
満足:★★★★★★(6.0点)

訪問時期は2011年6月、というか青柳城と同日ですね。この日は連休中だったので、人で滅茶苦茶ごった返していました。さすが観光地というか青柳城とは大違い。
人ごみは大嫌いなのでこういう有名な場所は朝一の訪問が望ましいんですけど、順番の都合で仕方ないです。まあ、人ごみに関してはみんな我慢しているんだから、お互い様ってことで。

いま確認できる近世城郭としての小諸城は仙石久秀が構築しました。ちなみにいま確認できる上田城もこの人が構築したものですね。話すると真田氏だと勘違いしている人が意外に多いので、念のため。
修復された現存門から石垣に至るまで、なかなか見応え十分です。関東は近世城郭も少なく土の城ばかりなので、ふんだんに残る石垣を見せられるといやがうえにもテンションがあがってしまう。

城址は地獄谷と呼ばれる深い渓谷に三方を囲まれていて、構えるに絶好の場所というかまさに天嶮の要塞です。

※動画はまだ作成していません

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↑案内。

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↑三の門。重要文化財です。

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↑二の門の枡形。

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↑北丸と南丸に挟まれるように中仕切門がありました。正面奥の石階段を登ると二の丸です。

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↑周囲を囲む地獄谷。目もくらむような高さです。

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↑荒神井戸。城内唯一の井戸と明記されていますが、それではあまりにも少なすぎませんか?

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↑天主台。

大手門を見逃してしまってるので、また改めて訪問したいですね。

2012年8月21日 (火)

青柳城 【信濃】

今回は長野県東筑摩郡の青柳城を紹介します。

訪問は2011年の6月、まだデジカメしか用意してなかったので動画はあんまり・・・。でもよく考えたら、そういう案件こそブログで残しておくべきですよね。シーズンオフですし、しばらくはこのパターンで更新していこうかと思います。

場所:長野県東筑摩郡筑北村坂北(地図)
訪問:2011年6月
形態:山城
遺構:曲輪・空堀・土塁・土橋・石垣など
指定:なし
駐車:有
満足:★★★★★★★★(8.0点)

【概要】 ※wikipediaより引用
青柳城はこの地の豪族で、麻績氏の一族である青柳氏の城であった。
信濃守護の小笠原長時が武田晴信に敗れた後、小笠原氏に臣従していた青柳清長は武田氏に従った。
天文22年(1553年)の第1次川中島の戦いでは、晴信が一時ここに居城した。また、この合戦では長尾景虎(上杉謙信)は更級郡から筑摩郡へ進出し、青柳城に放火した。
武田氏滅亡後は青柳氏は小笠原貞慶に従ったが、天正15年(1587年)に青柳頼長は深志城(松本城)で誅殺され、青柳氏は滅亡した。その後は小笠原氏の家臣の松林氏が在番したが、慶長年間には廃城になった。

境目の城としての苦労がよくわかる内容ですね。
興味深い歴史も持っているんですけど、残された遺構もなかなかのものですよ。
麓の青柳集落から訪問することも可能ですが、山上まで車であがって今回は散策してみました。

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↑案内。

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↑入口に構える櫓門。風情があってとても良いです。

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↑二重堀切。デジカメでは規模を伝えきれません。

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↑排水施設でしょうかね?それとも井戸跡?

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↑また巨大な堀切です。ダイナミックなんで迫力満点ですよ。

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↑案内も豊富です。

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↑本丸手前に設置された冠木門。設置位置に関してはあまり気にしないで下さい。

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↑こちらは麓の青柳集落からの登り口に設置された柵。

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↑本丸脇に今も残る布目積みの石垣。

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↑本丸に設置された皇太子殿下御降誕記念碑。古そうなので現天皇陛下のことなのかな。

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↑本丸の案内だけ何故か無残な姿に・・・

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↑本丸からの展望。

山上の集落もそうですが、麓の青柳集落もなかなか風情があって面白い場所です。それに居館跡もあるみたいなんですけどね。一瞬案内っぽいものが目に入ったんですけど、当時は確認するのを止めちゃいました。シャイだったんですかね、今ならたぶん逃さないと思うんですけど。
また、周囲に今でもメインで使用されていると思われる切通しの道が残っています。迫力があって相当なものなので、あわせての見学がお勧めですね。

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